「いつかは知らなくとも良い」
Dec
4
「いつかは知らなくとも良い」
使徒の働き 1章10~11節
"使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」
そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」
イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。
しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」"
使徒の働き 1章4~8節
"イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。
そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」"
(1) 弟子たちの悲願
①「イスラエルに王国を復興してくださるのは、今ですか」
かつてエルサレム中の人がその強烈な悲願に期待をかけたが、主は十字架へ向かい、
人々の失望は、怒と憎しみに変えられた
②聖霊の中へバプタイズされることへの言及。新しく画された時代への言及は、弟子たちへ勘違いを産んだ
(2)イエス様の肩透かしな応え
①「いつとかどんな時とかは、あなた方の知るところではない」
イエス様のおられるこの時に、自分が活躍できるこの時代に、生きている目で悲願の成就を見たいとの彼らの熱い願いは聞け届けられない
②私の期待通りの時に、祈りの応答のない時
祈り自体が間違っていたのか、信仰が足りないのか、神は聞いてくださらないのか、
祈ることを信じることを諦めてしまいやすいのが私たち。
(3) 時について権威を持って定めておられる方がおられる
①弟子たちの悲願は、聖書の約束に基づくもの
神がアブラハムに約束されたものは、神の誓いを経て永遠に不変である
②その約束の実現時期については、父なる神のみが知っておられる
驚くべきことは御子イエスでさえ、御使いさえ関知されていない
父なる神に属する排他的専権事項
(結論)
あなたの願い通りに今ことが運ばなくても、信仰の祈りを捨ててはならない。
神はご自身の御心の時にその祈りに答えを与えられるから。
①アブラハムに子供が与えられたのは、約束の時だった(創世18:14)
②ユダヤ人の希求していたメシアは、運命の時に来た(ガラ4:4)
③祈りは、運命のとき(Due to time)にきかれる(1ペテロ5:6)