<荻窪駅前広場>
Oct
30
駅前広場を全く別の空間にしようと考えた人物がいる。47年4月、初めての統一地方選挙で杉並区長となった文筆家の新居格(にいいたる)である。
新居は、中央線の荻窪駅を区の中心とし、北口を広場にしようとした。その動機はこう記されている。
「駅頭が広場であってほしいのは、そこを人民討論場であらしめたいからだ。人々は集まって機智(きち)と理性の討論会たらしめ、選挙のときなどは意見発表の場所とも出来るからである。どうしても広場と大通りが要るのだ。現に、杉並の中心となろうとする傾向のほの見えるのは荻窪北口である」(『杉並区長日記 地方自治の先駆者・新居格』)
当時の荻窪駅北口には、闇市の立ち並ぶ猥雑(わいざつ)な空間が広がっていた。ここを駅前広場として整備し、古代ギリシアのアゴラのような「人民討論場」にしようというのが、新居の構想だった。
現実とあまりにかけ離れたこの構想に耳を傾ける議員や区民は少なかった。新居は体調を崩し、区議会や行政に失望してたった1年で区長を辞任している。
燐家のお兄さん(鈴木わたる)東大の学生だったが・新居さんの応援に夢中になっていた・・父親が、わたるさんは赤になったのかな?大丈夫かなとつぶやいた・小学校1年生だったが鮮明に記憶している。
小生は、東京衛生病院・天沼教会がルーツなので・度々荻窪に出かけたので駅前の変遷と記憶している。
久しく出かけていないが階段を上がった場所の(焼き鳥屋)はあるのかな?