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我が家の夕食に、その後のホサナ教会に出席くださってありがとう。
エリックは鶴岡で1年間英語補助教員をしながら鶴岡教会にも仕えて来ました。
明日ニューヨークの自宅に帰る前に寄ってくれて感謝。
Thanks for coming to my house and attending Hosanna Church tonight, Eric.
Your service in Tsuruoka means a lot to the schools and Tsuruoka church.
God keep bless you on the way home to NewYork tomorrow.
おじいちゃん、おばあちゃんに会えてうれしかった〜
東北自動車道のサーヴィスエリアにもあったシアトルの形跡
羽田空港ターミナルに隣接しているエクセルホテルに宿泊。
今回の航空チケットにはこのホテル一泊が組み込まれていたのがうれしい。
羽田には夜の10時過ぎに到着し、
そのまま受け取った荷物を転がしてチェックイン。
機内ではほとんど眠れなかったので
通常の睡眠時間帯がホテルのベットで確保できる。
一夜が明ければ日本時間で無理なく行動できる。
先ずは横浜の両親宅へ。
私たちをランチを準備して迎えてくれた両親はすでに二人とも
85歳であるが、その健在ぶりに安どできるのがうれしい。
その後は一路山形へ。
東北自動車道から左折して山形自動車道を10分ほど走ると、
遠く山々の連なりに霞がかかる威容が
目前に広がるようになる。
異なる国、
おとぎの国、
それはまた、私どもの第二の故郷である国に帰って来た。
ベルビューの我が家に戻り
緑の中に包まれる。
ニューヨークでは、どこを振り向いても
コンクリート・ジャングルの世界だった。
私に限ってのことであろうが、
ストレスにさらされて息抜きも出来ない。
手入れをしていない伸び放題の植木であるが、
それらをボッと眺めているだけで、数秒人間味を取り戻していく気がした。
Lower East Sideにある日本レストランにて
ここは釜飯で有名。私の注文したサーモンいくら丼。
この日はのんちゃんの誕生日。
そのお祝いを兼ねての夕食をマンハッタンの日本レストランでしました。
ニューヨークに来るたびにお会いしている
錦織先生とも一緒に。
FBで当地に駐在していることは昨年から知っていましので
のんちゃんとはお会いしたいとかねがね考えていました。
私が川崎教会にいた時の彼女は中学生、
その後私が渡米して間もなく、
大学生となったのんちゃんは
シアトルに短期留学生として来られたときにお会いしています。
現在は大手銀行の駐在マンの主婦として立派に成長され
ニューヨークライフを満喫されておられる様子。
それでも中学生頃のみずみずさを失なうことなく、
変わらずに屈託のない笑顔と優しさを届けてくれる
のんちゃんを頼もしく感じました。
リトル東京は殷賑を極めている。すごい人だかり。
ロスでの同窓会第二弾は
イスラエル聖地旅行の仲間たち。
10年前、聖地旅行を共にして
ロスにお住いの方々に集まっていただきました。
数年振りに再会したり、
10年振りだったり、、
定年退職されて隠居ホーム?に滞在されていたり、
一念発起されてアジアの国へ宣教へ出て行かれたり、
転倒して入院された方、
ガンを克服された方、
皆さんそれぞれの試練をくぐり抜けながら
それでも、いやその時こそともに歩んでくださった主イエスを証ししてくださいました。
10年の月日は年齢を実感させるだけの変貌を遂げたお互いですが、
いよいよ主の恵みに生かされて、輝いていらっしゃる皆さんに励まされました。
「私たちは勇気を失いません。
たとい私たちの内なる人は衰えても
内なる人は、日々新たにされています。」
(Ⅱコリント4章16節)
長男は写真に撮られるのが大嫌い。
それが見つかって、ボールを蹴り飛ばしてきた( ̄▽ ̄)
ロープ上を歩いて渡るスポーツに子供らが挑戦。
簡単そうに見えて、
以外ととバランスを取るのが大変。
キツくロープを張れば揺れも少なくなるかも…
それで限界まで張ってみたが…
やはり杖がないと渡れず。
私もその上に乗っただけで歩くのは無理と判断して棄権しました(^_^)
先週、私の卒業した神学校の元院長
蔦田公義(ただし)師が召天された報が届いた。
遠国ゆえ、葬儀に出席出来ないもどかしさ。
享年75歳は今の時代、早すぎるお別れでなかろうか。
約30年前、19歳で全寮制のインマヌエル聖宣神学院に入学が許された時、
元インド宣教師であった蔦田院長は、精鋭バリバリの40代半ばであられた。
何も分かっていないはな垂れ小僧を
忍耐の限りをもってご指導下さった私の恩師であられる。
教室ではギリシャ語、ヨハネ福音書、完全論などを教えていただいた。
クリスマス・ヴェスパーの神学生コーラス隊での情熱溢れる指揮のお姿も忘れられない。
祈りの人であり、かつビジョンの器であられた。
学究的でありながらも、全身からほとばしるような熱心さを保たれた説教者。
いつの間にか、当時の院長先生の年齢を超えてしまった自分が信じられない。
未だ遠く及ばないが、牧師としてばかりか信仰者としての模範であってくださった元院長。
ある日のチャペルでのメッセージで
ある召天された同僚の牧師のことに触れた際、
「いいなぁ、あの先生は。すでに天に凱旋されて……
今はイエス様とともにあられるのだから」
と実感を込めて語られたのを覚えている。
今振り返れば、
院長として、教会の主任牧師として、
さらに神学院の隣接する土地買収の複雑な戦いの中にあって、
激務の連続の中を通っておられたようだった。
激痛の伴った闘病生活だったとも聞く。
憧れていらっしゃった天に
ようやく凱旋された恩師。
これまでありがとうございました。
ゆっくりとお休みください。
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