「わたしは、あなたがわたしの名をとこしえまでもここに置くために建てたこの宮を聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある」(Ⅰ列王記9章3節)
私が高校時代から35年以上もお付き合いのある大先輩の牧師から言われました。
「毎朝、あなたのために祈っています」
衝撃的な言葉です。
私はその方が社交辞令で言っていないことを知っています。
毎朝、私のために祈っているいる方がおられる。
なんと尊い宝物を私はいただいてることでしょうか。
先日帰国した時にその方とお会いしたのは、実に8年ぶりでした。
それほど時節がかけ離れているにも関わらず、
「毎朝」祈りの中で覚えておられる。
わたし自身は?
その先輩牧師だけでなく一体誰かの為に毎朝祈ってきただろうか。
恥ずかしい気持ちでいっぱいです。
今朝の聖句は、ソロモンがエルサレムに神殿を建立し奉献式を終えた後に
神ご自身が彼に現れて語られた箇所です。
エルサレム神殿には、常に神ご自身の目と心とが注がれている。
さらにイエスが教えられたことがあります。
イエスの霊が私たち自身の心に宿り、共に住んでくださると。
すなわち神ご自身の配慮と祈りの心が毎朝、いや常に私たちに向けられていると。
かつて神の霊である聖霊がソロモン神殿に宿ったように、
今や信者の心に聖霊が宿り、イエスの臨在される王座が設けられているのです。
これもまた、かたじけない限りである。
「あなた方の体は、あなた方のうちに住まわれる神から受けた聖霊の宮である」(Ⅰコリント6章19節)
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