《 雅羅・/・襍囈〝今時の草花〟❖ ’24-46 ❖ 》

ヒマラヤユキノシタ(ヒマラヤ雪ノ下) ユキノシタ科(Saxifragaceae)
学名: Bergenia stracheyi (Hook.f. et Thomson) Engl. 
別名:オオイワウチワ、ベルゲニア
2021年1月頃、日付不明。蕾~開花。
2021年1月下旬。屋外。
《 温室の植物 備忘録“今の時期に咲いた草花”  》
ヒマラヤユキノシタ;
分類:多年草(常緑)
原産地:南アジア(ヒマラヤ地方)
大きさ:背丈15~50cm、横幅35~60cm
大きな葉で寒い花の少ない季節に咲くピンクの花をさかせる。
太い赤紫の茎や肉厚の葉は、独特な雰囲気を醸し出す。
耐寒性の花で寒さが厳しくなると葉が赤っぽくなるようだ。
丈夫な花の様であるが、高温多湿に弱いようだ。
早春に、やさしいピンクの花を咲かせる。
革質で厚みのある楕円形の大きな葉を地面に張りつき広げる。
なんとなく風格がある。太い根茎が横に伸び樹木のようだ。
園芸種も多く花色も赤から白までと色々。春・秋と二季咲き品種もある。
 
温室で育っているせいか、開花が早い。身近な温室にて。
以前のは、屋外花壇。
 
「令和陸年(皇紀2684年)2月15日、記」 
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《 雅羅・/・襍囈〝今時の木花Ⅱ〟❖ ’24-45 ❖ 》

モクレイシ(木茘枝) ニシキギ科(Celastraceae)
学名:Microtropis japonica (Franch. et Sav.) Hallier f. 
モクレイシ(木茘枝)花芽
モクレイシ(木茘枝)花・・咲き始め。
モクレイシ(木茘枝)雄花。
モクレイシ(木茘枝)雌花。
モクレイシ(木茘枝)樹皮。
以上の画像、総て借り物。
《  備忘録“今の時期に咲く小低木の花”  》
海岸近くの林に生える常緑性小低木。本州での自生地分布は、限定的。
神奈川県西部(大磯丘陵、渋沢丘陵)、伊豆半島、伊豆諸島。
神奈川県内では高麗山(平塚市)の自生地はよく知られている。
樹皮は、なめらかで灰褐色、多く分枝して高さ数十cmに達する。
枝は木化し、著しくかたい。茎も葉も灰白色の短毛が密生する。
葉は、厚く皮質だがやわらかく対生し全縁で楕円形または卵形。
先は、鈍頭でときに微凹端。基部は、鋭尖形で葉柄に連続する。
シャモジかスプーンの様な形。又、葉の付き方は見事な十字対生。
晩秋-早春にかけ、葉腋から総状または円錐状の花序をだす。
頭花は明らかな柄をもち、筒状花からは異臭を放つ。雌雄異株。
雄木には雄花が、雌木に雌花を付け、共に3~4月に開花する。
葉脈に緑白色の小さな花をつける。花弁五枚。
雄花には雄蕊が5つで目立つ、が退化した雌蕊もある。雌花より大きい。
雌花は、雌蕊が一つ観えるだけで雄蕊は見えない。
実は蒴果。中に赤い仮種皮があり、種子が中に。ニシキギ科の特徴か。 
 
「令和陸年(皇紀2684年)2月14日、記」
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《 雅羅・/・襍囈〝今時の木花Ⅰ〟❖ ’24-44 ❖ 》

ハンノキ(榛の木) カバノキ科(Betulaceae)
学名:Alnus japonica (Thunb.) Steud.
別名:ハリノキ、ソロバンのキ
部分画像は、借り物画像。


《  “今の時期に咲く落葉高木の花”  》
水湿のある低地に、普通に生える高さ15-20mの落葉高木。
幹(樹皮)は紫褐色~暗灰褐色、不規則に細かく裂けて剥がれる。
葉は互生し、葉柄が長いのが特徴で卵形状長楕円形、鋸歯がある。
やや革質、表面は無毛で、裏面は始め毛があるが後に無毛となる。
葉脈がはっきり見え、主脈は裏面に隆起する。側脈は9~11対。
雌雄同株で、葉の出る前に、前年枝の先に2-5花の雄花がつき下垂し、
雄花の花序より基部の葉腋から1個ずつ雌花がつく、長さ3~4㎜と小さい。
開花すると黄色の葯が見え、黄色っぽくなる。
果穂は長さ1.5~2㎝の卵状惰円形。果実は長さ3~3.5㎜の堅果で翼がある。
研究者ノート(筑波実験植物園;奥山雄大)
チョウをはじめとする昆虫の幼虫の多くは、
限られた植物だけを食べて成長することができます。
アゲハチョウとミカン、モンシロチョウとキャベツの関係でおなじみですね。
水生植物区の池の周りに生育しているハンノキの若葉だけをえさにしているのは、
金緑色に輝くとびきり美しいチョウ、ミドリシジミの幼虫です。
ミドリシジミの成虫が現れるのは年に一度、初夏だけ。
7月には卵を残していなくなってしまいます。
美しい緑色のはねはオスだけが持っており、これを見せつけることでメスを呼ぶようです。
ミドリシジミはおもに朝夕に活動します。
閉園間際の時間、池の木道を注意して歩いてみて下さい。
ちょっぴり幸運なら、ちらちらと緑色を見え隠れさせて飛ぶ小さなチョウに出会えるでしょう。
*       *       * 
根に根粒菌 を持ち、肥料木とされる。
雌雄同株(しゆうどうしゅ)の雌雄異花。有名なシラカバ(白樺)に近い種。
湘南・鎌倉・三浦半島では公園の池のほとりなどに植栽されている。
名前の由来;
①水に埋もれても育つため、水田の脇に並木状に植えて稲掛け(はざ架け)梁
として使ったことから「ハリノキ(梁の木)」と呼ばれ、転化してハンノキ。
②開墾を意味する古語「墾(はり)」に由来するとする説がある。
漢字は「榛」を使うが本来これはオオハシバミのこと。
西欧のこぼれ話 「妖精の国への道」;
ヨーロッパの先住民族ケルトの神話に、ハンノキ(種は不明)がよく登場する。
4月の守護樹で、勇気・慈愛・寛容を表すとされ、
ウェールズの守護神ブランの木とされている。
ケルト民族も農耕民族であり、低地を好み、荒地を肥沃な土地に変える、
肥料木であるハンノキを大切にしたようだ。
妖精(フェアリー)を生んだケルト文化であるが、
ハンノキは妖精の国へ続く道を守る木ともされている。
このハンノキを食樹としているミドリシジミの別名がゼフィルスである。
ゼフィルスは、ギリシャ神話のゼフィロス(西風の神)を語源としていて、
そよ風、微風のニュアンスもあり、一種の妖精のイメージなのだろう。
妖精の国へ続く道に植えられたハンノキに、
妖精ゼフィルスが舞っているイメージで、
ミドリシジミの一群にその名がついたのかもしれない。
 
「令和陸年(皇紀2684年)2月13日、記」
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《 雅羅・/・襍囈〝いなり!?!〟❖ ’24-43 ❖ 》

北鎌倉・光泉のおいなりさん。
《  今日は、何の日!!“初午”  》
「初午」とは、「2月の最初の午の日」のことを言う。
この日に行われる全国各地の稲荷神社のお祭りをも指す。
お祭りでは豊作、商売繁盛、開運、家内安全を祈願する。
各地の稲荷神社で色々な祭が行われ賑をもつ。
赤い幟りが立ったり、赤飯や油揚げ、団子等が売られ、賑やか。
2月の初午の日って!! 稲荷神社の総本社の伏見稲荷大社によれば、
その昔、和銅4年(711年)の2月の最初の午の日に、
穀物の神様が稲荷山(伊奈利山)に降臨されたそうだ。
この故事から、稲荷神を祭る祭事が行われるようになったとされる。
旧暦2月の初午の日は今の3月にあたる。丁度、田畑の準備を始める時期。
豊作を願って稲荷神社に参拝する習慣ができ今日に至っている。
ちなみに、稲荷の名は稲作の「稲生り」から来たとも言われている。
午(うま)は十二支のひとつで、干支に当てはめると2月。
初めて「午」となった日が「初午」。この日は、年によって変化する。
本来、旧暦二月の最初の「初午」を指すが、今は新暦2月の初午を指す。
「初午」といえば「いなり寿司(初午いなり)」をいただく!?!
 これは、稲荷神の使いであるキツネの好物が油揚げだったことに由来。
初午の際に油揚げや、油揚げに稲荷神の恩恵ある米(酢飯)を詰めたもの。
これを奉納したことが、「いなり寿司」の始まりと言われている。
稲荷神社、いなり寿司を親しみを込め「おいなりさん」と呼ぶ様になった。
だが、いなり寿司の形が東日本では、米俵に見立てた俵型をしている。
対して西日本では、キツネの耳に見立てた三角形が主流のようだ。
東日本では「いなり寿司」、西日本では「お稲荷さん」と呼ぶとも聞く。
更には、いなり寿司以外にも、「初午」に食べる行事食があるそうだ。
「初午団子」とは、繭のような形をした白いお団子を言うとのこと。
初午には、蚕の神様を祭る行事も行われていたそうだ。
繭が沢山できることを願い繭の形に似せて作ったお団子をお供えする。
食べる際には、醤油をつけない決まりがあったと伝わってきた。
理由は、醤油をつけると繭にシミがつき不良繭になる、と忌み嫌われた由。
「しもつかれ」は、鮭の頭、鬼おろしで擦りおろした大根や人参、油揚げ、
節分の大豆などを酒粕と一緒に煮込んだもの(栃木県の郷土料理)。
初午の日に、藁を束ね作った「わらづと」にしもつかれを入れ、
赤飯と一緒に稲荷神社にそなえる風習がある。
「旗飴」、旗を巻付けた棒の先に飴をつけたもの(奈良県にある飴菓子)。
商売をしている家が稲荷神社に供え、そのおさがりをもらうために、
商売をしている家に「旗飴ちょうだい」と子ども達がまわる風習もある。
日本の伝統に、五穀豊穣を祈る風習が根底にあったと言えようか。
更には、「初午祭」では五穀豊穣だけではなく様々なご利益を祈願する姿。
群馬県太田市にある6世紀より約1500年もの間、祭祀祭礼を以ってきた神社。
「冠稲荷神社」は、源氏にゆかりが深い神社としても知られている。
冠神社の初午大祭は、山の神が神馬にのって里におりたつ訪春を祝うお祭り。
旧暦の初午に近い3月、木瓜の花の咲く頃に毎年開催されている。
ランドセルなどのお祓いをしてもらえる「初午開運安全幸福祈祷」、
「義経公・義貞公 厄除稚児行列」「細谷冠稲荷獅子舞」などが行われる由。
面白い祭礼、此の眼にも焼き付けてみたい祭礼である。
*       *       *
きつねとおいなりさん、いなり寿司の形についても云われがあって面白い。
関東の「俵形」は、五穀豊穣の神を祀(まつ)る田の神信仰に由来する。
「稲生り(いねなり)の神」とされてた事から米を入れた俵に見立てた。
関西の「三角形」は、稲荷神社総本宮・伏見稲荷大社の稲荷山の形に見立てた。
又、狐の耳の形に見立てた等々言われは諸説あるが、稲荷信仰の反映である。
 
好みのいなり寿司、北鎌倉・光泉のそれは一般の俵型を横に大きく2つ分が一つ。
もう半世紀もの間、折々に頂いている。北鎌倉には名物和菓子もある。
観光的鎌倉にあって、誇れる食文化が脈々と続いている。嬉しい限りだ。
 
「令和陸年(皇紀2684年)2月12日、記」
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《 雅羅・/・襍囈〝2月11日〟❖ ’24-42 ❖ 》

門や玄関等に日の丸国旗を掲揚したものだ。我が家も最近は・・・。

《  “「梅花節(ばいかせつ)」今日は何の日!?!”  》
*建国記念の日*
1967年(昭和42年)から実施されている国民の祝日。
この日は、以前紀元節と奉祝されたが、終戦後廃止された。
建国の日ではなく、あくまでも建国を記念する日である。
それは、紀元節のイメージを抑えるために由。
紀元節;
1873(明治6)年から1948(昭和23)年まで祝日であった。
四大節(新年・紀元節・天長節・明治節)の一つであった。
日本書紀による神武天皇即位の日・紀元前660年1月1日を指し、
新暦(グレゴリオ暦)に換算し2月11日を祝日と定めた。
当初は1月29日だったが、翌年から2月11日に変更された。
戦後、日本国憲法の精神にそぐわないとして廃止されたが、
昭和41年に「建国記念の日」として復活したのである。
1873(明治6)年11月15日、紀元前660年を元年として「皇紀○年」、
という年の数えかたが作られたが、現在ではほとんど使われない。
「建国記念の日」の意味は、〝建国をしのび、国を愛する心を養う事〟
建国記念の日(2月11日)は、明治憲法下の時代には紀元節と呼ばれた祝日。
この時期に咲く花の名をとって「梅花節(ばいかせつ)」とも呼ばれていた。
名前は変わったが、日付を見れば戦前からの祝日である事は云うまでもない。
国民の祝日に関する法律の中の「建国記念の日」 
国民の祝日に関する法律に、祝日の日付と意味が示されている。
「建国記念の日 政令で定める日(2月11日)建国をしのび、国を愛する心を養う」
この建国記念の日に関しては、「政令で定める日」となっている。
建国記念の日は、戦前は紀元節と称していた。
日本書紀によればこの日は天皇家の祖とされる神武天皇が即位した日。
その日付を新暦(グレゴリオ暦)の日付に変換したものであった。
 戦後、日本国憲法下で再び祝日が作られることになったとき、
どのような日を祝日に取り上げるべきか国民の意識調査をしている。
結果は、元日、天皇誕生日に次いで、 80%以上の支持を得た祝日。
それが建国記念日で、その日付は紀元節と同じ2月11日であった。
しかしこの祝日を当時、事実上日本を統治していたGHQが許さなかった。
GHQ は、天皇家を中心とした国家神道による大日本帝国の復活を恐れ、
神武天皇即位の日を祝った紀元節の復活的祝日を許さなかったのであった。
*       *       *
昨今、はたび【旗日】という呼び方を聞かなくなった。死語って感じだ。
 〈 国旗を掲げて祝う 〉国民の祝日の意味しているのだが、
 「祝日(しゅくじつ)/祭日(さいじつ)/祝祭日(しゅくさいじつ)/旗日(はたび)」、
みな「祝うべき日。国が定めた祝いの日」を意味する。
「旗日」とは、祝祭日の伝統的表現で家ごとに国旗を掲げて祝う日を言った。
最近、国旗を持っている家も少ないか??各家庭で国旗を掲揚する場所もない。
「旗日」という表現は、言葉としても死語になってしまった。
今や祭日はなくなり、祝日のみになっているが、祝日と祭日の違いを知っておくべきだ。
祝日とは、建国や独立など、その国の大きな出来事や記念日を国が制定した日。
1948年に施行された「国民の祝日に関する法律」で定められ今では年間16日もある。
祝日には、3種類がある。
【国民の祝日】国が定めた、仕事や学校をお休みにする日。
【振替休日】日曜や他の祝日に被った時に、代わりの休みになる日。
【国民の休日】祝日ではない休みの日、前後が祝日である平日の休み。
そして、祭日とは皇室の祭典や神社のお祭りなど、宗教儀礼を行う日。
古くは皇室祭祀令という皇室の祭祀(宮中祭祀)に関する法令があった。
ここで祭日は定められていたが、1947年に廃止。
それによって、現在では祭日はなくなってしまった。
だが名称を変え継承している祝日がある。
* 紀元節(きげんせつ)→建国記念の日。
* 春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)→春分の日。
* 天皇誕生日→昭和の日。
* 秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)→秋分の日。
* 明治節(めいじせつ)→文化の日。
* 新嘗祭(にいなめさい)→勤労感謝の日。
【継承されず廃止になった祭日】
* 元始祭(げんしさい):1月3日。
* 新年宴会:1月5日。
* 神武天皇祭:4月3日。
* 神嘗祭(かんなめさい):10月17日。
* 大正天皇祭:12月25日。
 
以上、知識として覚えておくのも良いやに思う。

「令和陸年(皇紀2684年)2月11日、記」
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《雅羅・/・ 襍囈〝朔・紅葉?〟❖ ’24-41 ❖》

2024/02/10 泉の森・民家園。
カジイチゴ(梶苺)の葉  バラ科(Rosaceae)
学名:Rubus trifidus
2024/02/10


2021/02/13 泉の森・民家園。
《  “河津桜の花は未だだが、葉の紅葉が見れた泉の森・民家園!?!”  》
朔。月と太陽の黄経差が0°となる日。旧暦では2/10が暦月の朔日。
旧暦の元日。旧暦正月朔日と言っても、何か・・響いてこない。
新・旧どちらにしても真冬、花の少ない季節だ。
そんな中、昨今は、気温が下がらず、シモバシラが見れない。
同じ園内にカジイチゴの葉(多分?)が、紅葉していた。
(梶苺)在来種、庭木としてよく栽培されている。
和名は、葉がカジノキに似ていることからに由。
新茎や新枝には軟毛、腺毛があり後に無毛となる。普通、刺はない。
葉は互生し、やや厚く掌状に3~7裂(5裂が多い)し、重鋸歯縁。
新葉の葉柄や主脈には腺毛があり、後に無毛となる。托葉は、狭惰円形。
ハチジョウイチゴも同じような場所に生え、花や葉がよく似ている。
若い茎に刺があり、茎や葉裏の脈に白毛があり、腺毛はない。
モミジイチゴ(長葉紅葉苺・・広義・・日本固有種)
Rubus palmatus Thunb. var. palmatus( ナガバモミジイチゴ)
茎や葉には刺がまばらに生える。茎の刺は曲がらず、葉柄や枝の刺は曲がる。
托葉は、披針形。葉身は、長卵形、重鋸歯縁、掌状に3~5裂し中裂片が特に大きい。葉の形や鋸歯には変異が多く、切れ込みが少ない場合もある。葉裏は緑色。
 
色々と思い巡らすと、やはり此の葉はカジイチゴの葉、と思える。
 
「令和陸年(皇紀2684年)2月10日、記」
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《雅羅・/・ 襍囈〝立春過ぎに〟❖ ’24-40 ❖》

ウメ(唐梅) バラ科(Rosaceae)
学名:Prunus mume Siebold et Zucc. ‘Tobai


梅・・和菓子!!


《今の季節に観える樹花・・植栽樹 !! 》
ウメ Prunus mumeは落葉小高木。高さ10mになるものもある由。
葉枝は長さ約1cmでアンズは2-3.5cm位なので区別できると言うが。。?
幹は、黒っぽく裂け目がある。樹皮は、硬い。
日本にも野生種が九州にあるらしいが、実見分した事がない。
奈良時代以前にはすでに中国より渡来しており、植栽されていた。
'唐梅'は緋梅系で木質部が赤く花も紅花。古くからの名品と云われて来た。 
唐梅性(とうばいしょう);
花が開花初期は淡ピンク色~赤色、終期は白色。 花柄が長く花は下向き。
唐梅(からうめ、とうばい)、唐梅枝垂(とうばいしだれ)、八重唐梅(やえとうばい)、
と梅の分類は明治時代の「梅譜(ばいふ)」(小川安村著)が基となっている。
豊後生、難波生、摩紅生、紅梅生、緋梅生、杏生、寒紅生、紅筆生、唐梅生の9種。
大別した上、野梅生(一重)、野生梅(八重)、野生梅(八重絞り)、野生梅(青軸)と区別。
銘花は、48種。343品種名は、343種もあると記録にあった。
梅の盆栽(梅盆)、梅の栽培方法、梅の調理法等々、ネット検索は容易だ。
*       *       *
近所を散歩、出掛ける場所場所で梅の木はよく見かけるが品種等は判別出来ず。
一括して“梅が咲いていた”と身近な家人に言っている。“園芸種”が多いなぁ!!
梅の花が、可憐に咲いている。そんな季節になった。
 
「令和陸年(皇紀2684年)2月9日、記」
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《雅羅・/・ 襍囈〝立春の頃Ⅲ〟❖ ’24-39 ❖》

青色胡蝶蘭〈Blue Gene(ブルージーン)〉 ラン科(Orchidaceae)
学名:Phlaenopsis Blume
《 珍しい花色・・遺伝子組み換え !! 》
青色胡蝶蘭ブルージーンは遺伝子組み換えによる胡蝶蘭。
営利目的、非営利目的にかかわらず増殖、交雑、海外への持ち出しは禁止。
ブルージーンで現在登録中の内容
遺伝子組み換え花(OECD UI:ISK-311NR-4)
品種名:311NR 品種登録出願中(第35624号)
国内特許番号:第5548757号(17か国で特許取得)青色胡蝶蘭、
ブルージーンの特徴;~奇跡のめぐり逢い~
青いコチョウラン(Blue Gene)
コチョウランの仲間は東南アジアを中心に約 50 種、
花が大きくてカラフルな多くの品種は、殆どが人間の作出品種。
そんな胡蝶蘭の花色で青い色の品種は、中々出てこなかった由。
そしてついに登場したのが、遺伝子組換えの花色。
ツユクサの青色遺伝子を胡蝶蘭に導入して青色が出現した。
遺伝子組換え植物であるため、商品化するには条件がついた。
生態系を乱さない証明が求められていたが、
「国内の生物多様性へは影響しない」との結論が得られ、
令和 3 年 3 月に国の「一般ほ場での栽培及び販売」の承認を得た。
青色胡蝶蘭ブルージーンは中輪咲きの胡蝶蘭。「ミニ胡蝶蘭」とも云われる。
ブルージーンは、蕾や花弁の裏側にもブルーの世界が広がっている。
葉は、柔らかく薄い緑色をしているが葉揃いが規則性がない事が特徴。
*       *       *
植物の世界にも“遺伝子組み換え”で園芸種が現れているが!?!
人の・・人工的処理が無い、野の植物を目の前にしてこれで満足だ。
人間のエゴとも思える遺伝子組換えは如何かものか(個人的感情だが)?
 
「令和陸年(皇紀2684年)2月8日、記」
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《雅羅・/・ 襍囈〝立春の頃Ⅱ〟❖ ’24-38 ❖》

ギョリュウバイ(檉柳梅) フトモモ科(Myrtaceae)
学名:Leptospermum scoparium J.R. et G.Forst.
《 今どきの花・・立春に似合う響き !! 》
ギョリュウバイ(御柳梅・檉柳梅);
帰化種の木でニュージーランド、タスマニア、オーストラリアが原産地。
ニュージーランドでは、マヌカ(manuka・マリオ語)としてよく知られている。
蜂蜜の蜜源になり、蜂蜜はマヌカハニー(manuka honey)として食されている。
栽培も盛んで、ピンクの5弁、紅色八重咲き、白色二重咲き、鮮紅色で一重咲き'、
深紅色一重咲き、紅色八重咲き、深紅色八重咲きなど多数の園芸品種がある。
日本には戦後に輸入され、観賞用、庭木として栽培されており1月から開花する。
高さ2~4mの低木。樹皮は縦に長く剥がれる。小枝や若葉は絹毛に被われる。
葉はほぼ無柄、狭披針形と卵形の2形あり堅い革質、鋭形、刺激臭がある。
花は腋生又はときに枝先に頂生、無柄、普通、単生。花托筒は広こま状。
萼裂片は三角形、早落性。花は直径約1㎝。花弁は長さ約6㎜、類円形。
白色~縁がピンク色、まれに赤色、開出する。花盤は五角状円形、緑色~暗赤色。
雄蕊は約20個、花柱より多いか、わずかに少なく、花弁より短い。
花糸は花柱より細い。子房は先が無毛。
細い枝を密に生やし、その枝に葉や花を多くつけるため、
生け垣や公園等に利用されている。
葉は硬く、小さく先端がとがった形をしており、
その葉の形が「御柳(または檉柳)|ギョリュウ」という樹木の葉に似て、
花は梅の花によく似ているため、二つを合わせて「御柳梅」と呼ばれるようになった。
御柳梅は蜜源植物で、抗菌作用や免疫力のアップに効用あり注目されている。
マヌカハニーは御柳梅の花から採れるハチミツだが、豊富な蜜が採れる品種は限られている。
マヌカとは、マオリ語で「復活の木」や「癒しの木」を意味する。
アロマオイルの原料であることからティーツリーとも云われている。
御柳梅の花色は、白、ピンク、赤などがあり、
咲き方も一重咲きや八重咲きなど品種が色々とある。
日本では落葉時期から翌年までと長い期間開花する。冬に咲く花として人気があるようだ。
花径は1~2cm程で、中央の花托が肥大化した花盤がよく目立つ。
株元から細い枝を密に伸ばし箒状に生い茂る。
*       *       *
滞在先の庭片隅に咲き誇っていた御柳梅、瀟洒だ!
目的地は、そこから山道をつたって数キロ先。
花は、陽加減で色が微妙に違ってみえた。
都会の雑踏が洗い流された様に感じる環境。
透き通っている。だが携帯電波が届かない谷間。
不便に思ったが、自然と一体化して楽園に感じる。
トレラーハウスに戻り脇の檉柳梅を眺めていると、
この花達、下界と天界の境に見えて来た。
 
「令和陸年(皇紀2684年)2月7日、記」
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《雅羅・/・ 襍囈〝立春の頃〟❖ ’24-37 ❖》

フクジュソウ(福寿草) キンポウゲ科(Ranunculaceae)
学名:Adonis ramosa Franch.
Adonis amurensis auct. non Regel et Radde
別名:元旦草 元日草 正月草 歳旦草
朔日草  長寿菊  長寿草  報春花  土満作、各地で色々な呼び名がある。
《 今どきの花・・立春に似合う響き !! 》
フクジュソウ(福寿草);
「輝きの黄色の花よ福寿草  子等の上にも届けよ福と寿」
以前「辻占福寿草」(金沢・諸江屋)と言うお菓子を頂いた事がある。
菓子の中に説明紙が入っていた。御神籤(おみくじ)の様な菓子!!
「昔から金沢名物「辻占福寿草」は粋で可愛らしい縁起菓子です。
折りたたまれた紙に、かならずおいで  おもいがよい  むねがやすまる
ほれたなか  ねてはもおかる  たよりをまつ」
なんとも遊び心ある和菓子だ。
*能登半島を襲った地震、改めてお見舞い申し上げます。*
 
覗きこむ子のふしぎ顔福寿草--良寛(りょうかん 1758-1831)。
江戸時代の曹洞宗の僧侶、無欲恬淡、生涯寺を持たなかった禅僧。
諸民の信頼厚く、難説法せず、自らも質素な生活を旨とされた。
「子供の純真な心こそが誠の仏の心」として、
子供たちとよく遊んだといわれている。
淡雪の中にたちたる 三千大千世界(みちあふち)
またその中に 沫雪(あわゆき)ぞ降る 良寛。
 
この節、正月用の鉢植えとして園芸店でみる「福寿草」だが、
野の福寿草は旧暦の正月頃に顔を見せる。
雪の下から鮮やかな黄金色の花を咲かせる、そんな風合いが似合う植物。
園芸品種である「福寿海」だが、身近に見てるのは殆どがこの「福寿海」。
「寿」と表現するは、八重咲きである事を意味するのだそうだ。
自生種は、どちらかと云えば寒地性の植物で、関東地方より北に多い。
そして太平洋側には、あまり自生していない。
「福寿草」は、古くは、賀正蘭、側金盞花、雪蓮などとも呼ばれていた。
日本の園芸書として最古の「花壇綱目」(1681年)にも、
「福寿草、花黄色、小輪也,正月より花咲。
元旦草、朔日草(ツイタチクサ)とも、福つく草とも俗に言」とある。
今の正月に飾られる花は室(むろ)での促成栽培で、
各地生地で咲くのは、2月下旬(早春)の頃。
地上部だけが枯れ翌年の早春まで眠ってしまうスプリング・エフェメラル。
野生自生種(日本固有種)は、なかなか見つけられなくなった。
*       *       *
所要で滞在してる先で、スプリング・エフェメラルに出会えた。
納屋裏の温かな所に開花し始めてる。半世紀も前から見られている由。
野生種・・野の花って感じる周り環境。田舎という表現、好きだ。
「令和陸年(皇紀2684年)2月6日、記」
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