ご冥福を祈ります<有本嘉代子>さん
Feb
5
<嘉代子>さんの死去で、未帰国の政府認定拉致被害者のうち父母が健在なのは、<嘉代子>さんの夫<明弘>さん(91)、<横田めぐみ>さん(当時13歳)の父<滋>さん(87)と母<早紀江>さん(84)の3人となっています。
神戸市外国語大の学生だった<恵子>さんは1983年7月、留学先のロンドンで北朝鮮に拉致されました。<恵子>さんは自分で学費などを工面し、<明弘>さんら家族の反対を押し切ってロンドンに旅立ったといいます。
<恵子>さんからの手紙は、同年10月に届いたデンマーク・コペンハーゲンの消印が残るものが最後ですが、後にこの手紙は北朝鮮の偽装工作と指摘されています。88年には、別の家族に届いた封書から「(恵子さんは)北朝鮮で暮らしている」との情報がもたらされました。
事態が動き始めたのは、よど号乗っ取り犯の元妻が法廷で、<恵子>さん拉致を証言した2002年3月。同年9月には小泉首相(当時)が訪朝し、北朝鮮側が正式に拉致を認めた。拉致から、20年近くの時が過ぎていました。
ただ当時、北朝鮮側から示されたのは「ガス中毒で死亡した」との死亡診断書。しかし、<嘉代子>さんは信じず、希望を失ないませんでした。
工場経営で家族を支える<明弘>さんに代わり、拉致問題の解明、被害者救出を訴えた講演活動を何度も繰り返し、思いをつづった著書も2004年に出版しています。
近年、拉致被害者の再調査の中止や、ミサイル発射実験を繰り返す北朝鮮への怒りを募らせるばかりでした。しかし、2018年6月に <トランプ>米大統領 が米朝首脳会談を実現させると、会談の度に「生きている間に解決を見届けたい」と希望を抱いました。
毎年、<恵子>さんの誕生日の1月12日には自宅で赤飯やケーキを机に並べ、一緒に祝える日が戻ってくることだけを願い続けていました。
「優しく抱きしめて『お帰り』だけかな」。日頃から北朝鮮から帰国した<恵子>さんに再会した時にかける言葉は決めておられましたが、ついに言えず仕舞いになってしまいました。