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「余録」
ムラサキシキブ名に付いて興味深い資料がある。
江戸期・町人文化の粋、化政文化(1804年-1830年)時代。
園芸の隆盛を極めた頃に記された文献に『本草綱目啓蒙』がある。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1806)32 紫荊の条に、
「ヤマムラサキト云、一名ムラサキシキミ 紫式部 タマムラサキ
コメウツギ紀州 コメゴメノ木越後」。
この文面で、“一名ムラサキシキミ”に関心を持った。
ムラサキシキミ「紫重実」と書くが、重実とは実が重なり合うを意味する。
紫の実が重畳と重なり合うように稔る様だが、ムラサキシキブの同義語。
京都地方に伝わる古くからの呼び名。
こうした呼び名が、いつしか紫式部に落ち着いたか。和の美的表現。
「令和陸年(皇紀2684年)11月16日」