いよいよソチ・オリンピックが始まった。
競技者が、苛酷な練習に挑戦し・結果を見せる晴れ舞台、オリンピック。
その頂点に登れた選手は、実力に加えて「運」も味方に引き寄せないと!!
競技者の若者達、直向きに競技と戦っている。それ故に感動が伝わってくる。
そしてそれを支えている“大人達”、今や国レベルの外交の場でもあろうか。
開催国の経済効果は、大きい。青れぞれのお国柄も出て楽しい。
競技者側からするとオリンピックに参加出来るハードルは非常に高い。
本番に至るまでの練習・試合等・・競技者には、大層な資金が必用だ。
参加基準をクリアーするためには海外まで遠征しないといけない。
マイナーな競技団体は資金が無い。競技者個人の負担は相当なものである。
それでも頑張って競技関係者は支援する。それ故、感慨はひとしおだ。
「昔、我が子の自転車競技に保護者として一緒になって参戦してた。」
子供曰く「僕走る人、父さんはメカニック」
こんな感じで長男が15歳ころまでレース等に同道してた。
子供達の幼少期、僕は、単身赴任で異国に。
春・夏・冬と子供達の「長期休み」は、西欧におった。
帰国は米国廻りで、米国各地での大会参加が恒だった。
そんな事で欧米には沢山の友達・競技者仲間も居り交流を重ねている。
お陰で日常会話程度(英・米・独・仏・伊+α)なら話せるようだ。
今やわが子に仏語を教わる有り様。
オリンピック種目になった自転車レース(BMX)。
待ちに待った感じであったが、レーサーとしては「盛り」!が過ぎていたわが子。
裏方・指導的立場で参加してる。
国家的支援のもと世界の頂点に立つ、対して個人・クラブ的支援で頂点に立つ。
どちらも立ったことに変わりは無いが、、、、、!?!
オリンピック憲章精神からすると原点に立ち返ってみるべきだ。
種目の中に単純に割り切れない種目がある。
今注目を浴びてるフィギアスケート、モーグル等々。
「審判」の見方・・業等の傾向で点数が変わる??見ていて何か割り切れない。
スポーツって誰が見ても優劣がわかるものと思いたい。
独創性を持って挑戦しても、いつの間にか傾向・方向性・判断基準が変化してる。
日本人選手の抜きん出た技に対向するのが、連盟の審判基準の偏向か!!
日本人贔屓で云うのではない。アンフェアーに映った。
様々な要素が集まって成り立つのはわかるが、スポーツ=速さではないのか。
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