《襍感・/・自転車レース&お菓子》Tour de France

2014・07・05(画像1) 2014・07・05(画像1)
パリブレスト(画像2)。 パリブレスト(画像2)。


今年もツール・ド・フランスが始まった(第101回目)。
昨日(5日)、初日・・プロローグは、英国・ヨークシャーからリーズまで190.5km。
第1ステージ、開幕スプリントを制したのは、マルセル・キッテル(ドイツ、ジャイアント・シマノ)
2年連続の第1ステージ制覇!!(画像1)。これ又すごぉ~い~~~!
今年も日本人では、新城幸也(ユーロップカー)が参戦している。とても楽しみだ。

扨々、このレース、個人的にもとても感慨深いレース。
レースを知ったのは、40年も昔のこと。
1968年12月六本木にフランス菓子専門店「A.ルコント」が開店。
日本で初のフランス人パティシエのフランス菓子専門店。
オーナーシェフパティシエ、アンドレ.ルコントさん、愉しい方だった。
その名店「A.ルコント」が、2010年9月26日(日)に閉店。
閉店前の6月にツール・ド・フランスを記念してのお菓子のイベントがあった。
仏蘭西の伝統ある調理の専門学校”ル・コルドン・ブル-”と
仏蘭西の伝統的地方菓子の普及に取り組む“クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ”
が共催で自転車レースから生まれたフランスの伝統菓子「パリ・ブレスト」(画像2)、
そして仏蘭西の地方菓子を紹介するイベント。
クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ、ル・コルドン・ブルーのシェフパティシエ。
超一流のパティシエが、個性ある「パリ・ブレスト」と様々な地方菓子を披露した。

この両団体と深い関係を持ちフランス料理アカデミー日本支部の初代会長を努め、
日本に仏蘭西菓子文化を紹介し続けた“Andre Lecomte”さん。
この方を抜きにして菓子「パリ・ブレスト」や「ツール・ド・フランス」は、語れない(僕個人)。
故アンドレ・ルコント氏が、お菓子や料理を通じて日本に伝えたフランス文化。
彼のエスプリの効いた会話が懐かしい。
このケーキ、”パリ・ブレスト”は、ツール・ド・フランス(Tour de France)ゆかりのお菓子と聞いた。
ツールの前身レース(モデルになったレース)1891年にパリとブルターニュ地方の町ブレスト間で、
「パリ・ブレスト・パリ」(PBP)が行われた。 パリ~ブレスト間の約1200kmを90時間以内に往復する。
伝統菓子の名称の由来は、諸説あるらしいがこのレースの開催を記念して作られたと言うのが有力な説。
パリのロングイユ通り(コース沿道)にあった「メゾン・ラフィット」という菓子店の職人、
ルイ・デュラン氏が考案したと伝えられている。

※ツール・ド・フランスは、スポーツ新聞ロト(L'Auto・今のレキップ紙)がライバル紙に対抗して企画されたのが始まり。自転車レースを企画していた他社とは、ル・プティ・ジュルナルがパリ~ブレスト往復、ヴェロ紙がボルドーパリを主催していた。
この中で最も古いのが”パリ・ブレスト・パリ(Paris-Brest-Paris,PBP)、1891年に第一回大会が開催されている。このレースをモデルにして出来たのがツール・ド・フランス、つまりは、フランス一周レース。※
仔細は別にして、こうした事を教えてくださったのは!40年年以上昔・学生時代。。。
当時、六本木の”A.ルコント”で、オーナーのAndre Lecomteさんから教えて頂いた。
東京オリンピックの仏蘭西菓子シェフとして来日、終生、日本での仏蘭西菓子発展に寄与した方である。
彼のエスプリに富んだ会話が懐かしい。
当時、ロードレーサーで訪れ2階のサロン・ド・テで飲食する者などいなかったからか??
頂いているケーキに色々と解説をしてくださった。その一つが「パリ・ブレスト」だ。
リング状に絞ったシュー生地にクレーム・プラリネを挟んだ姿は、自転車の車輪をイメージしている!?!
上には、アーモンドスライスをたっぷり振りかけて。。。
又、上にアーモンドが無く中にクレーム・シブーストを使ったものはパリ・ニースと呼ばれている。
中に挟むクリームにもイタリアンメレンゲを加えた軽いバタークリームを使ったり、カスタードを加えたり、
シャンティを加えて軽やかにしたり。。。
お店によって、シェフによって少しずつアレンジされて楽しい。
*パリ・ブレストそしてパリ・ニース・・共に現役のロードレ-ス*

A.ルコントさんのパリ・ブレストは、クレームパティシエールにバター、
プラリネ、シャンティー、イタリアンメレンゲも加えた、スペシャル・クリームだった。
”クレーム・パリ・ブレスト”としか言い様がないかも・・とルコントさんは、解説していた。
手間がかかるためか、お菓子屋さんで余り見かけない。
クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ(フランスの伝統菓子の継承や普及のための団体)が、
ツール・ド・フランスに合わせて7月(2010年のこと)にプロモーションして、
クラブ会員各店に”パリ・ブレスト”を店頭に登場させたとか。。。
多くは、プティガトーサイズ、夏場に合わせシャンティー・オ・プラリネの軽いクリームだったりと、
シェフも時代の嗜好に合わせて、伝統をベースにしながら試行錯誤されていたようだ(友人情報)。。

・・・ケーキ好き・ツールファンには、溜まらない!!
A.ルコントと云えば今一つ、思い出のケーキがある。
Eufs à la neige souce anglaise (ウフ・ア・ラ・ネージュ、ソースアングレーズ)。

A.ルコントさんは、伝統的な菓子職人。ムッシュ・ルコントと言える風貌だった。
僕の好きだった、2つのケーキ・・・
Eufs à la neige souce anglaise(ウフ・ア・ラ・ネージュ、ソースアングレーズ)
Paris Brest(パリブレスト)
六本木の小さなお店の2階・サロン・ド・テでの会話を思い出す。
パンも素晴らしかった。特にA.ルコントのクロワッサンは、絶品だった。
日本国内で、あれを超えるものを食した事がない。
昭和は、遠くなりにけり・・・だ!!

André Lecomte(アンドレ・ルコント)さんは、
1931年 フランス・フォンテーヌ・ブロー生まれ。13歳で菓子職人の修業を始める。
1956年 ホテル・ジョルジュサンクのシェフパティシエに就任。
1963年 ホテルオークラの招聘で来日。
1968年12月17日 六本木に日本初のフランス人パティシエのフランス菓子専門店「A.ルコント」を開店。
1968年 フランス料理アカデミー日本支部創設のために尽力し、初代会長を務めた。
1978年 店舗を六本木から青山に移転。
1994年 「ブラッスリー・ルコント」を青山にオープン。
1999年 逝去。
その後は、奥様ががんばっておられたが、、、閉店を決断された。

僕の学生時代・・・フランスの街角にあったサロン・ド・テ、そのものだったケーキ屋さん。
懐かしく思いだすが、淋しい限りだ。。

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Zakkahさんはフランスにとても造詣が深いと思いましたが、仏文科などのご出身ですか。

くまごろうは中学・高校は東京のミッションスクールでフランス語を第1外国語として学び、フランス人の宣教師の先生方からフランスの話を色々伺いました。高校の頃、フランス留学を終えた野村先生が帰国されてフランス語の先生となり、フランスの文化や雰囲気をたっぷりと味わうことが出来ました。そのためフランスとゆかりのある同級生も少なくなく、日本で彼らに会うとフランスの雰囲気を楽しむことが出来ます。
Posted at 2014-07-06 18:32

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こん晩は、くまごろうさん。

くまごろうさん、ひょっとして・・・詩人、哲学者、随筆家としてご活躍のあった串田 孫一さんの後輩ではありませんか??(串田さんは、山の大先輩で少し存じ上げておりました)。
70年安保で大学が封鎖され、卒業の見込みがなかった事とノンポリだった僕は、登攀(岩登り)をしにAlpsの登山基地、仏蘭西のシャモニーへ。シベリア鉄道で4日間もの列車の旅、楽しく記憶しています^^)。

僕は、第二外国語は独語でした。すこしの独逸語、会話程度の英語、仏語は全くダメでAlpsに。お粗末でした。
2年程度の友達との原書購読、役に立ちませんでしたね。お菓子や食に関する名前(仏語)だけは知っていた様に記憶しています。
出身はテイノウ大アホウガクブでお分かりだと存じます。くまごろうさん、一貫教育でフランス語を。。。!友達の中に貴兄の後輩だろう人々がおりますが、皆流暢に仏語を操り!!
 長いこと仏蘭西の隣国へ行き来してまして、好きな自転車であちこちへと。
スレッドに記しました自転車レースは、1980年代~90年代、幾度となく山岳地で応援したことがあります。


スイスのフランス語圏では、英・独語でも通じましたが、フランス国内では難儀しました。発音が☓??
Posted at 2014-07-07 02:44

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Zakkahさんは実戦でフランスを体得されたのですね。

ご推察の通り、くまごろうは串田孫一さんの後輩です。若い頃フランス語をたくさん勉強し、大学受験もフランス語でしたが、理工学部に入学したため英語が必要となり、相対的にフランス語から離れてゆきました。フランスには1度も行ったことがありません。

それでも三つ子の魂とやらで、フランスには何となく親しみを感じています。
Posted at 2014-07-07 10:06

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「校風」ってお人柄にも出てきますね(くまごろうさんのお写真を拝していて)。

Alps行きは、悩んだ末のことでした。
幼少の頃から、米軍(当時は駐留軍と言っていた)横須賀基地内の教会、日曜学校へ行っておりました。そこは、小さな米国でした。
お陰でそこで知り合った牧師さん、軍属の大人の方々から色々教えて頂いた。横浜の山下公園は、僕の子供時代(5歳前後??)は、日本人が立ち入れなかった場所ですが誘われて小湊にあった横浜ヨットクラブ(YYC)でクルーザに乗せて頂いたり、チャペルセンター(現横浜球場脇にありました)で食事をさせて頂いたり(高校生の頃までお世話になった)。。。
そんな体験をしていて・・・70年安保は、複雑で日本に居たくなかったこともあって出かけましたが、色々な、そして思いがけない巡り合いもあって、人生の転機だったと思います。憧れは米国でしたが、西欧に目が向いた。その原点が、Alps登攀であり、その後のルコントさんとのお話、でした。ルコントさんは、英語交じりの仏語で話をしてくださった。時折、日本語でも。。。
「これーーー、おいしいィね、食べてみる!?!」と注文もしないのに若僧にご馳走してくれて。。。

串田さんには、シルクロードの話や、
哲学者ハンス・ゲオルグ・ガダマー (Hans-Georg Gadamer: 1900.2.11-2002.3.13)の解釈論を、「古典を読む前に読んでご覧」と原書を見せて頂いた。
思い出させて頂き、ブログルに感謝。而して、くまごろうさんのご高説を拝せまして、感謝でいっぱいです。

フランス人気質(一般的な)は、別にしてフランスって親しめる場所でもあります。
お菓子好きな僕は、ベルギーとフランスの境界線周辺で好んで食べられている「お米を使ったタルト」お菓子が格別に好きです。
このお米タルト、自転車乗りの間では有名なんです。プロレーサーも好んで背中のポケットに忍ばせている。
北フランス・ノール・パ・ド・カレ地方は、ベルギーと国境を接し、海をはさんでイギリスを望む、フランスの最北端に位置する地方です。
児童文学「フランダースの犬」での登場エリアです。
焼き上がりの温かいタルトは、格別です。早朝、朝の7時頃には、お店が開いています。

長々、思い出を記してしまい失礼いたしました。
Posted at 2014-07-07 23:03

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ついに始まりましたね
今年も寝不足の日々が続きそうです
自転車レースにちなんだお菓子が有るの知りませんでした
子供の頃は遠い国のロードレース
ライブ観戦など出来ると思いてもいませんでした
Posted at 2014-07-06 22:39

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またまた・・・やって来ました「ツール」
順調に滑りだしたと思ったら、カヴェンディッシュが、、、!残念ですが・・・。
壮絶な落車、プロの凄さを見た気がします。

ヴィンチェンツォ・ニーバリの走りを見ていて今回のニーバリ、何か・・・見せてくれるような・・・期待したい。
同時に。。。新城君、アシストですが・・・幸運がやってくるかもしれない。。。なんて期待しています。
Posted at 2014-07-07 04:00

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