「透徹された秩序」
Mar
12
「透徹された秩序」
マタイの福音書 8章5~13節
"イエスがカペナウムに入られると、一人の百人隊長がみもとに来て懇願し、
「主よ、私のしもべが中風のために家で寝込んでいます。ひどく苦しんでいます」と言った。
イエスは彼に「行って彼を治そう」と言われた。
しかし、百人隊長は答えた。「主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒やされます。
と申しますのは、私も権威の下にある者だからです。私自身の下にも兵士たちがいて、その一人に『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをしろ』と言えば、そのようにします。」
イエスはこれを聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた。「まことに、あなたがたに言います。わたしはイスラエルのうちのだれにも、これほどの信仰を見たことがありません。
あなたがたに言いますが、多くの人が東からも西からも来て、天の御国でアブラハム、イサク、ヤコブと一緒に食卓に着きます。
しかし、御国の子らは外の暗闇に放り出されます。そこで泣いて歯ぎしりするのです。」
それからイエスは百人隊長に言われた。「行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどそのとき、そのしもべは癒やされた。"
(1)権威の下にある百人隊長
①日常経験から
軍隊の規律は、権威と秩序をいやがおうにも知らしめた
②日常経験をキリストの世界にも援用した
「行け」と言えば行く権威の下にある世界に生きていた」(9)
(2) 権威や秩序を見出せない私たちの世界
①病、心身の汚れ、罪、イライラや高慢、壊れた人間関係など多くの無秩序にさらされている
健全な状態が何であるかを分かっていても、その相手や環境、自分自身でさえも変えることができず、いつしか諦めてしまう。
② カオス(混沌)の中に浸っているとあきらめが先に来てしまう。キリストの話を聞いても自分とは無縁の世界であると決め込んでしまう。
(3) 声に出して願う事から1歩が始まる
①「ただお言葉を聞かせて下さい」
「光あれ」と言われた神は、その瞬時に光を創造された。
②主は待っておられる
「イスラエルの家の誰にも、このような信仰は見たことがない」(10)
すべてを統べおさめておられる方は、私たちを心配し深く憐れんでおられる。
(結論)
混沌としている私の心にも周囲の世界にもキリストの権威が存在していることを認めよう。
主が仰せられたらその通りになる。主の絶対的な主権者としての発動を求めようではないか。