ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「圧倒的勝利者」
ローマ人への手紙 8章34~39節
"だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。
だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
こう書かれています。「あなたのために、私たちは休みなく殺され、屠られる羊と見なされています。」
しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。
私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、
高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。"
(1) 有限なるものと無限なるもの
①私たちは限りある存在〜故に挫けるし、恐れるし、失望を味わう
苦難、苦悩、迫害、飢え、裸、危険、剣が信仰から遠ざけ
キリストにつまずくのではとの恐れを抱く
②キリストにおいて表された愛は絶対
私たちはこの愛から「引き離すものはない」(35、39)
(2) 被造世界にある有限なるものと神にある絶対なもの
①天的存在である被造世界でさえも神の愛の前には色褪せる
「死も、いのちも」〜人間にとっての究極的なリアリティ
「御使いたちも」〜天的な存在
「支配者たちも」〜現実世界の権威者
「今あるものも、後に来るものも、力あるものも」〜到来する時代の趨勢
「高さも深さも」〜人智では知り得ず経験できない深淵の世界
② 神の愛の前には意味をなくす程に無力である
これら強力な被造世界であっても神の愛から私たちを引き離すものはない
⑶圧倒的勝利者
①屠られる羊とみなされた」(36)という現実は
私たちをうちのめし、途方に暮れさせることもある
②しかしそのただ中にあって圧倒的勝利者となり得るのは、絶対なる神の愛ゆえ
ローマ時代の凱旋将軍以上の消費者と言う事。
(結論)
今も主イエスは私たちに十字架の血を注ぎ、
神を「アバ・父」と呼ぶ聖霊を私たちに注いでくださっている。
眠っていた神の子としてのあり方が立ち上がる。
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