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  • ユダヤ民族の約束の地への帰還①

ユダヤ民族の約束の地への帰還①

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施しを乞うために座っていたパレ... 施しを乞うために座っていたパレスチナ人女性に、そっと食料を手渡すイスラエルの国境警備隊員。誰もが穏やかで平和に暮らすことを望んでいる。エルサレムの旧市街にて。

33 わたしは生きている、--神である主の御告げ--わたしは憤りを注ぎ、力強い手と伸ばした腕をもって、必ずあなたがたを治める。
34 わたしは、力強い手と伸ばした腕、注ぎ出る憤りをもって、あなたがたを国々の民の中から連れ出し、その散らされている国々からあなたがたを集める。
35 わたしはあなたがたを国々の民の荒野に連れて行き、そこで、顔と顔とを合わせて、あなたがたをさばく。
36 わたしがあなたがたの先祖をエジプトの地の荒野でさばいたように、あなたがたをさばく。--神である主の御告げ--
37 わたしはまた、あなたがたにむちの下を通らせ、あなたがたと契約を結び、
38 あなたがたのうちから、わたしにそむく反逆者を、えり分ける。わたしは彼らをその寄留している地から連れ出すが、彼らはイスラエルの地に入ることはできない。このとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。
(エゼキエル 20:33-38 JAS)


現在のイスラエル国家の成立は1948年です。
約1900年間、「約束の国」から離れ、世界中に離散していたユダヤ人が
帰還して国家を再建しました。

そこには神的な奇跡があったとしか結論付けられない要因があります。
 
離散中、死語となっていたヘブル語の復活はその一つでしょう。

人々の日常会話から消え去って千年以上も経過しているというのに、
旧約聖書をはじめ古代の文献にしか残っていない言語が復活して
現在も使われているとは驚くばかりです。

このイスラエルの再建と復興に神的な要素を認めずに
単なる歴史の巡り合わせとか、政治均衡状の偶然だと結論付ける人もいます。

しかし、数千年以上前から旧約聖書にそのことが預言されているのです。
今後数回にわたって、離散したイスラエルの民の再集結と国の復興が預言されている聖書個所を紹介したいと思います。

ここで注意を促したいのは、
聖書は2回に分けてイスラエル人の再集結を預言している点です。

この「2回」というのがとても重要です。

それによって聖書を神のことばとして字義通りに信じる原理主義?の信者であっても、
今日のイスラエル政府の政治的軍事的行為と姿勢に同調する必要はなくなるからです。

たとい神の預言通りに現在のイスラエル国家が成立していたとしても、
その政府に賛同することがクリスチャンに求められていることにはなりません。

それでは今回はその第1回目です。

Ⅰ 第一回目のイスラエル人の集結と国家の復興
 エゼキエル20章33節~38節

この中で特に注目したい点は、

① 「注ぎ出る憤りをもって、あなたがたを国々の民の中から連れ出し、その散らされている国々からあなたがたを集める」(34節)


ここで世界中に離散したイスラエルの民が約束の地に集結することが約束されていますが、それは「注ぎ出る憤り」の後だとあります。

それでは、神がイスラエルに下した憤りとは何でしょうか。
それは第二次大戦中のホロコーストをはじめとするユダヤ人抹殺運動です。

もちろんこのおぞましい民族抹殺行為は悪魔(サタン)からのものですが、
それが起こるのを許容されたという点で間接的に神の行為ともいえるのです。


② 「わたしはあたながたを国々の民の荒野に連れて行き、そこで、顔と顔とを合わせて、あなたがたを裁く。わたしがあなたがたの先祖をエジプトの地の荒野で裁いたように、あなたがたを裁く」(35~36節)


イスラエル人の再集結の後にやってくるのは何でしょうか。
それは神の裁きであるというのです。

かつてモーセに率いられて約束の地に向かっていたイスラエルの民は
不信仰のゆえに多くがシナイの荒野で滅びました。

それと同様の裁きのために集結するというのです。

その「裁き」とは大患難時代と言われてるものです。
これは将来の終末時代にユダヤ人抹殺を目論む世界統一政府によって行われるものです。

その際、ユダヤ人には逃れの地が用意されています。ここの「荒野」とは、イスラエルの地を迫害によって追い出された彼らが避難していく場所でボツラ(ペトラ)のことです。
(ペトラについての預言は今後学んでいきます)


③ 「わたしはまた、あなたがたにむちの下を通らせ、あなたがたと契約を結び、~」(37節)


大患難時代が神の降される「むち」ですが、
そこを通ったユダヤ人は霊的に開眼します。

それまではイエスを悪霊憑きだと拒絶していた人々が、
メシアであると悟るのです。

その信仰が神とイスラエルとの間に結ばれる
「新しい契約」と呼ばれているものです。

迫害が究極まで強まり、民族絶滅の寸前で彼らの目が開かれるのですが、
その時が「あなたがたは、わたしが主であることを知ろう」(38節)との預言が成就するときです。

(結論)
さて、私たち新約時代のクリスチャンもまた、
同様のプロセスを通過して信仰に至った者たちです。

神からの様々な試練や困難を通過して、目が開かれて、自らの罪を悟ったのです。
同時にその罪を処理してくださるメシア・救い主がイエスであることを知りました。

民族として大患難時代にイスラエル人の上に将来実現することは、
異邦人である私たち信者のうちに先に実現しているものです。

神とイスラエルとの間に約束されている「新しい契約」を通じての祝福に
私たち異邦人も参与しているのです。

#救済

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