「神の力による信仰」
Jan
21
「神の力による信仰」
コリント人への手紙 第一 2章1~5節
"兄弟たち。私があなたがたのところに行ったとき、私は、すぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を宣べ伝えることはしませんでした。
なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。
あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。
そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。
それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです"
(1) パウロの宣教主眼〜人々に「信仰」を惹起させること
①聖書の語る「信仰」は何でないのか
自分の力で神を信じること。願いや仮定を肯定し、説得させようとすること。
実は私たちは信じることを頑張っては出来ないし、コントロールもできない。
②聖書の語る「信仰」とは
他者の真実に接触した時、自分の中の真実が立ち上がり、これに応えようとする営み。
最大の他者なる神の真実に触れる時、それまでなかった真実が蘇って、神に任せている自分を発見する。
(2) パウロの宣教形態〜その見えるところ
①優れた言葉と知恵とを用いなかった。
コリント教会、ギリシャ世界のトレンドとは真逆。
むしろ、イエスキリストの十字架以外に何も知らないとした。
②健康的にも弱く、さらに恐れおののいていたマインド。
肉体的健康に恵まれず、それが気力や気分にもネガティブに波及していた。
(3) パウロの宣教実態〜その隠れたところにあったもの
① 御霊と御力の表れ。
聖霊の臨在が疑いようもなくその場を覆い、神の力ある業によって病人が癒されていった。
② 神の力によって支えられる信者を排出。
教会内のあるものは、人間的な魅力や力に頼るシンパを形成(2:4)していたが。
(結論)
私の理解を超えた聖霊様の働きを見させていただこう。
イエス様が今も生きておられることを知らせていただこう。
与えられる信仰によって、神の御霊に導かれて。