「大雨の音がするから」
Aug
30
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「大雨の音がするから」
列王記 第一 18章41~46節
"エリヤはアハブに言った。「上って行って、食べたり飲んだりしなさい。激しい大雨の音がするから。」
そこで、アハブは食べたり飲んだりするために上って行った。エリヤはカルメル山の頂上に登り、地にひざまずいて自分の顔を膝の間にうずめた。
彼は若い者に言った。「さあ、上って行って、海の方をよく見なさい。」若い者は上って、見たが、「何もありません」と言った。するとエリヤは「もう一度、上りなさい」と言って、それを七回繰り返した。
七回目に若い者は、「ご覧ください。人の手のひらほどの小さな濃い雲が海から上っています」と言った。エリヤは言った。「上って行って、アハブに言いなさい。『大雨に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。』」
しばらくすると、空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい大雨となった。アハブは車に乗って、イズレエルへ行った。
主の手がエリヤの上に下ったので、彼は裾をたくし上げて、イズレエルの入り口までアハブの前を走って行った。"
(1)未だ見てないものを信じて〜「飲み食いしなさい」(41)
①飢饉の終焉を預言したことば
3年半の期間、降雨なく、国には作物が育たない。
イスラエルにとり毎年の降雨量は死活問題。
②大雨の音が聞こえるまでの信仰
神を求めるものは神の存在とまたその応答と信じていなくてはならない。
"信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。"
ヘブル人への手紙 11章6節
(2)その信仰に至ることが出来た理由
①主のことばを聞くことによる(18:1)=観念論
真実の信仰は人の空想やまた人の与えるフィクションから始まらない。
聖書の言葉に耳を傾けることによる
②主の言葉を行うことによる(17:2-5、17:8-9)=経験論
ヤコブ1:22-23
⑶信仰の祈りが事を成就させた秘密
①沈潜した祈り〜「自分の顔を膝の間にうずめた」
地上のユダヤ人の祈り姿勢とは異なる。
主イエスの教えに通じるものがある
「隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい「(山上の垂訓)
②執拗な祈り〜「7度繰り返しなさい」(18:43)
「何もありません」との失望する報告にも耐え続けた祈りであった。
(結論)
祈りは嘆願、願望、執り成しから始まる。
やがて長時間の格闘を経て神との同じ立場や見地に至る。
そこは永遠者との合一の世界であり、祈りの極地である。
主イエスの夜を徹した祈り。
モーセのシナイ山での40日40夜の祈り。