「最も小さいものたちのひとりに」
Feb
14
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「最も小さいものたちのひとりに」
マタイ25章31~46節
~マタイ福音書連続講解説教94~
「まことに、あなた方に告げます。
あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、
しかも最も小さい者たちの一人にしたのは、わたしにしたのです。」(25:40)
今回の聖書個所も多くの場合、誤解されて解釈されてきました。
「最も小さな者たち」である、
貧者や病人、旅人や牢獄にある人たちに対する援助をするのは
神に対する奉仕であり、
その善行いかんによって救いが決定されてしまうと誤解されやすいのです。
最後の46節に
「この人たちは永遠の刑罰に入り、
正しい人たちは永遠のいのちに入るのです」
とあることからしても、一見するとそのような善行が
神の裁きの判断材料となると受け止められやすいのです。
私がこの個所を高校時代に初めて読んだ時もそのように受け止めていました。
トルストイの書いた「靴屋のマルチン」にあるように、
知らずに困っていた少年や老婆を助けたマルチンが、
実は神ご自身に奉仕していたという物語と重なって読めました。
しかし、正しい聖書理解は文脈を捉えなくはならないという大原則を
ここでも強調しないわけにはいきません。
1)マタイ25章は3つのたとえ話から、
終末時代の教えを授かった者たちへの適用を教えているところです。
1.十人の娘のたとえ
2.タラントのたとえ
3.羊と山羊とを選り分けるたとえ
2)それぞれのたとえ話での中心となるポイントは、
1.聖霊を宿しているか?
2.タラントを活用しているか?
3.迫害に耐えたか?
これらのたとえ話は、
主イエスの携挙から始まる再臨を舞台にした神の裁きであり、
その時二つの結果を生む選り分けが行われると教えるものです。
よって、現在の教会時代にそのまま当てはめて、
貧者や病人たちの困窮者たちを助けることが
天国への条件のように解釈してはならないのです。
31節にある本たとえ話の導入部をご覧ください。
「人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、
人の子はその栄光の位に着きます。
そして、すべての国々の民が、その御前に集められます」
ここを読んだだけでも主イエスが地上再臨された後に
行われる裁きが教えられているのが分かります。
1)地上再臨の時に行われる裁き
①大艱難時代においては「戸口まで近づいていた人の子」(24:33)
②ついに地上に立たれる(黙示19:11~15)
③裁きは再臨から千年王国樹立までの
75日間のインターバル時に行われる(ダニエル12:12~13)
2)栄光の位に着く
①エルサレム神殿において世界の王として着座する
②その時にダビデ契約が成就する・
永遠の王座、王朝、王国が一人のメシアによって確立
裁きの内容を見てみましょう
1)全ての異邦人に対する裁き
①大艱難時代を生き残った異邦人が全世界に存在している
②彼らはエルサレムに集められ、メシアの前に立つ
2)裁きにおいて二分される全世界の民
①ご自分の右に置いた羊-
千年王国を受け継ぐ。つまりそのまま地上での生存が許されます。
②ご自分の左に置いた山羊―永遠の刑罰に入る。
正確にはハデス(シェオール)という苦しみの場所に死んで移される。
3)裁きの基準点はどこにあるのか
①「最も小さなものたち」=「わたし・イエス様」をどう扱ったか?
②「わたし」が置かれた状況ゆえに「最も小さなもの」であった
空腹、渇き、旅人、裸、病気、獄中にある人たち
大患難時代の特殊環境を黙示録から理解せねばなりません。
その時には、反キリストの世界統一政府による組織的なキリスト信者や
ユダヤ人への迫害・撲滅運動が激しく展開されているのです。
その時に彼らをかくまい、助ける人たちが起こされます。
それは反キリストを神と認めない信仰ゆえに、
迫害のリスクを冒しながらその「最も小さな人たち」を助けるのです。
一方、彼らの窮状を目撃しながらも助けなかった人たちは、
親切心がなかったのではなく
主イエスへの信仰がなかったゆえにしなかったのです。
彼ら不信者たちは、
①反キリストの世界統一政権側の立場についた人たちである
②666の刻印を受けた人々である
大患難時代においては、
主イエスへの信者・不信者に全人間が二分されていく特殊な時代となります。
その結果は、主イエスの再臨時に明らかとなります。