横須賀市・葉山町・逗子市・鎌倉市、こんな辺りで育った。
青春・青年時代は、このあたりが生活・遊び場であり友達も多くいる。
前の東京オリンピック頃が、當に我が青春真っ盛りの頃だった。
若者の間でIVYスタイルが流行りだした頃。アメリカ・アメリカだった。
でも、僕は米東部のカレッジファッションではなくブルックスブラザーズ!?!
幼少期、横須賀米軍基地内の教会属の日曜学校に参加させてもらえていた。
そこで知り合った人々、牧師さんや軍属の人々の中にBB愛好家がいて。
鎌倉材木座の家には、米軍関係者が週末に良く遊びに来ていた。
そんな人々が、衣服を持参してくれていた(いわゆるお古)。。!!
何も知らずに、アメリカントラディショナルファッションにどっぷり浸かってた。
横須賀は、独特な雰囲気があった所だ。ローカルだが。
僕らより上世代は、“太陽族”とかいう若者の社会現象があった由。
新進気鋭の石原慎太郎作品『太陽の季節』が第1回文學界新人賞を受賞。
而して 『太陽の季節』は、第34回芥川賞を史上最年少で受賞した。
又、『太陽の季節』は映画化され、弟・裕次郎が俳優としてデビューした。
慎太郎自らも映画に初出演、「太陽族」、「慎太郎刈り」が大流行した由。
だが、映画『太陽の季節』が反社会的とかで映画倫理委員会が出来る契機となった。
ヨットマンだった石原慎太郎・裕次郎兄弟。葉山周辺は、ヨットの聖地でも在る。
皇室の御用邸がある葉山だが、若者たちにとっても葉山は人気があった。
葉山の森戸海岸には我が大学の海の家(キャンスト)があったりで良く行った。
海上には森戸神社の鳥居がみえ、鳥居の立っている小さな島を名島という。
往古は、岩場で陸とつながっていたと言われてもいる。
今、名島の隣にかわいい灯台がある。この灯台は、裕次郎灯台と呼ばれている。
ヨットマンだった故石原裕次郎の三周忌を記念して兄慎太郎が基金を募り建てた。
葉山・森戸海岸沖の岩礁に建つ灯台、3秒に1度閃光し海の安全を守っている。
僕らにとって青春時代のシンボリック的存在な石原慎太郎さん。
政治家としてより、作家として而してヨットマンとしての存在の方が親近感が在る。
僕にとって小説家石原慎太郎作品は、『青年の樹』が最も印象に残っている。
昭和の偉人が、又一人、天星された。深く哀悼の意を表したい。
石原慎太郎さん、政治家としてももっと評価されて然るべきと思って止まない。
「令和肆年(皇紀2682年)2月1日、記」