また、先日の仙台での話であります。
講師の東野さんのお話を聞くのが2回目だったのですが、後半でおっしゃられていた「続けることが本当のやさしさ」の話が、今回とても心に刺さったのです。
昨年12月にお聞きしたときは、なるほど!と納得感はあったのですが、わずか2カ月しか経っていなくても、感じ方は変わるものなのですね。
1冊の本でも、その個人の置かれた状況や環境、モノの見方、経験量、その時抱えている課題の差によって、まったく別に感じることがあるのですが、人の話も同様なのでしょう。
「続けることが本当のやさしさ」とは、その行為をずっと続けていけるかどうかの「覚悟」とその「力」があるかの話でした。
親を亡くした子に対して、そのときだけ「かわいそう」という感情だけで、高価なモノをあげていいわけが無い。
その子が、また「これもほしい、あれもほしい」となったときに、自分はまた、そのモノを買ってあげられるのか?
東野少年が父に叱られたエピソード。
この話を通して、キングコング西野さんの「ボランティアを続けるための兵站ファースト」の話を思い出しました。
ボランティア活動っていうのは・・ 資金面の体力が尽きた瞬間に、
ボランティア活動を続けることができないっていう現実があるんですね。
単発的なものであったらボランティアでいいんだけれど、
これが、1年、5年、10年って続けていく支援活動にするのであれば、
「ちゃんとビジネスモデルにしなきゃ支援は途絶えてしまうぞ」っていう考えですね。
なので、そこの整理を付けた上で、自分の活動を見ていただけると嬉しいなと思いますね。
まさに「本質」は同じなんじゃないか!
さらに考えてみると、最近よく言われる「サステナビリティ」という概念も、この話に通じるなと思うんです。
「この仕事は私しかできない! どうだ、すごいだろう!」
そんな考えの方が一部ではありますが、いらっしゃるのです。
なぜ、平常時から少しずつ、他のメンバーにその仕事を教えてこなかったのか?
相手のスキルが伴わないと反論されるかもしれませんが、教えられる側にだけ、すべての責任があるわけはないでしょう(自分にも言い聞かせています)。
その人がいなくなったら、その仕事は途絶えてしまい、周囲の仲間も、その仕事から恩恵をもらっていた人すべてが損失を被ってしまう。
その人の「エゴ」のために、誰かが不幸になるなんて、それは「やさしさ」とは呼べないでしょう。
だからこそ、今自分が行っている仕事を、無駄を削ぎ落とし、極力シンプル化して、できるだけキレイな形で次の世代にお渡しするのが、最低限の努めだと思います。
「本当のやさしさ」の話から、自分自身の今の仕事に直結するとは想定外でしたが、最高かつ必然たる「気づき」でありました。
東野さん、そしてこの場にお誘いいただいた仙台の仲間に感謝です!