ホサナキリスト教会・聖書広場からの引用です。
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(掲載までしばらくお待ちください)
「十字架刑」
マタイ27章27~44節
~マタイ福音書連続講解説教 102~
十字架は、
ローマ時代以前から存在していた処刑方法であり、
エジプト、フェニキア、アッシリア、ペルシャ
などでも採用されていました。
最大限の苦痛と恥辱を与える見せしめの極刑として恐れられていたもので、
その執行手順をマニュアル化したのがローマ人でした。
そのマニュアルに従い、
刑場まで犯罪人は十字架の横木を担いで歩かねばなりません。
すでに鞭打ちにより多量の出血により体力を消耗していた
主イエスにはその力もなく、倒れるほかなかったのです。
そこでローマ兵は無理矢理にそばにいた
シモンに十字架を負わせます。
その息子たち、アレキサンデルとルポスはやがて
初代教会で名の知れた信者になります。
ゴルゴダという場所に到着すると、
いよいよ手首と両足を揃えたかかと部分に
大きな杭がハンマーで貫通させられ
十字架に打ち付けられます。
「苦味を混ぜたぶどう酒」が与えられましたが、
主イエスは飲まなかった。
それは鎮痛剤であったのですが、拒否した理由は
最後まで明瞭な意識を維持するためでした。
霊的な戦いを戦い抜くためのものです。
ロープで十字架が起こされると
穴にストンと落とされ垂直に固定されます。
己の体重で垂れ下がった上体のままでは呼吸が出来ません。
そのためには懸垂して上体を持ち上げ、肺を広げねばならないのです。
杭の打ち込まれている両手首とかかとの傷穴からは
その度に出血と激しい痛みが襲います。
かといって
力尽きて垂れ下がったままなら呼吸が出来ません。
筋肉は痙攣を始め
懸垂運動は長くは続けられるものではないのです。
長く苦しみを与えるために
小さな横木が足元や腰の位置に設けられ懸垂を助けたようです。
通常の場合、
これにより3-4日間は生きながらえたようでした。
死因は呼吸が出来ない事からの
窒息死となります。
当時は過越の祭の当日で、神殿では子羊が屠られる時間帯であり
大勢の通行人が十字架を目にしています。
サンへドリンの議員らと同様に
多くの群衆がイエスに罵りの言葉を投げかけます。
「神殿を3日で建てる人よ」
「神の子なら自分を救え」
「他人は救ったが、自分は救えない」
「十字架から降りて来い。そうしたら信じてやる」
私が子供時代にこの記事を読んだ時、
十字架から降りて来れば良いのにと何度思ったことでしょう。
そして敵たちの鼻の穴をあかしてやれば良いものを…
ご自分がどれほど強いか、
真の神の子であることをここで証明すれば
人々は恐れ入って信じるのに…
そんな風にもどかしく持ったものでした。
ですがもしここで主が十字架から降りてこられたら
預言は成就せず、ご自身がメシアではないことになってしまうのです。
そして私や貴方の罪の処理は不履行となり
救いは完成しなかったのです。
ユダヤ人らのヤジはその点、正しいものでした。
主イエスは「自分を救えなかった救い主」です。
人々が神に求めているものとは
何でしょうか。
ユダヤ人はしるしを求め、
ローマ人は力を求め、
ギリシャ人は知恵を求めて来ました。
日本人はお金を求めて来たのかもしれません。
しかし、神が人に提供するものはそれらではない。
……一つだけのものです。
それは、「十字架につけられたキリスト」(Ⅰコリント1:23)です。
ユダヤ人にはつまずき、異邦人には愚かにしか見えない
その十字架のキリストが、
召された者にとっては神の力であり、神の知恵となるのです。
ハレルヤ。
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