小さなこの町は、交通機関の発達していない江戸や明治には
川を使った交通の要衝でした
遠い親戚の話として、明治の初期に女学校の寄宿舎に生活を
していた女学生は船便で帰省したとのこと
恐らく、その女学校の一期生位のお話です
その実家は醤油・味噌の醸造を家業として今も続いています
表通りに面した間口の広い格子戸にその面影を残しています
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Posted at 2008-10-11 18:21
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Posted at 2008-10-12 04:07
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