本日は聖金曜日でした。
英語では、Good Friday です。
主イエスが十字架上での死なれ、
人類の罪の贖いを成し遂げて下さった日です。
主は十字架上で7つのお言葉を述べられた事が
福音書記者らによって記録されています。
息を引き取られる直前の午後3時頃、
第4番目に語られたお言葉に心を留めてみましょう。
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「わが神、わが神。
どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」
(マタイ27章46節)
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❶父なる神との断絶を意味した言葉です。
昨夜、主がゲッセマネの園で祈られた時の「この杯を過ぎ去らせてください」
と訴えられたのは父との断絶であり、そこからの孤独と暗黒でした。
これまで主は常に神に向かって祈る時には「父よ」と呼びかけられ
弟子たちには「我らの父よ」と祈り呼びかけるよう教えられました。
それまでのユダヤ教教師らがそのように神を
人格的な交流のできる対象としたことはありません。
しかしこの十字架上の数時間だけは「父」と呼びかけることが出来ないで、
「わが神よ」と、どこかの遠いお方に呼びかけるほかなかったのです。
永遠の先から絶えず完全で親密な関係であった両者が
ここに至って完全な関係の破綻を迎えています。
主が罪そのものとなって神から処罰されている時間だったのです。
❷メシア(キリスト)預言を完成する言葉です。
このお言葉は詩篇22篇1節からの引用です。
ユダヤ流聖書理解では、詩篇の最初の1節を引用した際には
その詩篇全篇にわたって引用したのと同じことと見なされます。
詩篇22篇にはメシアが十字架で苦しまれる場面の預言がオンパレードで出てきます。
人々の嘲りの言葉、喉の渇き、全身の骨が外されること、着物を分け合ったことや一つの着物についてはクジにしたことなど、まるで目撃したかのような正確な預言の描写が続いています。
聖書を研究するならイエスがメシアである事に疑問の余地がありません。
敗北とも思えるこのお言葉は、ご自分がメシアであられることの宣証でもありました。
❸私たちへの問題提起のお言葉。
主の頭上には罪状書きが掲げられ、世界中から過越の祭にやって来た人々に読まれました。
ヘブル語、ラテン語、ギリシャ語でこのように書かれていたのです。
「ユダヤ人の王イエス」
ユダヤ人指導者らは「ユダヤ人の王と偽証した」と書き直すよう求めますが、
ローマ総督ポンテオピラトはユダヤ人を蔑視するため譲りません。
これがいみじくも神の全世界へのメッセージとなったのです。
ヘブル語は、宗教的民族達のものへ
ラテン語は、工学や軍隊を誇る民族達のものへ
ギリシャ語は、学問を重んずる民族達のもへ
それぞれ書かれました。
ユダヤ人の王であられるメシアが
どうして虫けらのようにして磔刑されねばならなかったのですか?
父なる神が助けだしたら良いのに(預言が成就した群衆の嘲りの言葉)、
なぜ神は関係を遮断しメシアを見捨てたのか?
この問いに私たちは直面せねばなりません。
当時の人々だけでなく
今日の日本人の私たちは一人ひとりに投げかけられている問いであると言えます。
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