Aug
19,
2015
“2015・夏・其の一”《襍囈 ・/・叛逆のろれつ・戦後70年》
「戦争(国家間の)戦災」を実際に被災され語れる人は、少なくなった。
70年の月日に記憶も薄れ、遠い過去になりつつある。
「原爆投下の日に関する世論調査」とされる結果を8月3日にNHKが発表した。
調査対象者1000人のうち7割が広島と長崎への原爆投下の日を正確に回答できなかった、と!?!
大方の一般庶民感覚からしてみると驚く数字ではない。
史実概要を知っていることが大切で、正確な日時は二の次(試験問題ではないのだから!?!)。
今の若い世代、「終戦記念日」と言ってもピンと来ないのでは??
広島の原爆投下「昭和20年8月6日」、長崎の原爆投下「昭和20年8月9日」
其れよりも前の昭和20年3月10日の「東京大空襲」等、過去の史実を語り継ぐ必要性を改めて思う。
昭和20年というより1945年といったほうが、より月日の経過がはっきりとする。
戦後70年の日本の歩み、現在の日本の立ち位置、而して諸外国に日本の立場を堂々と表すべきだ。
今年は、2度に渡り異国の地で日本の立場を世界に発信する、日本国首相の表明が実現した。
「平和」を基軸に戦後復興を実践、「民主主義」を実践してきた、と誇りに思う(結果論であっても)。
「核軍縮」「原爆使用」等々、過去の「原爆投下」についても国際的に議論が見られる。
世界唯一の原爆被災国としてこの70年余り、核兵器反対を国として発信し続けてきたのも事実だろう。
だが、今年の広島・長崎の平和祈念式典で被爆者団体代表らが政治的発言を表明、全きの場違いである。
審議中の安全保障関連法案に対し;
「(法案は)核廃絶の思いを根底から覆そうとするもので許すことはできない」、と。
非核三原則と言う言葉尻を捉え国内の政治問題を発信、場に乖離する発言に驚愕した。
歴史認識、史実、それらの具象を背に真摯に語り継ぐべきだ。政論の場では断じてない。
原爆投下したのは米国側である。また、現核兵器保有国は、どこか!!
保有国が、新たに保持した(しようとする)国々を批判できるのか??そのほうが問題である。
70年の歳月を以って、原爆投下時の史実も漸く鮮明になってきたのに。
昨今の国会討議を観ていると反対のための反対!?!中身がないに等しい。
更には、枝葉末節的な議論ばかりで、全体・総体が見えず骨格が崩れてきたようにも映る。
国外を見れば、極悪非道の敗戦国・・日本、って叫んでいる隣国人。
戦後の日本の歩み、隣国にいかに対処してきたか、声を大にして諸外国に史実を発信すべきである。
今年の広島・長崎の平和祈念式典の報道を聞いていて、疑問・矛盾が色々と浮かんできた。
安保法制に関し多くの法学者が「違憲」と表明している。
法学者は、政治的行動を好まない。冷静な分析がしにくくなるから。
今云われているのは、現憲法上の狭義解釈論(学問的な)。
学問とは、真理の探究だが、己の知識・論理の構築でもある。
学問的「憲法論」と現行国際条約(政治的部分)との整合性を議論するのが国会での議論だろう。
安全保障関連法案の審議で「憲法違反の戦争法案」と称し焦点とするは、些かおかしくないか。
法案の本質は、諸条約を基に、日本の平和や国民の安全を如何に守るかにあるのではないか。
「戦争抑止法案」といったほうが良いと思える。
厳しさを増す安全保障環境や実効性の高い防衛政策への考察を軽視している。
「違憲」「戦争に巻き込まれる」と???
現実的に「自衛隊」の立ち位置を曖昧にしてきた責任でもある。
法案成立阻止と言う攻防に終始、形骸化的姿勢は本質議論ではなく現況では内容理解はできない。
衆院憲法審査会で参考人質疑で三人の憲法学者が皆、
集団的自衛権限定行使容認する関連法案を「違憲」と断じ「法的安定性を大きく揺るがす」と。
成れば自衛隊って何??、自衛隊そのものが違憲である、と言っているのか、伺ってみたくなる。
憲法審査会は関連法案の審議場所ではない!?!
憲法9条の解釈に関し、昭和34年の砂川事件最高裁判決は、
「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置」を認めている。
サンフランシスコ講和条約や新・旧日米安保条約では、
日本に国連憲章上の個別的自衛権と集団的自衛権があると明記している。
その後、政府は昭和47年や56年などに示した見解で、保持できる戦力は必要最小限度で、
集団的自衛権の行使はその範囲を超えるとの判断をとった(当時の安全保障としては、だ)。
周辺環境の激変に応じ、砂川判決の下で新たな解釈をとろうとするのが今回の安保法制ではあるまいか。
違憲と決めつける論理は的外れといえる。
現憲法の成立過程からすると、独立国の安全保障観点としては不備がある。憲法改正が望ましい。
集団的自衛権は、憲法改正した上で行使すべきだが、憲法改正に失敗したら中国が侵攻拡大してくる。
南沙諸島での埋め立てとか空港建設など中国の侵略が日常的に急ピッチで進んでいるではないか。
中国は、「台湾は自国の領土だから台湾の領土は自分のもの」という立場で、尖閣にも同様な主張。
台湾も李登輝総統までは「尖閣は日本の領土」としていた。
現、馬総統は中国よりで、去年も中国に有利な条約を結ぼうとして、台北で学生デモが大規模に起きた。
馬総統は「尖閣は台湾の領土」と活動している。尖閣に押し寄せた漁船は台湾から出航してきた。
馬総統は中国出身で尖閣は台湾の領土と言って憚らない。慰安婦問題でも日本は謝罪しろと繰り返している。
東南アジア各国はいかに経済成長しているとはいえ、中国に対抗できる海上兵力を備えるには何十年もかかる。
安保法案成立は、外交上からもかんがえるべきだ。
自国の論理だけでは済まされない時代背景を真摯に考えるべきである。
戦後70年という、長き時間を以って、日本人は平和ボケ!?!に陥ったか、と危惧する。
僕個人の事、なおかつ躯体の問題だが、若き頃の登攀での怪我をしっかりとケアーしてこなかった。
程々の回復に満足。登攀は諦めたが自転車があるって、結構、過激にサイクリングライフを謳歌。
だが、日常生活に支障がなかった事もあって充分な注意を怠って今日にまで来てしまった。
昨年の春から私的な雑務に紛し、而して被災したある村の復興手伝いをも参加させてもらっていた。
ところが、この7月に入り体調不良に陥った。検査の結果、休養が必要と、ある場所でリハビリを。
最悪、自力歩行ができなくなると・・・脅かされ、懸命にリハビリを。。。!
何とか復調できつつある。
こんな時に、終戦記念日を迎えた。夜の報道を聞くにつけ・・・のんきな事を言っているって!?!
「予防」とか「不測な出来事に対する予防対策」を考えるべき、とこの一ヶ月余り思ってきた。
何事も日頃からの対策・準備を怠ってはいけない。
己の生活、この半世紀余り、戦争を我が身に感じることはない程に「平和な日常生活」過ごしてこられた。
だが、異国の紛争(戦闘行為)現場を実際に見ることはあった。
更には、隣国よりの主権侵害に、なぜ政府は穏便な緩やかな対処をしたのか??
韓国にして40年ほど前に金大中拉致事件を引き起こしている。今では、中国にして尖閣問題。
最もひどいのは、北朝鮮による日本国内での日本人拉致、、、これらは、日本を甘く観ている証だろう。
安倍総理を批判することは良しとしても、戦後(1945年以降)の隣国の所業を世界に問うていない。
戦後、歴代の政権が執ってきた世界に向けての自己主張のなさが、隣国を助長させてきたと思える。
先の民主党政権の所業を思い起こすと、お粗末としか言い様がない。
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