こんなにも順調にフライトまで進むのは珍しい。 ダウンタウンを抜けて高速に乗るまでの数マイル間、 今回は渋滞がなかった。 レンタカー返却後にシャトルバスで空港まで行くが そのバスがすでに私を待っていてくれた。 空港ではチケットカウンターにも、保安検査場にも行列はなく そのまま先頭へ。 フライトも定刻通り。 よって、サンドイッチで夕食を搭乗時までに終了。
オークランドからサンフランシスコにまたがる ベイブリッジを通って来ました。 新しい橋がかけられてから すでに1年以上は経過しているはず。 今は使われなくなった古い橋が 真新しいモダンな橋の隣で申し訳なさそうに佇んでいる。 毎回ここに来るたびにその哀れで黒ずんだ老朽橋を眺めるが 撤去作業はあまり進んでいない。 今日も無言のまま 渋滞にはまって身動きの取れない我らを見つめていた。
州をまたいでドライブしていて気づいたこと。 ⑴ 制限速度が一様ではなく、 州によって異なること。 たとい車幅や見通しなどの道路状況は同じでも 州が異なるという地図上の異差だけで速度表示が変わる。 ワシントン州の速度制限速度は70マイル。 オレゴン州に入った途端、65マイルに切り替わった。 たった5マイルの差に どんな意味があるのか知りたい^o^ しばらく走るとユタ州との州境を越える表示があった。 その直後に新たな速度表示の看板が見える。 ユタ州では80マイル(約130キロ) (⌒▽⌒) ユタ州、そんなわけで大好き^ - ^ ⑵ 警察車両のデザインや色が異なる。 オレゴン州のポリスカーは車体が群青色。 ところが、ユタ州では真っ白であった。 それならそうと言ってくれれば良いものを。。 速度表示とともに車輌表示を! ユタ州で真っ白のポリスカーと並んで走っているのを 最初に気づいたのは家内だった。 ハハハハハは、、、 ユタ州の町にドネイションさせて頂く特権に預かりました\(^o^)/
ベイエリアに飛来する時は大抵、オークランド空港を利用する。 今回のようにサンフランシスコ空港利用は4年ほどぶりになるだろうか。 以前の空港とは大分様変わりしているように見えるのは 私の思い過ごしであろうか? シアトルからのアラスカ航空は International Aというコンコースになる。 そこはJALが日本直行便を飛ばしているコンコースでもあり、 先日こちらに飛来した午前12時過ぎには日本語で乗客者案内がアナウンスされていた。 トリムカーを駅で降りてから一つエスカレーターを降れば もうそこがチケットカウンターであり、反対側の保安審査場もすぐ近くで便利。 審査を終えて搭乗ゲートまでのコンコースは天井高く、 両側に並ぶ各店の間取りも広い上に、エレガント! ゆっくりとくつろげそうなレストランが並んでいる。 もっとも私には関係ない事ではあるが…… それでもこの日はいつもよりマシで 搭乗時間の15分前に搭乗ゲートに到着。 テイクアウトの夕食をかけ込む余裕があり 食事を終えると同時に搭乗開始。 機内は満席であった。 すでに春休みの始まったカリフォルニアの子供達が大勢いるためだという。
オリンピアまで足を伸ばしました。 今回も新たな発見があります。 ある訪問先の庭に咲いていたバンジー。 華麗な草花に新ためて春の訪れを感じました。 高速に乗る際にレニア山が直ぐ近くに迫って見えました。 その山容は偉大、威厳、静謐。。。 そして、ホットヨガのインストラクターに帰り際、 「高橋さん!」と声を掛けられました。 日本生まれで国際結婚の小柄な女性。 アクセントのない流暢な英語での指導に日本人とは気付かなかったのです。
朝ホテルを出てから日が暮れて帰るまでの足は メトロ(地下鉄)である。 マンハッタンを縦横無尽に十数の路線が蜘蛛の巣のようにカバーしていて その網から逃れるところはない。 至極便利な公共交通。 であるが、難題が一つ。 メンテナンスがされていない。 2001年に初めてニューヨークを訪れた時となんら変わっていない。 駅舎も車両も老朽化激しく、その上薄汚れている。 どうしても手摺に捕まる気になれなまま立っていると 突然の揺れに耐えきれず、転倒しそうになった事が数度。 あるメディアでメトロ幹部のインタビューが掲載されていた。 「乗客数では過去最高を更新し続けている。 だけど、経営は赤字続きだね。 客を運べば運ぶほど儲けがないんだよ。 ガ、ハッ、ハッ、ハッ…」 2ドル50セントだけでどこまでも連れて行ってくれるのだから お得なのかもしれない。 そのお得感に、不衛生な有り体でも不満を漏らす人もいないのかな?
昨日午後からのサンフランシスコ市内は激しい雨を伴う嵐に見舞われた。 穏やかな気候に慣れている人々には試練となったようです。 市内には至る所で渋滞が発生。 主な交差点には消防車や警察車両が陣取っている。 そこを通り過ごして見ても 何のための交通整理か分からなかった。 Van Ness という幹線道路での事ですが 黄色いテープで非常線が張られていましたが、人身事故でもあったのでしょうか? 渋滞中に目の前のファーストフードの看板が強風にあおられて外れた。 畳にして10畳ほどの大きさであったが、 歩行者が直撃されたら致命傷となったはず。 至近距離であっても宿舎までなかなかたどり着けない。 路上駐車のスペースを探していると身動きの取れない渋滞にハマってしまった。 今回だけは観念してホテル駐車場を利用することにした。 $20であるが、事故のリスクを背負うよりもましでした。
サクラメントからサンフランシスコへ移動 ハイウエイを幾つか乗り継ぎ、途中の中継点ベニシャにも寄る。 先週から依頼を頂いていた方の所にスレスレで間に合う。 サクラメントからは1時間の距離。 全てのアポを終えると夜の7時を超えていた。 最近見つけたタイレストラン・Mai Taiにて一人で打ち上げをした。 そこのレストランは、調理人もサーバーも生粋のタイ人らしく オリジナルな風味を味わわせてくれる。 ベニシャの中心部の1st.Streetには日本食料理店がもちろんあるが 生粋の日本人が運営していないので試すこともないのです。 そこからサンフランシスコダウンタウンの宿舎まで丁度1時間であった。
サンフランシスコ最終日は、マーケット・ストリートに。 週末はいつも人出が多くて、駐車場を見つけるのに一苦労である。 さらに午後、 その中心地・ユニオンスクエアからハイウエイに乗るまでの渋滞に捕まってしまった~_~; 青信号に変わっても前に並ぶ車一台しか通らない。 普段なら10分とかからない距離に 1時間も費やしてしまう。 こうなると、飛行機を乗り遅れてしまう♪───O(≧∇≦)O────♪ ところが、 レンタカー返却から空港内の搭乗ゲイトまでは信じ難いほどのスムーズさ。 そこについた時、すでに乗客はすべてゲイトを通りすぎ誰も残っていなかったが その最後尾に滑り込んでセーフ! 「最後まで諦めてはならない」教訓を今回も頂戴した。
宿舎のあるWalnut Creek を10時過ぎに出立。 ほぼ北に進路をとり、巨大な橋を渡るとBeniciaがある。 ここにはお勧めのタイレストランがある。 Mai Tai そこのランチはリーゾナブルな上に品目も多くて美味い。 好物のタイ・アイスティでゆっくりと贅沢な時間を過ごす。 食後、サンパブロベイの北辺を東へ。 途中、広大な野生動物保護区を抜ける。 ハイウエイは湿地帯の水辺の上をなぞるようにどこまでも続く。 ベイの西側に辿り着き、最初の訪問地がNavatoであった。 パラダイスという名の商業地であるが、「名は体を現わす」 賑やかに、楽しそうに、 はち切れんばかりの喜びに踊っている友人たちとの再開。 彼らの大歓迎を受けると 遠くから訪ねてきた甲斐もあったちうもの。 その後、ハイウエイ101を南下して San Rafael Larkspur Mill Valley に寄り ゴールデンゲイトブリッジを超えて サンフランシスコ市内へ。 サンフランシスコではClement street に初めて進出。 この通りも立派な中国人街が健在していて驚く。 寒い外気にしばらく晒されたため、 ベトナム料理のPhoヌードルを夕食にいただくことにする。 帰路はサンフランシスコ市街を抜けてベイブリッジを通り、 Oakland Diablo山のトンネルを抜けて Lafayette Walnut Creek へと帰還した。 北部のベイエリアを時計の反対回りに一周したことになる。