ペンテコステの出来事 At the Day of Pentecost
May
2
使徒の働き2:1-4
1 五旬節の日になって、みなが一つの所に集まっていた。2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。3 また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。When the Day of Pentecost had fully come, they were all with one accord in one place. 2 And suddenly there came a sound from heaven, as of a rushing mighty wind, and it filled the whole house where they were sitting. 3 Then there appeared to them divided tongues, as of fire, and one sat upon each of them. 4 And they were all filled with the Holy Spirit and began to speak with other tongues, as the Spirit gave them utterance.
もうすぐペンテコステです。今日は、昇天のイエス様の後、何が起こったのかというお話しをしたいと思います。そうです、ペンテコステの日の出来事についてです。
★ ペンテコステ、五旬節、七週の祭りとは
先ほど読んだ使徒二章にもあったように、「五旬節」(「七週の祭り」、ペンテコステ)のできごとです。ユダヤには、七つの祭りがありますが、五旬節はその一つです。そして、全ての祭りは、イエス・キリストを指し示しています。春には過越の祭りがあり、イエス様の十字架を象徴していますし、種を入れないパンの祭りは、罪のないキリストを象徴しています。また、初穂の祭りは、イエス様の復活を象徴しています。そして、ここででてくる七週の祭り(ペンテコステ)は、聖霊降臨を象徴しています。あとの三つの祭りは秋の祭りですが、これは、やがてくるイエス様を指し示しています。
この七週の祭りというのは、二つの種を入れたパンを祭司のところに持ってくるという儀式があります。そして、これの意味するところは、一つの祭司によって、二つの罪ある存在、ユダヤ人と異邦人、すなわち、全世界の人々が一つにされる。ということを指し示すものであります。
みなさん、何ヶ月か前に話した、ヨハネの福音書を覚えていますか?
★ イエス様の祈り ヨハネ17章の実現
イエス様は、十字架にかかられる前に、父なる神様に、とりなして祈りました。
ヨハネ17:21-23
21 それは、父よ。あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。22 またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。23 わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。
イエス様は、切に祈りました。イエス様と父が一つであるように、イエス様と、信じるものたちも一つであるように、そして、信じている者たちも一つであるように。。。一つになることを切に切に祈りました。一つであるなら、世がイエス様を信じるようになると。。。
教会の成熟は、人数でもない、プログラムでもない、ティーチングでもない。いかに一つであるかによります。そうすると、世が信じる人の集まりに魅力を感じ、引き寄せられるのです。聖書にも、いかに人々が、御父と一つになっていたイエス様に惹かれてついていったことでしょうか。
★ 聖霊のバプテスマ、聖霊に浸される体験
ひとりだけの上にではなく、そこにいた全ての人に聖霊が下られた。
聖霊のバプテスマということばは、ペンテコステ教会にいれば、よく耳にすることであります。そして、また、油注ぎを受けた預言者であるとか、癒しの賜物をもつ働き人に注目が行き過ぎる傾向もあります。しかし、聖霊のバプテスマの本来の目的は、五旬節の祭りの意味にもある様に、二つものを一つにすることであります。
人々は、イエス様の言葉に根ざし、期待をして、ともに集まり、祈りに専念していました。イエス様の昇天から10日間、祈っていました。その日が来たので、自動的に聖霊体験をしたのではありません。
イエス様の言葉だけを頼りに、祈っていたのです。
そこへ、突然激しい風のようなごう音とともに、聖霊が降臨されたのです。そこに、集まって祈りに専念することに決めた人たち全員の上に分かれた下のような炎がのぞみ、聖霊のバプテスマを受けました。聖霊に浸されました。
聖霊のバプテスマを思うときに、どのように受けたら。。。と思う方が多いですが、ここでの人たちと同じように、父の約束を待ち望んで祈りに集中することを選んだらいいのです。また集まってともに祈ることもいいでしょう。とにかく、心に決めて求めることが大切です。人それぞれですか。。私の妹は、まだ礼拝にも来ていないときに、キャンプに行って、自分の罪とイエス様の十字架のことが分かった時に、急に聖霊に満たされ異言を話し始めました。。。一方、私は、なかなか受けられませんでした。でも、受けた時には、イエス様の赦しがはっきり分かった時に、滝に打たれたように、激しく聖霊が望みました。みなさんには、どのように来るのでしょうね。
★ 教会の誕生 聖霊によって一つにされた共同体
そののち、二章に書かれていますが、ペテロがメッセージをし、3000人がイエス様を信じ、共同体が出来ました。教会が発足しました。
ここで、教会は、一つになるために集められたのではなく、一つであるから集まるようになったのだということがわかります。
★ ペンテコステの出来事 イラストレーション
小さいコップをボールに十個くらい入れます。そこに、水を注ぎます。コップ一つ一つに注いで行き、あふれるまで、注ぎます。そして、その後も続けて注ぎ続けます。。。るそして、ボールいっぱいまで注ぎます。
ペンテコステの出来事は、このようです。一人ひとりの上に聖霊が臨まれ、あふれ、そこに集っている人たちの上に臨み、あふれ、完全に彼らを浸しました。同じ霊に完全に浸されたら、一つにならざるを得ませんね。
これが、聖霊の満たしの本来の姿です。
共同体の上に、注がれるものなのです。また、共同体、一つとなるべく注がれ、浸されるのが聖霊様のバプテスマなのです。
★ 力でなく、聖なるお方を求めましょう
聖霊と聞くと、力、エネルギーであるとか、見えないソースというイメージを持つ方がいると思いますが、聖霊様は、一人の神です。ご人格をもった方です。
PERSONです。そして、その名前は、聖なる霊です。聖なる方です。
私たちが、力を求めるなら、間違えてしまいます。
しかし、聖なるお方を切に求め、神様のみ言葉と約束に従って求めるなら、必ず満たしを体験するでしょう。
今日のお話しで分かるように、イエス様の情熱は、私たちが一つになることです。そのために、聖霊のバプテスマを私たちに約束してくださました。聖なるお方に満たされ、教会として、浸されることを求めていきましょう。
ぼ
Posted at 2016-05-02 16:26
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Posted at 2016-05-02 16:29
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Posted at 2016-05-02 16:32
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Posted at 2016-05-02 16:34
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