英名アプリコットのジャムは酸味が強くてなかなか美味しいジャムです。裏庭には大きなアンズの樹が有るのですが高い所に実がついて棒でも取れません。この時期熟したアンズの実がポトポト落ちてくるので拾い集めてアンズのジャムを作ることにしました。
計って見ると25個で1kgになりました。90個程収穫したので3kgほになります。
初め1kgのアンズで作る事にしました。砂糖は200g使って白ワイン100cc加えました。アクを取り除きながらトロミが出たら完成です。用意した保存瓶だと、もう一回分入りそうなので更に1kg分作りました。食パンは余り食べないのですが、塗って食べてみました。酸味が有って程良い甘さ、美味しく仕上がりました。おちゃに溶かしたり、焼酎で割って飲んで 色々試して楽しんでます。
インドレストランの帰り、凄くシンプルな立て看板を見つけました。モノクロで切り絵のようなシンプルなデザイン 良いですね(^_^)
イタリアレストラン「トラッタリア たにぐち」の二階にある天丼屋さんです。同行者に聞くと美味しいよ!と言うので日を改めて言ってきました。
「天丼」は東京の食べ物というイメージが強いですね。発祥は浅草界隈とも言われています。蕎麦屋に天丼は付き物でした。こちら地元では喫茶店のメニューに多いですね。東京で予備校に行ってた頃、予備校に近い大久保駅のガード下の天丼専門店に時々行ってた事を思い出し懐かしいです。
トラッタリアたにぐち脇の外階段を上がると看板も無く、白い無地の大きなチョウチンが一つあるだけです。ところがドアを開けけてビックリ!天井高の広いホールのようなお店でした。入ってすぐ奥行きがあって幅広のテーブル。一段下がってカウンターが広がっています。天丼屋とは絶対思えないお店です。夜はお洒落なバーになるんでしょうね。30人程座れる所に2組程のサラリーマンが食事してました。
カウンター席に座りメニューを見ると「海鮮丼」と「天丼」とドリンクのみのシンプルなものです。早速「天丼」を注文しました。ご飯の量を3種類選べます。見回すと奥には100インチも有る壁かけ大型テレビに昼のワイドショーが写って、いかにもサラリーマン向けサービスの食堂的センスで少し興醒めですが、椅子テーブル照明器具とも中々凝った都会的なインテリアで落ち着きます。いつか夜に訪れてみたいものです。
タレは自分で好みの量器に入れるか、丼にかけるかして食べる様になっています。甘さやや控えめの好みの味付けでした。ご飯の量を中で食べましたが、ちょうど良い満腹感でした。
もう一度、今度は海鮮丼に挑戦します。昼の喧騒感の無い、ゆったりと食べれる空間のある天丼屋さんでした。まさに隠れ家天丼屋です。
喰蔵ブログ「あき山」: http://ameblo.jp/houtensyouti/entry-12007132396.html
茜町 あきやま : http://metabokawa.ashita-sanuki.jp/e46477.html
先日、先輩の娘さんの結婚式があって大阪に行きました。新婦の義理の兄が写真担当で、私がビデオと写真担当で撮影しました。ウェディングパーティーでは皆さんとゆっくり談笑する事が出来ませんでしたが、二人の笑顔をまじかで見る事が出来ました。
これからの新しい生活に幸多かれと祈っています。
今から結婚式のビデオの編集に取り掛かります。
ご存知の様に宇多田ひかるさんは父照實氏、母 藤圭子の音楽英才教育を受け、3人でU3というユニットで活動した時期が有ります。1997年新星のごとく日本のヒットチャートに現れ、以後その天才的歌唱力で絶大な人気を誇る歌手です。彼女が数年の歌手活動休止期間を経て、今月4月4日を持ってNHKの朝ドラの主題歌を皮切りに活動を再開しました。同時に日テレのニュースの主題歌も併せて発表しました。更に4月15日にストリーミングでのダウンロードを始まりました。
早速新曲2曲をダウンロードして何度も聴きました。朝ドラのテーマ曲ですからテレビではスッと曲が軽く入ってくるのですが、ジックリと歌詞を見ると、何方も突然亡くなった母、藤圭子さんに寄せる鎮魂歌の様に想像してしまいます。朝ドラ主題歌の「花束を君に」は照實から妻に捧げる歌になっていて、「真夏の通り雨」はひかるさんが母を想う歌になって、U3のユニットから母が抜けたU2の歌になっている様に察しています。
宇多田さんは4月4日に音楽活動再開しました。この日は4と4で「しあわせ」の日なのですが、図らずしも4月14日に熊本地震が発生して多くの人が犠牲になってしまいました。宇多田さんと同じ様に突然に大切な人を失った家族が沢山出てしまいました。宇多田さんの新曲は図らずも震災で犠牲になった人々に対する鎮魂歌になった様に感じています。
今回の熊本地震は気象庁も経験の無い地震活動であると発表しています。震源が一つでなく北東、あるいは南西方向に移動して、本震 余震と言う従来の概念では捉えられないと言うのです。そのラインは、日本で一番長い中央構造線と言う断層に沿っていると言われています。そして熊本城も甚大な損傷を受け、阿蘇神社も崩落してしまいました。私もまさか熊本でこんな大きな地震が有るとは夢にも思いませんでしたが、現実に今でも地震活動は活発に起きています。不思議な事にこの中央構造線に沿って阿蘇神社を始め多くの有名な寺社仏閣が並んでいる事に気がつきます。古代の人は地震災害を何度も引き起こす中央構造線の存在を知っていたのではないかと思ってしまいます。甚大な被害を引き起こす地震を鎮める為に神社、鎮守の森を造り祈ったのではないかと思う様になりました。
宇多田ひかるさんの唄もそう考えながら聴くと現実の世界の人の営みの鎮魂歌の様に聞こえて来るのです。
改めて、被害んを被った方々にお見舞い申し上げます。
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