サンフランシスコ郊外にあるペニンシュラ・ホープ教会へ行ってきました。
説教を終えるとあるご婦人が私のところにこられて
「今日のお話は今の私にぴったりで、私のために語ってくださったように思います」
と言ってくださいました。
この方は翌日ハワイへ日帰りの旅をされことも話されました。
あるご家庭の問題ゆえにある特別講師に会い、祈っていただくとのこと。
お話をかがうと、確かに私が説教の中で話した例話とそっくりなものでした。
今の時代でも聖書時代と同様に神は生きておられ、
時に癒し(病からの回復)の奇跡を起こされる事があると私は信じています。
ただ時にはその願いはかなえられず、癒されない場合もあります。
その結果の成否は人間の願いの強さやその人の信仰の強弱にあるのではなく
神ご自身の占有的な意思にあると思います。
神の奇跡の業は、鈍感で不信仰な私たちに対する神からの思いやりであると言えないでしょうか。
もし願いがかなえられ癒されたとしたら、
私たちは大いに喜び神をほめたたえるはずです。
しかしそれはほんの一時のことですぐに恵みを忘れてしまうこともあり得ます。
聖書にはそんな実例が出てきます。
一方願いが叶えられなかっとしても神の最善を疑わずにいることができるなら、
それは強い信仰と言うものです。
神は私たちの持っている信仰のマス目に応じて事を行ない、
叶ったりかなえなかったりするのではないでしょうか。
忍耐心のない者にはすぐにでも甘いものを与えねば駄々を捏ねてしまうが、
忍耐心があると見込んだ者にはそれを止めるのです。
試練や困難は私たちに対する神からのチャレンジです。
「大変だ、苦しい、どうにかしてくれ」とアップ・アップしてしまう時、
実は神はあなたを見込んでいるのです。
試練を通してでなくては得られない貴重な学びや教訓があるからです。
神はあなたに耐えられない試練を与える事はなさいません。
脱出の道も既に備えられていると聖書は教えています。
「あなた方のあった試練はみな人の知らないようなものではありません。
神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることができないような試練に合わせるような事はなさいません。むしろ耐えることの出来るように試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
Ⅰコリント10:13
今週もこの主があなたと共にいてくださいます。
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