数週間ほど前のクリスマス礼拝では、
マタイ福音書2章が説教のテキストとして使われた教会が多かったと思います。
私もその日、隣の街の栄光キリスト教会でゲストスピーカーとして招かれていて
この箇所からお話しさせていただきました。
古来から議論となっているポイントは、
東方で博士たちが見た星でした。
聖書において「東方」とはメソポタミアのことであり
バビロニアかペルシャを示す地域限定用語です。
その地方の博士達が「ユダヤ人の王が生まれたしるし」としての星を見たとして
エルサレムまでやって来ました。
この星の正体については多くの学者達が推論して来ました。
有名なドイツのケプラーは、
木星と火星の融合したものだと結論づけました。
他の学者はハレー彗星であるとか
超新星、
2000年以上の周期にある彗星であると言う人もいます。
しかし聖書を厳密に解釈していくなら
この星がどの天体にも当てはまるものでないことが明らかとなります。
①この星はエルサレムからベツレヘムまで、北から南へと移動しています。
「すると見よ、東方で見た星が彼らを先導し」(マタイ2:9)
惑星は時に通常の軌道から逆方向へ進む場合があります。
その変則行動が博士たちをして導いたと解説している専門書を見たことがあります。
しかしその変則行動であったとしても惑星は東西の軌道上から外れる事はなく
北から南へ移動する博士たちを導く動きになり得ません。
②ある地点にまで進んでいき、そこにとどまっています。
「ついに幼児のおられるところまで進んで行き、その上にとどまった」(マタイ2:9)
あたかも意志を持っているかのような動きです。
進む方向も、止まる地点も、それが現れるタイミングも、
全てが博士らをして幼児イエスに導くためのものでした。
③長旅が報われた安堵と喜びを博士らに与えています。
「その星を見て彼らはこの上もなく喜んだ」(マタイ2:10)
この段階で博士らはまだ幼児イエスに面会はしていません。
その家の前で無常の喜びを抱いたのです。
そのためには誤りなく幼児の場所を探し当てたとの確信がなければならなかったはずです。
つまり、その星は幼児のいる家の屋根のすぐ上に止まったからです。
もしそれが天体の星であるならばその家も、ベツレヘム中の家家も町全体が破壊されていたことでしょう。
それでは、この星の正体とは何か?
次回私が理解しているところをおつたえします。
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