今年も残すところ後一日になってしまった。
昨年の今頃は、公私ともに忙しく飛び回って居た。
この1年間、昨年の3・11大震災で行方不明だった知人達が、
色々な状況下で発見されたと・・・幾度となく知人宅等に出向いた。
そして、知古な友達の最後のお独りが、見つかったと‥‥‥。
年の瀬迫る、27日事後処理をお手伝いするために出向いた。
未だに(画像1)、斯様な光景、言葉を失う。
遺族と別れて帰途についたが、別の被災地が気になって仕方ない。
寄り道をして・・・目的地に入ろうとすると・・・未だにこんな状態(画像2)。
ここに通じる幹線道路も所々、道路が波打って居た。
かつて、村落だったところも住所だけは”市”だが???
縦割り行政??? 県・市・郡・町・村・区(行政上の地区)
資金が下りてくる順番。
莫大な義援金も集まったようだが、末端の個人、
否、100人にも満たない山村には、支援が最も後。
財政的に自立できない場所に援助が行かない。
なんとも不可思議な話だ。
おまけに、わたくしごとだが、痛めていた古傷を悪化させていまい、
更には打撲をしてしまった。
病院で手当を受けていて、山村の人々を想うとやりきれなかった。
出先の自室でこうやって・・ブログをアップしている。
仲間が、我が家まで車で送ってくれるのを待っているところ。。。
此の1年の色々な場面が脳裏を横切る。
嬉しかったこと、ブログルスタッフが、震災被災地の子どもたちを
シアトルに招待してくださった由。
被災地現場を少し知るものからすると、深々と頭を垂れたい思いだった。
改めて、内倉さんはじめとするスタッフの皆さんに感謝を表したい。
出先にて。。。
この地もいま雨がふってる。此の1年の垢を洗い流してほしい!