千年王国の後に来る世界
Jan
18
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「千年王国後の世界」
黙示録20章7~15節
~マタイ福音書連続講解説教91~
キリスト教の教える「勝利」について
〜「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。
…神は私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。…いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。(Ⅰコリント15:55~58)
⑴それは、虚しさや無意味さからの勝利です。
仏教は、私たちが生きている限り逃れられない四苦を解きます。
その中でも最大の悲劇が死であるとします。
現実的な観察であり、説得力があります。
どれだけ成功してお金を貯めても、名声を博しても死が貴方に訪れた時、
それまでに蓄えた一切を残して裸で去らねばならないのです。
しかしここに、もう一つの現実があります。
「イエス・キリストによって」得られる死に対する勝利です。
本日の学びから将来の千年王国で相続地が与えられた後、
それまでの天と地とが消滅すると、
次に来る時代は「永遠の秩序」と言われるものです。
私たちは復活した体をもって、その世界も受け継ぐようになります。
死はもはや勝利に飲まれてしまったのです。
究極的で、永遠の勝利が与えられました。
死が全ての終わりではなかったのです。
⑵それは、道徳的で人格的な勝利です。
成功・繁栄主義者にとって信仰は手段に過ぎず、
最後の目的は祝福されることにあります。
成功するために神を信じる、
より豊かになるために信仰生活に励む人もいます。
ところが聖書の教える勝利とは、
イエスにどれほど似た者へと変貌されて行くかという点にあり、
言い換えるなら人格の完成にあると言えます。
「死のトゲは罪である」とありますが、
過去の私どもの全ての罪がイエスの贖いによって赦されているのです。
さらに現在についてはきよめの恵みによって日々、主と同じ姿に変えられて行きます。さらに将来には完全な体に甦る復活を待ち望んでいるのです。
私たちにとって成功が勝利を意味していません。
信仰ゆえにより大きな困難や迫害に遭うこともあるのです。
勝利とは、主の御心のうちを歩むことにあります。
⑶それは、今を生きる勝利です。
世間を騒がせているイスラム原理主義者のテロ行為は、
彼らの神学に基づく、ジハート(聖戦)であるだけに厄介なものです。
どれだけの殺戮や破壊行為も、
彼らの目的遂行のためには正当化されてしまいます。
聖書の教える宣教活動とは相入れるものではない。
主がどのような忍耐と自己犠牲により使命を果たされたか。
主の足跡に従うクリスチャンは、主を模範として「主のわざ」に励むのです。そこには華々しい成果でなく、
いやむしろ目立たず評価されないものであるかもしれません。
でも心配は要りません。
主は十字架という最大級の敗北であると人間的には見える最期を遂げられましたが、復活によって勝利のドンデン返しを示してくださったからです。
成果がどれほど小さく見えたとしても、それが「主のわざ」であるのなら、
「無駄ではなかった」と言える日がやがて来ると聖書的終末論は確約しています。
それゆえ見えるところによらずに堂々と今を生き抜くことができます。