ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「主よ。お話し下さい。しもべは聞いております」
サムエル記 第一 3章1~15節
"さて、少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。
その日、エリは自分のところで寝ていた。彼の目はかすんできて、見えなくなっていた。
神のともしびが消される前であり、サムエルは、神の箱が置かれている主の神殿で寝ていた。
主はサムエルを呼ばれた。彼は、「はい、ここにおります」と言って、
エリのところに走って行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。帰って、寝なさい」と言った。それでサムエルは戻って寝た。
主はもう一度、サムエルを呼ばれた。サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。わが子よ。帰って、寝なさい」と言った。
サムエルは、まだ主を知らなかった。まだ主のことばは彼に示されていなかった。
主は三度目にサムエルを呼ばれた。彼は起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは、主が少年を呼んでおられるということを悟った。
それで、エリはサムエルに言った。「行って、寝なさい。主がおまえを呼ばれたら、『主よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。」サムエルは行って、自分のところで寝た。
主が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。
主はサムエルに言われた。「見よ、わたしはイスラエルに一つのことをしようとしている。だれでもそれを聞く者は、両耳が鳴る。
その日わたしは、エリの家についてわたしが語ったことすべてを、初めから終わりまでエリに実行する。
わたしは、彼の家を永遠にさばくと彼に告げる。それは息子たちが自らにのろいを招くようなことをしているのを知りながら、思いとどまらせなかった咎のためだ。
だから、わたしはエリの家について誓う。エリの家の咎は、いけにえによっても、穀物のささげ物によっても、永遠に赦されることはない。」
サムエルは朝まで寝て、それから主の家の扉を開けた。サムエルは、この黙示のことをエリに知らせるのを恐れた。"
⑴祈りの人の訓練
体験的宗教の未経験(7)
②人の声と神の声との判別ができていない
世界にある学問や知恵と神のことばとの次元的相違
⑵祈りの人の召命
①聞く姿勢から始まる
祈りとは注文を神に突きつけることではない
② 問題との戦いの最中にこそ「声」がある
⑶祈りの人の行歩
①啓示されたことに従って生きる
②忠実な日課の遂行
「サムエルは朝まで眠り、それから主の宮の扉を開けた」
(結論)
政治や宗教界が混沌とした時代にサムエルは育てられていった。神とのコミニュケーションである祈りが確立されたのは、彼の保持した祈りの姿勢にある。問題の中に秘められた「声」を聞き分け、新しい啓示をいただこう。
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