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もうダメです。
殺してください。
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい
もうダメかもしれないと、本当に思っている。自分のブログに女房の悪口書いてなんになる。私が読むと知っていて、何だあの書き方は!!毎日、毎回、私の悪口ばかり・・・。どうしてほしいんだろう。いい加減嫌になってきた。
先週も木曜、今週も木曜にダウン寸前になってる。耐え難い疲労感に襲われて、何も出来ない。もう仕事辞めちゃいたいなぁ・・・。でも働かなくちゃ食べていけないし・・・。
生きていくって、結構大変なことだよね。
かなり疲れていて、戻ることが出来ない気がしてた・・・。でも、何とか無事に辿り着く。きっと、出る直前につけた香水のおかげだったのかも。優しく包んで守ってくれるようで、安心できたから。
何が嫌いかって、縛られることが一番嫌い。押さえつけられるのも真っ平。よくうちは「自由で良いわね」、「理解があって良いわね」と言われるが、そういう風にしてるのだ。助け合って生きていかなくちゃいけないのは判る。
もちろん、基本はそうしてるつもりだ。でも、他人の意のままに動かされるのは、本意じゃない。他人から見て「木蓮はこうあってほしい」というのに、従うつもりは無い。縛られたら、私は縄を切って逃げ出すだろう。だから、縛るようなことはしないでほしい。私は誰のモノでもない。
今のところ普通に暮らしてる。特に何ら変わりなし。だけど、だけど・・・・疑うわけではないけど、確かめてみたい気持ちもある。それは真実なのか、と。判ったところでどうなるものでもない。でももし本当だとしたら、大変なことだ。信じようか・・・・。確かめてみようか・・・。ただ、もし違うのであれば、何で逃げるのか判らない・・。
逃げたらずっとその烙印を押されちゃうじゃないか。何で立ち向かわないのかな。私だったら絶対逃げることはしない。
(いや、一度逃げたことがあったけど、それは自分のやったことを認めたから)いわれの無い冤罪を押し付けられたら、信用を回復するまで、そこを逃げたりはしない。
真実は多分判らないだろう。私は「その言葉」を信じるしかない。
・・・と思う人が、世の中にはどれくらいいるんだろう。自分の価値観が全ての人。自分は道徳的だと思ってる人。
自分の正しいと思ったことが、全ての人に当てはまると思い、正義感を振りかざす人は多い。
その立場になってもみず、ただの傍観者でありながら、自分は正義だという。
何が正しいか、なんてモラルだけで計れるものじゃない。正しくなくても、その時には正解だった、なんてことはザラにある。自分で行動して、自分で経験して、そんな積み重ねの中から、自分の判断で選択するしかないと思う。自分が正しいと思った人が、いくら正義を振りかざして人に諭したところで、言う方も言われる方も、実際に経験し身になっていなければ、心に響くものではない。
『自分の正しいと思ったことが、他の人にも正しいと信じられる人。その人は天才であり、妥協を排する人だ』
とはエマーソンの言葉。今の日本には、そんな『天才』が多いんだろうね・・・。
あの江原啓之さんの著書の中にこんな一説があった。天国に持っていけるのは、感動だけだと。どんなに財を成しても、どんなに大事なものがあっても、あの世へは持っていけない。大切なのは、生きているうちに何回も感動することだ、と書いてあった。人間を成長させ、魂を成長させるのは「感動すること」なのだ。だから、生きているうちに何度も感動を味わうことが、何より大切なんだろう。そう言えば、感動する人はボケない、と何かで聞いたことがある。
辛い経験が必要ということはなく、いかに多くの感動を得るか・・・・そこが大切なのだ。
私もいっぱい感動したい。
自分のなし得た事で、また自分に関わる人のことで感動を積み重ねられたら・・・。
今まで辛い涙ばかりだった。
これからは感動で頬を濡らさなきゃ・・・ね。
昨日からまたドドーンと落ち込んでしまったけど、今日は何とか浮上した。
私は、本当に仲間に助けられてる。そう言えば庄治陽子の漫画「生徒諸君!」の台詞で、
「一生の内に、こんな出会いが何度あるだろう?」そんな一節があった。私の周りには、男もいれば女もいて、それこそ年齢差もバラバラで・・・・でもホントにイイ人たちなのだ。みんな、熱くて、志があって、ポジティブで、一緒にいると必ず元気をもらえる。私は、この歳になってこんなに人間関係が広がるなんて、思ってもみなかった。ありのままの自分を理解してくれる人がいるだけで・・・そんな仲間がいるだけで本当に幸せだ。この仲間たちがいなければ、私は修羅場を乗り越えられなかっただろう。
こんな出会いが、一生の内に本当にどれだけあるのか・・・。
今の仲間と知り合えたことに、とても感謝している。誰かが困った時は、私も必ず助けに行くからね。
一昨日、仕事の途中で銀行に立ち寄った。
仕事柄両替がどうしても必要になることが多く、50円、100円の両替のため長い待ち時間を過ごすことが少なくない。
一昨日も、待っている間に雑誌をパラパラ眺めていた。そこで、映画監督井筒和幸氏のコラムを見つける。
ピンク映画からメジャーに移った氏は、最初の頃かなり苦労したらしい。
一般向け映画の2作目がコケた時は、ピンク時代の仲間から「戻って来い」と誘われたとのこと。
しかし、氏は戻らなかった。
人間、絶望の淵に追い込まれないと先に進めない、と悟ったそうだ。
たとえ下手の横好きであろうと、誰からも相手にされなかろうと、やらなくちゃならないことは、やるしかない、と思ったという。
今の私もそうだ。
振付も構成も指導力もまだまだ未熟で拙い。
壁にぶつかりながら、のた打ち回りながら、もがいて進んでいる。
しかし、少しだけ判ったことがあった。
今やることは、自分の範囲内で良いと言うこと。
無理に外見を飾らなくとも、知ったかぶりで「らしく」振舞わなくとも、自分の出来る範囲で良いのだ。
どれだけ頑張っても、センスの良い人にはかなわない。それは当然。
バカにされたって、白い目で見られたって、自分なりに一生懸命やればそれで良いんじゃないかと思えてきた。
自分の範囲を少しでも広げる努力は怠らず、その中で精一杯考え進めることが出来たら幸せだろう。他人と比較してもしょうがない。
やると決めたら、突き進めばいいだけ。私は他人の目を気にし過ぎた。
先が見えないほど落とされなければ、見えないものもあるんだよな・・・。
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