ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
メッセージ・ノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/64768-98
信仰ゆえの弱さ・強さについて考えて見ましょう
⑴弱くあれと主は教えられたのか。
クリスチャンは弱く、無抵抗な輩として
他者からの攻撃でも甘受すべきでしょうか?
「右の頬を打たれたら左の頬を向けなさい」
という有名な主の教えから
抵抗せずに強きに屈するのが
信仰者としての姿勢であると考えられる場合があります。
ゲッセマネの園にて無抵抗のまま捕縛され、
敵のなすがままに愚弄された主の姿勢からも
そのように解釈できてしまうのです。
先週はマルチンルーサーキングのワシントン大行進から
50周年を迎えました。
その運動のキーワードは「非暴力、不服従」です。
差別を増長し人権を蹂躙する時の権力者らに
暴力で抗するのではなく(非暴力)、
どんな不利な制裁を受けても制度や指令には従わない(不服従)運動でした。
⑵弱さに秘められた強さ
主は12軍団(レギオン・6000人)の御使いを
指揮できる司令官としての権力を持っておられました。
しかし「聖書が成就するために」あえて弱さに徹せられたのです。
不条理な審問や牢獄、屈辱的な愚弄にも耐えられました。
そこに主の真の強さを見るのです。
力がないゆえでなく、あえて弱さに甘んじた強さです。
キング牧師の運動はインド独立運動の父とされる
ガンジーの影響を受けたものであるといわれています。
ガンジーは次のように言っています。
「侵略者の暴力に暴力をもって応じるようなことはせず、
侵略者の不法な要求には
死を賭しても服従を拒否する……
それが非暴力の本当の意味です」
この言葉と彼の実践に
非暴力・不服従運動の真の強さを見ます。
⑶強さはどこから?
①過去のストーリーの中に位置付ける。
主は、イスラエルの歴史ストーリーの中に自らを位置づけておられます。
「すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです」(56)
逮捕された後も裁判と嘲弄の中を無抵抗で通され
相手のなすがままに任せておられまます。
ところがその全てはイエスのシナリオ通りであり、
全ては旧約聖書の預言が成就するために事は運んでいたのです。
当時のユダヤ当局の裁判制度に照らすならば
少なくとも10箇所においては法規違反であり、
主の死刑判決は無効と言わざるを得ないものでした。
それら10箇所の網を潜り抜ける巧みな主の歩み、
それでいて悪の勢力に翻弄されているかのように見える
……そこに霊妙な主の摂理を見せられます。
②将来を見通して
主は将来の預言成就を見越しておられました。
「天の雲に乗ってくるのを、あなたがたは見ることになります」(64)
現在は罪人としての死刑判決を甘受する身であったとしてもやがての将来、
メシア王国が樹立される時には
世界を治める王として天から降りてこられるという
ビジョンを描いておられました。
神のみこころはこの世界に、歴史的に必ず実現するとの確信を抱き、
そのみこころの中に自己を置くならば
私たちも主と同様、
平安の中を生き得るようになります。
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