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聖霊のバプテスマについて

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Ⅰコリント12:13。NIV ... Ⅰコリント12:13。NIV Study Bible の解説欄 今月号のクレイにも聖霊のバプテ... 今月号のクレイにも聖霊のバプテスマについての証が掲載。 二人目の証者① 二人目の証者① 二人目の証者② 二人目の証者②
聖霊のバプテスマについて質問をいただきました。

「最近、聖霊のバプテスマを受けていないから力がない、と言われたのです。
これを受けておいた方が良いのですか?」

 聖霊のバプテスマの教えについては、
教団・教派で微妙に食い違うところがあり、統一されて教えられていません。

そのためクリスチャンの間に多くの混乱が広がっています。

多くの見解があるので、牧師は自分の教派が保つ見解を
一つの学説としてしか教えられないのです。

「これが真理であり、神からのメッセージだ」と
牧師が講壇から明確に語ることが出来ないので
混乱があるにもかかわらず、
多くの教会では明白に教えられてこなかったように思います。

私も長い間その一人でした。

ここ6-7年のことです。
聖書を書かれた年代とその文化脈なり当時の分法的技法を通じて
聖書テキストを解釈していこうという視座を与えられてから、

聖書が教えていることについて確信を持てるようになりました。
この聖霊のバプテスマに関する教えもその一つです。

ある教会では、クリスチャンとなった人が受ける
さらに上の段階の聖霊経験であると言います。

他の教会では、聖霊のバプテスマを受けることが、
異言をはじめ聖霊の賜物を受けることになると教えます。

さらに聖霊のバプテスマを信者がいつ受けるかについては、
まるでその説教者なり牧師が決定する権威を持っているかのように迫ることがあるようです。

「本日、ここで決心して受けなさい」と集会の中で
説教者が勧めることがあります。

その多くの場合、会場前方に進み出て
説教者に祈ってもらったりします。

時には、額に手をかざされたりして後方に転倒することもあります。
それが神の業だというのです。

それでは一体、聖書はなんと教えているでしょうか。

「私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、
一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、
そしてすべての者が一つの御霊を飲むものとされたからです。」
Ⅰコリント12章13節。

この聖書個所での「一つのからだ」とは、
キリスト教会のことを指しています。

しかも「目に見えない」「普遍的」なキリスト教会であり、
聖霊によって生まれたすべてのクリスチャンが属しているもので、
それを「キリストのからだ」であると聖書は教えます。

その「キリストのからだ」=「キリスト教会」は
歴史的にいつ誕生したのでしょうか。

BC30年、主イエスが十字架で死なれ、3日後に復活し、
40日間弟子たちに現れなされた後、天に帰られてから10日後、

ペンテコステ(五旬節)というユダヤの祭りの日に
120人ほどの祈っている信者の頭の上に炎のような形で聖霊が降りました。
使徒2章1~4節。

実はその時こそが、
弟子たちが「聖霊のバプテスマを受けた」瞬間であったと
聖書は解説しています。
使徒11章15~16節。

その聖霊のバプテスマを受けた時点で、
歴史上キリスト教会が誕生したのです。

見えない普遍的なキリスト教会と見える地域教会の
双方の概念を含んだキリスト教会の誕生です。

つまり、
信者たちが聖霊のバプテスマを受けた=キリスト教会に加わった
ということです。

もう一度、先ほどのⅠコリントの聖句をご覧ください。
「一つのからだとなるように、一つの御霊(聖霊)によってバプテスマを受けた」
とあります。

ここでも同様に、聖霊のバプテスマを受けることが、
キリストのからだに繋がることであると教えているのです。

つまり、キリストのからだに連なっている信者の全てが
聖霊のバプテスマを受けているというのが聖書の教えているところです。

全てのクリスチャンは、主を信じて新生した段階で、
聖霊のバプテスマを受けているのです。

ハレルヤ。

キリストにあるものは、キリストのからだに連なっているというのが
繰り返しなされている聖書の教えです。

新生して信者となったものは、キリストの内にあるものであり、
キリストのからだ(教会)に連なるものであり、
それは、聖霊のバプテスマによってなされる神のみ業です。

ところでその聖霊のバプテスマにあずかることですが、
今日の私たちには最初の時のキリストの使徒たちの際のようには
目に見えるしるしが伴いません。

炎のようなものが頭にとどまったり、外国語を即座に話し出したりするしるしは、
あのときのペンテコステの時にだけ起こった現象です。

新しい教会時代が到来したことを告げる
神の栄光の表れ(シャカイナグローリー)です。

確かに福音を信じた時に聖霊のバプテスマにあずかっていることを
目に見える様式で行ったものが水によるバプテスマであり、
洗礼式と言われているものです。

つまり、地域教会への正式加入の儀式とも言える洗礼式は、
聖霊のバプテスマによって普遍的な教会の一員に加入されたこと
キリストのからだに連なる器官とされる目には見えない霊的な実質を
見える形で様式化したものといえるでしょう。

 
さらに参考としてこのリンクを紹介します。
エペソ書の引用に混乱が見られますが、言わんとしているところに同意します。4:5「バプテスマ」は、私も聖霊のバプテスマの事を言っていると解釈出来ると思います。
http://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-baptism-Spirit.html
#救済

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