上巳(じょうし)の節供,上巳の節供は五節供の一つで桃の節供・雛祭りを指す言葉。
旧暦の3月3日は桃の花が咲く季節であることから、桃の節句とも呼ばれてきた。
女の子の成長を祝う桃の節供「上巳の節供」を古くより「雛祭り」と称されてきた。
また「上巳」とは、旧暦3月の上旬の「巳(み)の日」を指す言葉。
日本の「桃の節供」は、平安時代以前から始まったといわれている。
貴族子女の間で行われていたが、江戸時代に庶民の人形遊びと節供が結びついた。
人形(ひとがた)に穢れを移して、邪を祓う。それが、各地に残る「流し雛」だろうか。
紙で人の形(形代)を作り、それに穢れを移し川や海に流して災厄を祓う祭礼の形。
「流し雛」として各地に残る風習。雛人形は、江戸時代に美しい人形に発展もした!!
「桃の節句」は、楽しい。雛あられ、金平糖、手作り羊羹(我が家の習わし)も食べれた。
* * *
我が子 、孫に女子がいないのでひな祭りの祝宴をしたことがない。
昔、我が妹の雛人形を飾るのを手伝った事、懐かしく思い出す。
今は納戸で陽の目をみない雛人形だが、確か“有職雛”と聴いた。
たまには、飾らないといけないのかもしれないが、少々大変だ。
知人の孫娘の雛飾りを観ていて気づいた。言葉使いや歴史。
お内裏様とお雛様??気に止めず聞いていたのだが??
ひな祭りの歌、童謡の「うれしいひなまつり」は、広く知られている。
この曲中の雛人形を歌った内容として不正確な描写が含まれ、
而してこの曲が広まった事で、表現が誤って広まってしまったか??
内裏(だいり)とは、天皇の私的区域のことを差し、御所(ごしょ)、
禁裏(きんり)、大内(おおうち)などとも呼ばれている。
天皇が住む宮殿を指す表現で、天皇陛下をお内裏様と呼ぶのは誤り。
歌詞の意図は、お内裏様を天皇、お雛様が皇后を表したのだろうが、
「男雛・女雛」または「お殿様・お雛様」と呼ぶのが正しい。
親王飾り、天皇皇后を模したお飾り自体を内裏雛と呼ぶ。
お内裏さまとは、天皇皇后、お二人を言う表現であった。
この内裏(場所)の中に、紫宸殿(ししんでん)と呼ばれる所があり、
天皇元服や立大使、節会などの儀式が行われる正殿を指す。
雛人形は紫宸殿で行われる、天皇と皇后の結婚式を模したお飾り。
飾り方にしても大正天皇の頃を境に二通りの飾り方が出来た。
古来からの日本伝統の立ち並び方。京都では、親王飾りと呼ぶ由。
京都が都(御所)であった故、京雛の男雛と女雛の立ち位置は伝統的。
男雛を向かって右、女雛を向かって左に飾るのが伝統的飾り方。
日本古来の風習では、陽が昇る方向が上座とされてきた。
京都御所を北に見て殿が向かって右(東側)にお座りになられていた。
全国的に男雛が向かって左という現在の形になったのは!?!
大正天皇が即位の礼で天皇が向かって左、皇后が向かって右に立たれた。
この立位地(西欧の所作)が、定着した事による。どちらが正しい、では無い。
歴史的変遷そのものだ。こうしたことは、広く庶民も知っていて然るべきと思う。
以前、ブログルでひな祭りについて記した事があった。
「令和肆年(皇紀2682年)3月3日、記」
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