「いのちの神の御言葉」
Feb
1
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです
「いのちの神の御言葉」
使徒の働き 13章42~49節
"二人が会堂を出るとき、人々は、次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼んだ。
会堂の集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちがパウロとバルナバについて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みにとどまるように説得した。
次の安息日には、ほぼ町中の人々が、主のことばを聞くために集まって来た。
しかし、この群衆を見たユダヤ人たちはねたみに燃え、パウロが語ることに反対し、口汚くののしった。
そこで、パウロとバルナバは大胆に語った。「神のことばは、まずあなたがたに語られなければなりませんでした。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者にしています。ですから、見なさい、私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます。
主が私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを異邦人の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者とする。』」
異邦人たちはこれを聞いて喜び、主のことばを賛美した。そして、永遠のいのちにあずかるように定められていた人たちはみな、信仰に入った。
こうして主のことばは、この地方全体に広まった。"
(1)汲み取られたみことば
①「人々は次の安息日にも同じ言葉を話してくれるように頼んだ」(42)
オウム返しに同じ事柄を聞きたいと言うのではない
②依頼した「人々」とは信仰を抱いて聞きたいと言う姿勢の人々(43)
彼らには人たちの言葉が単なる知識教養伝達ではなく神の言葉=メッセージとして受け取った
(2) 2つの結果をもたらしたみことば
①信仰の応答(44)
「神の言葉を聞きに集まってきた」〜説教に内在している神のメッセージを聞き取ろうとの姿勢
②不信仰の応答(45)
「ねたみに燃えた」ユダヤ人たち〜神の御言葉がいのちを持って人々にせまらる時、常にこの両極端の対応が生まれる
⑶神ご自身を体現するみことば
①「主の言葉=神を賛美した」(48)
異本で同意語として翻訳されていることがわかる。
御言葉を通じて上と出会い、神と交流し、神に至るのである。
②「主のみ言葉は、この地方全体に広まった」(49)
主ご自身が広められていたことと同意。
信仰に入るのは各位の決意であるが、同時に主の選びという神秘性がある(48)
(結論)
聖書を開くときに、ここから神ご自身を体験する触媒としてのみ言葉に聞き入ろう