普段は理性で話をしているが、スポーツとなれば話は別だ。 理性よりも、直感が勝る。 感情表現はストレートになり、間髪を入れずに出る。 それが良いとか悪いということではなくて、それがわたしなのだ。 だから、直観力を磨くために、わたしは、スポーツをしよう。 いつもありがとうございます。
何のために、それをするのか。 目的がはっきりすることで、自分のやるべきことははっきりする。 例えば、片づけ、お客さんを呼ぶための片づけならば、他人の目線で片づいている状態を意識する必要がある。 しかし、自分の居心地の良さのための片づけならば、自分の居心地の良さが感じられればそれで終わる。 何のためにそれをするのか、わたしは、目的を意識していこう。 いつもありがとうございます。
自分の言葉は、大切な人への贈り物。 この意識が、わたしの使う言葉を変える。 たとえ、嫌いな人に向けて発した言葉であってもね。 自分の言葉を一番に聞いているのは自分、大切な人である自分自身なのだ。 だから、わたしは、納得感をもって言葉を選ぼう。 いつもありがとうございます。
ある人の話を聞いて、「いいな」と思ったら、それは取り入れればいい。 でも、同じある人の話を聞いて、「なんか違うな」と思ったら、それは取り入れなければいい。 その基準は自分にあって、しっくりくることが答えになる。 いろんな「いいな」を取り入れて、自分の素晴らしさを磨いていこう。 わたしは、いろんな「いいな」を、いいとこどりしよう。 いつもありがとうございます。
何かわからないけど、しっくりこない。 そんな時は、一度、立ち止まろう。 違和感は、ありたい姿からのメッセージだ。 そのまま動くのは、得策ではない。 わたしは、違和感を、大切にしよう。 いつもありがとうございます。
自分が何をどこまで話せるのかは、誰かに話すことではっきりする。 話すことで、自分は何を話したいのかがわかる。 話すことで、自分は何を話してもいいのかがわかる。 話すことで、自分は何を話したくないのかがわかる。 誰かに話すことで、わたしは、自分自身と向き合おう。 いつもありがとうございます。
迷ったら難しい方へと言われて、勇んで、そうしていた時代もあるけれど。 今のわたしは、ちょっと違う。 力を抜いて、リラックスして、余裕をつくって、ハートで決める。 ありたい姿の自分に聞くのだ。 だから、わたしは、迷ったら、自分が楽しそうな方へ。 いつもありがとうございます。
不安ベースで投げかければ不安を招き、愛ベースで投げかければ愛を招きます。 「こんなこと言ったら、人に何と思われるだろうか」と思いながら投げかければ、そうなります。 でも、「こんなこと言ったら、人に何と思われるだろうかとは思うけれども、あの人のためには言ってあげたいな」と思いながら投げかければ、ちょっと違ってくるのです。 ベースが不安から愛に変わって、現実化することも変わってきます。 意識すべきは自分のマインド、わたしは、愛ベースにしてから投げかけよう。 いつもありがとうございます。
悲しいときは、悲しくていい。 つらいときは、つらくていい。 苦しいときは、苦しくていい。 自分にうそをついてまで、笑顔にならなくてもいい。 だけど、その感情を感じ終わったら、わたしは、またニコッとしよう。 いつもありがとうございます。
「ない」を見ずに「ある」を見ようといっても、ないものはないですよね。 だから、無理をして「ある」と思い込め、という話ではないのです。 「ない」のはそのままでいいから、ちょっと、注目する先を変えてみる。 目がある、鼻がある、口がある、手がある、足がある、頭がある。 そんな当たり前すぎるところから、わたしは、「ある」を感じてみよう。 いつもありがとうございます。