「躓いたとしても」
Feb
26
「躓いたとしても」
マルコの福音書 14章26~31節
"そして、賛美の歌を歌ってから、皆でオリーブ山へ出かけた。
イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散らされる』と書いてあるからです。
しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。」
すると、ペテロがイエスに言った。「たとえ皆がつまずいても、私はつまずきません。」
イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。まさに今夜、鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います。」
ペテロは力を込めて言い張った。「たとえ、ご一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」皆も同じように言った。"
(序論)
躓く=スカンダリゾ=罠を仕掛ける、転ばせる、怒りを起こさせる、攻撃を仕掛ける、などの意味
(1)弟子たちは躓くとの予告
①躓く〜(受動態)自分の意思判断ではコントロールできない動作。
ここの文脈では弟子たちが皆、イエスを見捨て逃げていくことの予告。
②弟子たちの意思にはそのようなつもりはない。
ペテロ(29)や他の弟子たち(31)の返答には真摯さが見える。
(2)それ鳥瞰され客観視された予言
①「〜と書いてありますから」
数百年前のゼカリヤ予言。主イエスはすべての状況を把握し弟子たちの心理状態も客観的に理解されておられた。
②置かれている状況、自分自身の限界を知らない弟子たち。
熱心さや真摯さはあるがどこまでも狭窄された状況判断と主観からの応答。
⑶「先にガリラヤへ行きます」
①そこは多くの弟子たちにとって召命前の生活の場所。
手持ち無沙汰な彼らはとりあえず漁師の仕事に戻る。
②甦り来られるの主は、先回りしてそこに来られる。
主イエスのことがわからなくなり元の境遇に戻ったとしても、
そこで新たな主イエスとの出会いがある。
(結論)
躓き傷ついた私を全て主はご存知であられた。
自信をなくし信仰を失いかけたものを受け止め赦すために。
この私をご自身の愛で満たすために。