「神と格闘する宗教家」
Jun
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「神と格闘する宗教家」
創世記 32章24~32節
"ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
その人はヤコブに勝てないのを見てとって、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。
すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」ヤコブは言った。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」
その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」
ヤコブは願って言った。「どうか、あなたの名を教えてください。」すると、その人は「いったい、なぜ、わたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。
そこでヤコブは、その場所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。
彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に昇ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。
こういうわけで、イスラエルの人々は今日まで、ももの関節の上の、腰の筋を食べない。ヤコブが、ももの関節、腰の筋を打たれたからである。"
(1)宗教が現実味を帯びる時
1人になれた時〜思いがけない神からの接近(ベテル経験:創世記28章)
家族の元を離れざるを得なかった。
叔父ラバンの元での生活は未知数で不安。
② 1人となったとき〜神を求めざるを得ない苦境(ペヌエル経験)
家族を先に旅立たせ自分は1人残った。
兄エサウとの再会は想像するも、激しい恐れ。
(2)宗教の核心に迫る時
①神の顕現〜夜明けまで格闘した相手
神についての知識や思想、想念することとは違う。
「どうかあなたの名を教えてください」-実存する存在の実質を会得せんとの願い。
②神との会話
「わたしを去らせよ。夜が明けるから」
「去らせません。私を祝福してくださらなければ」
「あなたの名は何と言うのか」
「ヤコブです」
⑶ 宗教の源泉が変革をもたらす時
①そこには命をかけたやりとりがあった
「顔と顔と合わせて神を見たのに、私の命は救われた」
死線を超えた戦いを終えた今、彼の人生は変革された。
②「ペヌエルを通り過ぎた頃、太陽は彼の上に上ったが
彼はそのもものためにびっこひいていた」
彼の恐れと不安の雲は過ぎ去り、エサウと対峙する勇気が与えられた。
それは自己信頼からの蛮勇ではなく、謙遜を知り太陽に照らされた委任と静寂さ。
(結論)
1人となれる時とは、特別な技術が必要とされる。
私たちは神と相撲を取るほどに、聖霊様との折衝に生きることが少ないのではないか。
聖霊様も主イエスも神の言葉も、父なる神との交流に私たちを導く手段である。