今年1月の聖地旅行、神殿の丘から
「あなたがたの信仰の通りになれ」
マタイ9章27ー31節
27,イエスがそこから進んで行くと、目の見えない二人の人が、「ダビデの子よ、私たちをあわれんでください」と叫びながらついて来た。
28,イエスが家に入られると、その人たちがみもとに来た。イエスが、「わたしにそれができると信じるのか」と言われると、彼らは「はい、主よ」と言った。
29,そこでイエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。
30,すると、彼らの目が開いた。イエスは彼らに厳しく命じて、「だれにも知られないように気をつけなさい」と言われた。
⑴「ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」
①絶望的な状況
当時は生活保護や社会保障のなかった時代。
2人の盲人がかろうじて糊口を凌ごうとすれば道端での物乞いしかなかった。
その底辺に置かれた悲惨さは彼らを失望に陥れるだけでなく
目を上に上げさせる機会となった。
②「ダビデの子」とは、ユダヤ的表現でメシアを指し示すタイトルである。
メシア到来の時代、
盲人の目を開け
耳しいの耳が開けられ
足なえも癒されて
すべての病から解放された人々が
平和と豊かさを享受する時が来ることをユダヤ人は知っていた。
イザヤ35章。
⑵「わたしにそんなことができると信じるのか」
①ゆだねられている選択
信じるかどうかは誰とも強制出来ず、
100%各自の選択に任されている。
かつては領主や家長の影響が強く彼らの宗教が個人の宗教であった。
今でも思想信条の自由が許されずに
政治リーダーを崇拝信仰させられる国々もある。
失うものがなかった底辺の盲人としては
自由な選択は容易かったであろう。
②その選択に伴うチャレンジ
「叫びながらついてきた」のは、
イエス一行が彼らの声に聞き耳を立てず通り過ぎていったからである。
さらに一行が家に入られた後も諦めずに追跡し
イエスの御許にまでやって来ている。
何という一途な探究心であろうか。
幾多のチャレンジをはねのけるほどの真摯さがあった。
信仰とは行動に現れ出るものである。
⑶「あなたがたの信仰の通りになれ」
①信仰とは神の力ためにと引き出すチャンネルとなり得る。
その信仰が生き働いたのは、
神からの啓示(イザヤ35章)に対する真剣な応答があったからである。
弟子たちは「信仰が薄い」と叱責され(マタイ8:26)、
長血の女はきっと治ると信じ(同9:21)、
会堂司は娘が生き返ると信じて(同9:18)
そのように信じたとおりの事が起こった。
②各人の信仰深さが奇跡を打ち出したのではなく
イエスご自身によるものである。
「イエスは彼らの目に触って」御業を行われた。
神の栄光が拝される大きな業を見る時、
人でなくイエスご自身がなされている。
(結論)
社会や家庭などの後天的影響によって
人は宗教も限定されるように思われているが
実は各人に信仰の選択が委ねられている。
これは感情のレスポンスが環境に支配されるのではなく
主体的に選択しているのと同様である。
以下の例を参考にどうぞ。
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ある看護師のお話しです。
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「ナースはどこだ!?」
「ナース!! ナース!!」
「ナース!! ナース!!」
毎晩、この病棟では
ある年老いた男性患者が
看護師を呼びつける声が響いていました。
「ナースはどこだ!?」
「ナース!! ナース!!」
毎晩、この年老いた男性患者の叫び声が病棟に響きわたり
この患者は病院の職員、全員から嫌われていました。
そして、職場の職員同士で
「早く死んでくれればいいのに...」
という会話もささやかれるほどでした。
ある看護師も連日
この年老いた男性患者の標的にされ
何かと呼びつけられては、暴言を吐かれるのです。
看護師の頭の中では
繰り返し、繰り返し
この患者のフレーズが鳴りやみません。
「ナースはどこだ!?」
「ナース!! ナース!!」
「もう、やめて!!」
看護師はいつしか
職場に行くのが憂鬱になっていきました。
「今日もあの患者に呼びつけられる...」
「どうして、私が...」
「私が何したっていうのよ!! ...」
いつの間にか看護師は
この患者の被害者となっていたのです。
しかし、
看護師はあるセミナーに参加し
そこで、衝撃のフレーズを耳にします。
「あなたが自分で犠牲者になることを選んだのです。」
この看護師は
「なんですって!!」
「私が犠牲者になることを選んだですって?」
「あの年老いた男性患者の犠牲者に私が?」
「絶対にそんなことはありえない!!」
そう思いました。
「・・・・・」
しかし、
次の瞬間、この看護師は
言葉にもならない気づきを得たように
何やら隣の席にいた友人に話始めました。
そして
セミナーの休憩が訪れ、看護師に訪ねたのです。
「あなたの中で何が起きたのですか?」と。
看護師は興奮した様子で
「信じられない体験をしたんです!
私はあなたの言ったことが信じられませんでした。
私が被害者になることを選んだなんて言うから。」
「絶対にそんなことないって思った瞬間
私には被害者にならないことを選べるんだって
閃いたんです。」
「私は被害者ではなくて、
自分の感情は自分で選べるんだってことが
わかったんです。」
「そうしたら、嬉しくて、
もう牢獄から解放されたような気持ちになって
立ち上がってしまったんです。」
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以上、ある看護師の話でした
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コヴィー著「7つの習慣」から
実際に起こったコヴィー博士の体験談です。
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