<グーグルロゴ>(156)「カミーユ・クローデル生誕135周年」
Dec
7
子供の頃から彫刻に親しみ、卓越した技術と才能を発揮します。そしてまた類まれなる美貌をも持っていました。19歳の時に彫刻家<オーギュスト・ロダン>の弟子となりますが、その時ロダンは42歳。2人は次第に愛し合うようになりますが、<ロダン>には内妻<ローズ>がいたため三角関係となり、その関係はその後15年にわたって続いていきます。
<ローズ>は大きな心の安らぎの存在であり、<カミーユ>は若さと美貌と才能に満ち溢れた刺激的な存在であったため、<ロダン>は2人のどちらかを選ぶことはできませんでしたた。その中で<カミーユ>は20代後半に<ロダン>の子を妊娠するも中絶し、多大なショックを受けます。やがて2人の関係は破綻を迎え、<ロダン>は妻<ローズ。のもとへ帰っていきます。徐々に<カミーユ>は心を病み、40代後半に統合失調症を発症してしまいます。
48歳の時に家族によってパリ郊外のヌイイ=シュル=マルヌにあるヴィル・エヴラール精神病院に入れられました。その後第一次世界大戦の影響で南仏のモントヴェルク精神病院に移動させられ、生涯をそこで過ごし、第二次世界大戦中の1943年、家族に看取られることなく亡くなっています。78歳でした。故郷に帰ることを終生願ったが叶うことはありませんでした。
精神を病んだ後<カミーユ>は多くの作品を破壊しましたが、そのうち約90の彫像、スケッチ、絵画が現存しています。死後の1951年、弟<」ポール>は「ロダン美術館」で彼女の作品の展示を行っています。
彼女の壮絶な人生は、伝記映画として、1988年に<カミーユ>の弟「ポール・クローデル>の孫<レーヌ=マリー・パリス>の書籍を原作として『カミーユ・クローデル』が、監督は<ブリュノ・ニュイッテン>、主演は私の好きな女優<イザベル・アジャーニ>で映画化され、彼女は共同製作者も務め、第14回セザール賞作品賞を受賞、<イザベル・アジャーニ>主演女優賞を受賞しています。