「なおも」神をほめたたえる
Feb
27
健康には、好-不調がある。
身体的にも精神的にもリズムがあるし、
リズムの浮き沈みの波は誰もが経験する事でしょう。
今朝起きて窓の外を見たら辺り一面は白銀の世界。
ます気になったのがスクールバスが運行しているかどうか。
ないなら学校が休みになるはず。
学校からは連絡がないので
いつも通りバス乗り場まで息子を連れて行く。
バス通りに出てみるとすでに長蛇の行列となっていて車が動いていない。
なんとか間に合って、再びそのバス通りで帰宅。
すぐに娘を高校に連れて行かなくてはならない。
週末、友人の家をはしごし寝不足が続いていたためだろうか
彼女は寝起きも悪く出発準備が整っいない。
ここで「早く早く」と急かすほど逆効果となる事は
これまでの経験から学んできた。
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天候も家族も自分自身の健康も
全ては思い通りにいかないものである。
うまくいったから機嫌よく
そうでないから不機嫌になると言うのでは
人生やっていけない。
私どもの魂は直接創造者なるお方ににつながる事が出来る。
そうしたならば私の環境にはかかわらず
変わらない絶対の安心を天から届けてくださるのです。
「わが魂よ。
なぜお前は絶望しているのか。
御前で思い乱れているのか。
神を待ち望め。
私は『なおも』神をほめたたえる。
私の救い、私の神を」
(詩篇43篇5節)
この詩篇が書かれた背景はバビロン捕囚であるとされています。
故国を追われ異国人に
「お前の神はどこにいるのか」と嘲笑されているイスラエル人。
そのような絶望の淵にあって
『なおも』神をほめたたえている信仰の姿勢。
この同じ絶望の中からの一筋の光とも言うべきひらめきが
同じ言葉で42篇5節と11節に繰り返されています。
苦難のただ中にあって
『なおも』
神を神として崇める姿勢は美しいものです。