「顔と顔合わせて神を見る」
Aug
18
「顔と顔とを合わせて神を見る」
創世記 32章24~32節
"ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
その人はヤコブに勝てないのを見てとって、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。
すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」ヤコブは言った。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」
その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」
ヤコブは願って言った。「どうか、あなたの名を教えてください。」すると、その人は「いったい、なぜ、わたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。
そこでヤコブは、その場所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。
彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に昇ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。
こういうわけで、イスラエルの人々は今日まで、ももの関節の上の、腰の筋を食べない。ヤコブが、ももの関節、腰の筋を打たれたからである。"
⑴死の縁に立つこと
①ある人との格闘
人の策略と知恵とを動員しても拭い去ることのできない不安と恐れ
②「祝福して下さるまではさらせません」
神を見る事は死を意味する。
死を賭してまで、己の存在に勝って求めるものがあった。
⑵自己の本性の告白
①「あなたの名は何と言うのか」
「ヤコブです」〜「押しのけるもの」
出生から今まで他者を押しのけ自己の利益拡大を諮ってきた
② 「イスラエル」と改名
「神の皇太子」「神が戦われる」
ここで本性が変えられた。
⑶新たな原理で生きる
①もものつがいがが外された
自己の力には頼らず、自己の砕かれた様子
②「太陽が彼の上に上った」
「義の太陽」である主イエスに照らされて歩む人生の始まり
(結論)
"しかしあなたがた、わたしの名を恐れる者には、義の太陽が昇る。その翼に癒やしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のように跳ね回る。"
マラキ書 4章2節
神を見るとは、私を見ておられる方を自覚し認識すること。私の本性を知った上で受け入れてくださる方。そこでは不安が溶けて、癒しと喜びが湧く。