春到来。だが、東北青森と神奈川県では温度差20度以上もある。 早朝の青森から神奈川に戻ってみると一気に“暑い”って感じた。 1週間で2往復!?!おまけにあちこち寄って。。。 若くないんだァ・・・!って感じるのは左膝・右肩が。。。!?! 若いころ痛めた所が痛みやすい。ケアーを心がけないと。 戻ってきて、リハビリ散歩?^^)。 白・黄色と、一気に花が咲きはじめていた。 (3月9日)
三陸海岸線に予想だもしない大災害をもたらした東北大震災、早い、あの日から明日で2年。 拙宅ある神奈川県も地震には怯える地域。だが何となく他人ごとのような感じでの生活環だ。 被災地の全体像が見えない。それ程に広範囲で被災している。膨大な義援金が集まったと聞き及んでいるが、その全体像・・使途もよくわからない。 できることは何か?? 小さな我々仲間では・・個々の知り合いだけしか応援できない。それでも必死な被災過疎地の人々を思うと如何ともし難い。 改めて、被災地の現状を・・・甚大な被害、未だ進まない復興現場の凄惨さをリィポートしている記者の記事を紹介したい。 【忘れない、立ち止まらない】内外に広がる風化 「震災の恐怖」が「薄れていく恐怖」に 上記の表題で被災地;岩手県大船渡市・陸前高田市・住田町を販売エリアとする地域紙「東海新報」社の記者、鈴木英里(すずき・えり)氏の叫び。 * * * * * * 「復興も進んで、だいぶ落ち着いたようですね」 こうねぎらわれるたび、思わず言葉に詰まる。こちらが曖昧な笑みを返すだけなのを見て、相手もいぶかしく思うらしい。気まずい思いをさせて恐縮なのだが、なんと答えたら分かってもらえるだろうと考えを巡らせるうちに、つい絶句してしまうのだ。 東日本大震災発生から、まもなく丸2年を迎える。 カーテンを体に巻きつけ、寒さをしのいだ3月。消えた家族を捜し、徒歩で遺体安置所を回る毎日。足の踏み場なくうごめく蛆(うじ)、そして蜂ほどもある蠅の大群におびえる夏-そうした日々は確かに過ぎた。 仮設住宅への入居で一段落、町にあふれた報道陣やボランティアも大半が去り、住民も落ち着きを取り戻したかのように見えるだろう。 だが決して、被災前の暮らしが戻ったわけではない。むしろ、以前にも増して“失い続けている”と言っていい。 陸前高田市では被災した公共施設の解体が始まり、昨秋から建物との「お別れ式」が相次いだ。がれきが片付けられ、初めから何もなかったと言わんばかりに広がる更地。ひとつ、またひとつと“町の記憶”が失われていく(画像1)。 以前を知らない人にどれほど言葉を尽くしても、もはや「そこに町があった」と想像することはできまい。空恐ろしいのは、視界から消えた途端、そこで暮らしていた者さえ、どこに何が建っていたのか定かでなくなってしまうことだ。 内にも外にも広がる風化。「震災の恐怖」が、「薄れていく恐怖」。このまま忘れ去られるばかりなのかと、住民は焦燥感を募らせる。 さらに、だだっ広い浸水域を目にし、改めて「ここへ住むことまかりならぬ」という現実を突き付けられる。高台移転の実現は何年先になるのか、具体的なスケジュールはまだほとんど示されていない。見通しのきかぬ濃い霧中へほうり出されたような歯がゆさは諦念に変わり、「もうずっと仮設でいい」という声が、高齢者のみならず若い世代からも聞こえ始めた。 これまで無我夢中で走ってきた人たちが、ふとわれに返り「まだこれしか進んでいないのか」と立ち止まってしまうと危険だ。下手をすれば、そこから先に進む気力を保てなくなってしまうからだ。 この2年、闇の中から必死にはい上がってきたものの、多くの人は心身ともに、いつまた転げ落ちるか分からないギリギリのバランス上にある。被災地ではあの日から何も“終わって”などいない。それどころかまだ“始まって”すらいないのだ。 【忘れない、立ち止まらない】「防潮堤」で気付かされた自然へのおごり(画像2) 「12・5メートルにするって、いつ、どう決まったんだ」「そんなもの本当に意味あんのか」。 陸前高田市の防潮堤づくりに関する行政や議会とのやりとりのなか、市民はしばしばいらだちを滲ませた。 4階建てビルに相当するコンクリートの壁が、海沿いに延々と続く…。想像するのも難しい非日常的光景であると同時に、それだけの高さ・規模と聞いて、まず住民が思い浮かべたのは、釜石市の全長2キロにわたる防波堤ではなかったろうか。 「世界最新」のギネス記録を誇り、30年の歳月をかけて2009年に完成したこの“海の砦(とりで)”は、東日本大震災の大津波で崩壊。総工費1200億円が一瞬で水泡に帰した。 津波を6分間遅らせる効果があったとも分析されているから、全く無意味だったとはいえない。だが。 「人の造るものには限界がある」-。それがこの津波を経験した人に等しく宿る思いだろう。 こうしたなか、「森で防潮堤を築こう」というプロジェクトが注目されている。埋め立てたがれきの上に盛り土して常緑広葉樹を植え、堤防を“育てる”-。横浜国立大の宮脇昭名誉教授が提唱するこの方法は、岩手の大槌町、宮城の岩沼市などで実現を目指すところだ(画像3)。 10~15年かけて地中深く根を張った木々は、押し波に耐えるだけでなく、引き波で人や物が流出するのを防ぐ。実際、カシやタブノキの木立がこの津波にビクともせず立ち、何十台もの車をせき止めている光景は圧巻だった。 発災後まだ半年のころ、京都の高僧と陸前高田で出会った。その僧が「人間の傲慢さに、自然が警鐘を鳴らしたのだろう」と口にした。「罰があたったのだ」。言外にその意を感じ取り、「なぜその罰を、東北がかぶらねばならなかったのですか」と叫びそうになるのをようやくこらえた。傷口に塩を塗るような、あまりに心ない物言いに思えてならなかった。 だが今なら理解できる。人は自然のもとに、謙虚であらねばならないのだと。征してやろうなどというおごりは捨て、その力を借り、共存を探る姿勢が必要なのだ。 大船渡、陸前高田の両市で、いまだ300人の行方が分からない。毎月一斉捜索が行われているが、この1年数カ月で見つかったのは「人骨がたった2片だけ」という事実を前に、森の防潮堤構想に携わる陸前高田出身の男性が思いを吐露した。 「鎮守の森があれば、人が海へ“持っていかれる”のを防げたかもしれないのに」…。 戻らない家族を、仲間を待ち続ける人たちの無念さを、置き去りにしてはならない。 ※横浜国立大の宮脇昭名誉教授は、日本で「自然保護」という言葉・定義を定着させた方。自然を生かした町づくりを、40年も前から提唱されている。※
ゆっくりと歩行(散歩)していると、思いがけない花と遭遇する。 正直「ツルボ}???かっておもいつつ写真に撮った。 確信が持てない。専門家に尋ねてみたら、珍しいですね。。。! 迷った末に持ち帰るのをやめたのだが・・・。 枯れた感じの風合いがなんとも言えない(撮し方が下手で実物は瀟洒だった)。 晩夏に魅せる花穂も良いが、初めて出会った花。 このままで夏まで魅せてほしい。 ひと目につきにくい所だったので静かに魅せて・・・。 再会したいものだ。行けても5月かなぁ~~~! 楽しみだ。 何か・・・老いて(枯れて)も盛ん!!って感じだった。 花が終わった後の状態、それぞれの萼にひとつずつ、黒い種子が入っている。 この種子を持ち帰って見たい衝動に駆られたが・・・。 野にあっては、自然に帰ったほうが摂理。再会を楽しみにその場を去った。 植物の深淵な世界を見た気分^^)。 「ツルボ」 [学名] Scilla scilloides [英名]なし [名前の由来] 不明。別名、サンダイガサ(参内傘)。 [分布] 北海道~沖縄、東アジア [科名] ユリ科ツルボ属 [花色] 淡紅紫色 [花期] 8月・9月 [特徴] 日当たりの良い山野、林の縁に生える多年草。 花茎は高さ20cm~50cmになる。先端に総状花序を出し、花は径約6mmで6個の淡紅紫色の花被片からなる。花糸は糸状で下半部は広がる。 葉は長さ15cm~25cm、幅4mm~6mmの線形で、2個が根生するが、花期にはないこともある。内側は浅くくぼみ、厚くてやわらかい。 地下には黒褐色の鱗茎があり、長さは2cm~3cm。 果実はさく果で、長さ約5mmの楕円形。
三月三日の雛祭り《上巳(じょうし)/陰暦三月三日「桃の節句」》、 女の子がいない?我が家は雛飾りをついぞしていない。 長男を授かる前は、飾り雛もしていたが!?! 「雛祭り」一般的に個々の家庭では、如何様に処しておられるのだろう??? 伝統的な風習(日本国内の)が、異国の文化??に押され気味だ。 お雛様・・・毎年買い換えることなどするはずもない。高価だし。。。! 家庭に伝わるお雛様。これを想うと商売的に盛り上がらないか!?! 和菓子・・「桜餅」「長明寺」「道明寺」お雛祭りに欠かせないっておもうのだが。 バレンタイン・・ホワイトディー、メディアも含めて結構盛り上がり?!? スーパー、コンビニでもそれ用商品があふれている。ふしぎだ。。。! 我が身を思うと、昨今はこの季節自転車三昧であったが・・・。 そんな自転車に、乗れない日々、9ヶ月にもなろうとしている。 昨年の今頃は、まだ自転車であちこち出かけていた。 そんな中、昨年は3月頭に「吊るし雛」を見に行った。 今住まい居る拙宅から一寸離れた所の数箇所で「吊るし雛」を催しておられ、 昨年訪ねた時の画像が出てきた(画像1)。 近在の方々が、伝承したいと公開されている。 伝統って・・古いものだけではない。創造性をも加味して繋いで行くもの。 「和の美」独特の空間。木造民家にはぴったり。地域に根づいた小さな催し・・・! そんな輪が波紋の様に少しづつ、次期世代に継承される事を切に祈り希したい。 ちょっと気になったのは、お内裏様の冠(画像2)。 これには、決まりがある。内裏様とは、天皇を指す。お雛様は、皇后です。 纓(えい)の先端が垂れずに頭上に上がったままの形は、 天皇だけが使える形で御立纓(ごりゅうえい)という。冠の形式(画像3) 画像を見ていて?訪問したときは気づかなかったが、この内裏様の冠は??? 垂纓(すいえい)といい後ろに垂れている。此の形式は、伴の形だ。 今、こうしてみてみると形式(格式)って結構、雑に扱われているって感じがする。 最も我々自体、間違っても支障はない。だが知っている事も良いと思える。 正装と言われる場合、洋装は結構わかり易いが和装は分かりづらい気がする。 時代と共に変化するのだろうが、見て覚えるのも良いのでは・・・。 吊るし雛って、豪華であり・・時代背景も加味されて楽しい。 女子の孫が現れたら!!作って見たい。
昨今、所要で行き来している近くに立派な植物園がある。 行く度に訪れている。先週も楽しみに訪れてみた。 此のところ、近隣諸国との関係が??? 「支那」「朝鮮」それを冠にした花名が多々ある。 花の少ない野山にあって植物園は、さすがに華々しい!?! 「シナマンサク(支那満作)」(画像1)、 「チョウセンレンギョウ(朝鮮連翹)」(画像2) 「ソシンロウバイ(素心蝋梅)」(画像3)等々に出会えた。 ソシンロウバイ原産国・中国は「素心」を尊ぶ(園芸種として)。 そんな素心蝋梅を中国・四川省北部で見たことがあった(二十年も昔)。 野生種の蝋梅は、内側の花被片が短く暗赤紫色。 この暗赤紫色が抜けて花全体が黄色一色になる花を素心蝋梅と呼ぶ。 素心とは混ざりけのないことを意味するとか。 中国では素心を尊ぶ、ランにしても同様。 「支那」「朝鮮」と冠を戴く国々の知人達、皆、温厚だ。 「素心」「清楚」「簡素」・・「支那」「朝鮮」の奥深い「木の文化」。 それら同様に「和の文化」も含め思うと、文明優先社会が、、、今。 「文化」はどこへいってしまった???等と。。。 激昂・激情的姿の報道を見ると・・どこか・・作為てきに映る。 頭を冷やせ・・・って、「隕石は」気が付かせてくれた!?! 色々な事あるなぁ~~~~! 「咲くも無心、散るも無心。花は嘆かず、今を生きる」 花々より色々と教えてもらっている。。。
表題の「船船境航」は昨年の創作四字熟語、優秀10編の一つ(戦々兢々)。 このところ、尖閣諸島周辺により緊張が深まっている。 自然界の摂理・・弱肉強食的!?!・・・で凄まじい勢いで挑発してくる。 動物の世界では当たり前に繰りひろげられてるが、そこには、「掟」が存在しよう。 食物連鎖・食物循環、その中にあって最も凄惨・卑劣なことをしているのが人間か!?! 己の欲求のため・・美食のために、生活が為の物欲、而して名誉欲なる精神的欲求も。 鳥や小動物の捕食を垣間見ると、微笑ましく見える(画像1・2)こともある。 ところが、見た目に凄絶感あると・・何となく悪者的になってしまう(画像3・4)。 湘南界隈(神奈川県)でリス害、鳶・カラス害といわれるが起因の基は人間が作った。 鳶は、人のお弁当をもおそうようになった(画像3)。それも餌を与えたことにある。 カラスは、仲間意識があるようだ。集団で行動する!!(画像4) 「共存共栄」どうしたら良いのだろうか???動物との関係は、修復できようが・・・。 人間同士のイザコザは、大変だ。 過去に捕われていると前に進めない。こじつけ応酬になってしまう。 日・韓・中国と並べてみると、レベル・見解・感覚の違いではないと思える。 法あっての政治だが韓国の法体系は、日本の旧大日本帝国憲法・法令を参考にしている。 それ故、日本を意識してより反日を出す。それは、日本を超えた、否、侵略された 負のみを全面に出して国民を煽っているに過ぎない。今の韓国、日本も主権在民だが、 権力構造・経済社会構造に、かなりの違いがある。 韓国は、どちらかと言えば保守的!!財閥中心経済。 憲法にしても改正に改正を重ね1987年の第9次憲法改正で独自憲法になった感がある。 「侵略」を全面に出すのは、韓国の法体系を作ったのが日本人だったからだろうか!?! 中国は、内乱の繰り返しで現国家体制になった経緯からして、侵略という概念が希薄?? そして法体系にしても旧ロシアに習い大陸法的である。 更には、制定成文法的要件定義に欠けて、末端行政は慣習法的な法規約が多い。 立法は、国家主権、基本的法律の定義に欠けてる。すべては、時の全国人民代表大会が制定。 個々の法律は全国人民代表常務委員会が制定している。 一寸拾っただけでも我が国との違いが見えてくる。 昨今の領土問題、環境汚染問題。どちらもレベル違いではなく、ラベル自体が異なっている。 此の点を我々庶民も認識しないと、単に相手を罵倒するだけだ。 中国・韓国、2つの国のエリート達が西欧の大学等、文化機関で沢山研鑽されている。 今や、武力的対応で強国になれるものではないことをわかっているだろうに。 中国・韓国ともに、内政にある庶民の不満の矛先を変えるために日本を利用してるに過ぎない。 日本も緻密に分析・対応できる研究機関、シンクタンクが必要だ。 「2番ではいけないのですか??」等と、、、。 無粋・無意味、無効力な「仕分け」等していた付けが回ってきた!! 文化的交流、個々人では互いを認め合っている所もあるのに、、、! 対・・「国」なる大きな大きな問題になると、理不尽な態度を平然と執る。 中国の東南アジア諸国に対した処方。韓国が、ベトナムに対した所業。 日本も過去の反省の上に立って、沈着冷静な施策を講じて欲しい。 隣接諸国に対してしっかり自己防衛できる体制を早急に構築すべきだ。 同時に内政・・・東北震災の復旧、対処が遅い。何とかならないものか??? 過疎被災地を訪ねる度に・・・ため息が出る。そんな折、MSNニュースで凄い写真を見た。 ロシア・クラスノヤルスクで水浴びする幼稚園児ら。氷点下約23度ですよ!(ロイター=共同) 画像は、ニュース添付画像をお借りした(。 意思あらば・・・なせる!! 国政を司る政官のみなさんに期待したい。
雪ニモマケズ、風ニモマケズ、控えめに魅せる「花達」 先日、首都圏に大混乱をもたらした降雪。 見た目には美しいのだが、、、!って、再度今週末に降雪か?? 先日の降雪の翌朝、路面は凍てつき、歩くより良いかって!?! 自転車に乗り近所まで出かけた(脚の鍛錬)。 気をつけていたのだが、左折する所でスッテンコロリ。 厚着??で助かった。それと早朝だったので車も人もいなくてよかった。 目的地のボロ小屋の雪下ろしをしたあと、先の里山方面に歩いてみると・・・!! 陽が当たっている路傍に鮮やかなコバルトブルー色が見えた!!(画像1) 葉っぱに隠れていたがきらりと光って見えた。 綺麗な色合い、ガラス球の様に輝いていた。 じゃのひげ(蛇の髭)、ユリ科の植物の実。 細い髭のような葉に隠れて居る。 そっとかき分けて撮らせてもらった《別名(リュウノヒゲ)》。 まだ1月、関東での降雪は、2~3月に多い。 そんななかでも今、戸外で活き活きと咲いている花が見える(画像2)。 はな菜(菜の花)。花を雪が守っているようだった。 画像の様に咲いてしまうと食用にはならないが、蕾の頃が食べごろ。 食材・野菜でもある。 公園によってみると残雪はあったが・・植物も芽ぶいていた。 ねこやなぎ《狗尾柳(えのころやなぎ)》の花芽も魅せてくれて..。 残雪の中でみるとなんとも言えない。 ゆきのようでもあり・・春を感じさせてもくれた。
「反観合一」 日常の生活の中でも心してる感覚。 物事、対極からすり寄って眺めてみると自分の落ち着き処が見えてくる。 「歴史・文化」、生活環境のなかに二つの言葉を当てはめてみると 「古都」に代表されるように歴史的環境・世界遺産をも連想させる。 日本の「三古都(首都)、奈良・京都・鎌倉」 その中で最も形骸化されてしまった感ある鎌倉!?! もう死語的だが「戦後の経済成長」「首都郊外の生活地」 この二つの言葉・背景に見る鎌倉は、単なる高級住宅地に成り下がり?? と同時に単なる観光地で、今や古都と呼べる環境ではない(古都的観光地?)。 中世以来の「木の文化」、自然要塞と思える自然環境(樹木中心に)!!! 「古都保存法」(通称)、古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法、 その原点は、鎌倉である(昭和41・1966年施行)。 しかし、鎌倉の環境(旧市街地)は、点在する社寺と数件ある近代の建造物。 歴史遺産に登録したい、とされる「武家の古都・鎌倉」の歴史的環境が整備されてるとは言いがたい。 古都法が施行されるきっかけになった、御谷保全運動以来、行政対応や保全変遷に疑義を持つ。 鎌倉の目の前に広がる相模湾、世界稀有の海洋生物の宝庫といわれる。 自然環境をも視野に入れ複合(自然・文化)遺産を模索すべきであったろう?? 往古より日本各地で脈々と継承されてきた、木の文化。 而して自然を上手に使ってこそが、日本の環境保全の特徴でもある。 鎌倉には、通称!?!「鎌倉彫」と呼ばれる木工技術・木工芸が継承されている。 世界遺産登録も良いが、鎌倉独自の文化を纏め、 中世以来の鎌倉文化・歴史的風土を再考、歴史的文化都市の確立を望みたい。
お正月以来・・・部屋にいることが多くて、久しぶりにTVを見る機会がいっぱいあった。 今年の干支は・・「巳」年(みどし)、と呼びたいのだが・・・??? テレビでは、「へびどし」と、申し合わせたように言っていた。 やっぱり・・・「みどし」のほうがよいと思うが・・・!?! これって偏見。。。?