聖霊の九つの賜物 その3 特に預言について
Jun
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Ⅰコリント14章1-5
愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。2 異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。3 ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。4 異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。5 私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいますが、それよりも、あなたがたが預言することを望みます。もし異言を話す者がその解き明かしをして教会の徳を高めるのでないなら、異言を語る者よりも、預言する者のほうがまさっています。
Ⅰコリント14章29-33
預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。30 もしも座席に着いている別の人に黙示が与えられたら、先の人は黙りなさい。31 あなたがたは、みながかわるがわる預言できるのであって、すべての人が学ぶことでき、すべての人が勧めを受けることができるのです。32 預言者たちの霊は預言者たちに服従するものなのです。33 それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。聖徒たちのすべての教会で行われているように、
もう一度、聖霊の賜物についておさらいします。聖霊の賜物は、自分のためでなく、他の人のために与えられます。また、キリストの体に与えられます。人によって違います。それは、互いに仕えあい、愛し合うためです。鍵は、愛です。愛があるなら、決して間違うことがありません。今日は、パウロが協調して話している預言について話してみたいと思います。
パウロは、愛を追い求めなさい、そして、預言を熱心に求めなさいと言っています。
ある方の証し、どうしても友達の友達が病気で、その方に、神様の言葉からもらった言葉を伝えたかった。。。これは、この方の愛と憐みの心を通して、聖霊様が与えられた言葉だったのです。これも預言です。
私たちの愛、私たちの憐みの心を神様は用いてくださいます。愛があるなら、神様は、必ず、キリストの体に賜物を与えられ、また、互いに愛することによって、体を強めてくださいます。
パウロが言っているように、ぜひ、この預言の賜物を熱心に求めましょう。
★ 聖霊の賜物とは集約して言えば、神の声を聞くことである
まず、初めに神の声を聴くなんて、そんな大それたこと。。。。とみな思うのです。自分にできるのかな。できないに違いない。。。なんて思います。では、 実験してみましょう。今、皆さん方、静かにして、目をつぶってみましょう。頭の中で、自分の名前を言ってください。それでは、次に、カタカナで頭の中で自分の名前を書いてください。また、次に、頭の中で自分の名前を言ってください。名前聞こえましたか? 聞こえましたね。また、リンゴのイメージを思い浮かべてみてください。できますね。これができるなら、皆さん、神様の声を聴くことができます。これらは、神様が与えてくださった神の声をきく能力なのです。
聖霊の九つの賜物は、頭の中のイメージとなってきたり、声であるとか、私の場合は文字であるとか、映像であるとか、においであるとか。私たちの五感や頭のイメージを通してやってきます。ただ、それを口に出そうとするときに、自分の解釈、翻訳が必要となってきます。神様から確かに語りかけられているのですが、解釈が
★ 神の声を聞く練習と吟味について
一番良く受ける質問に、「これが、神様からの声か、自分の思いなのか、サタンの声なのか分からないのですが、どうしたらいいですか?」 と言う質問です。
聖書には、
Ⅰテサロニケ5: 19-21
19 御霊を消してはなりません。20 預言をないがしろにしてはいけません。21 すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。22 悪はどんな悪でも避けなさい。 19 Do not quench the Spirit. 20 Do not despise prophecies. 21 Test all things; hold fast what is good.
と書かれています。吟味をしなさい。日本語では、見分けなさいと書かれています。
どのようにして、見分けることができるのでしょうか。
私たちが聞いているあるいは見ているのは、次の三つです。
神様からの声、自分の肉の声、悪魔の声です。
見分ける方法は、
① 神の御性質にあっているか。み言葉の教えに合致しているか。神様は、聖書の真理に合わないことを人に勧めたりしません。
② 確証があるか。先ほど読んだ聖書箇所にあるとおり、Ⅰコリント14:26-33 預言を一人だけではなく、複数させなさいと聖書にありますが、それは、神様からの言葉なら、一人だけからではなく、他の人の口からも同じ言葉が来るというのです。自分に預言の言葉が与えられたからと言って、慌てることもないのです。神の言葉であれば、必ず、信者の中に、同じ言葉が与えられている人がいるはずだからです。
③ 自分の霊において、アーメンと言えるか。人が与えれた預言を聞いても、その人の詳しい事情を知らなくても、心の中で、アーメンと言うことができるのは、内におられる御霊様が確証を与えているからなのです。
一番は、やはり、本物を知ることです。神様の言葉をよく知ること。み言葉のうちにある神様の心を知ること。神様を知ること。神様の御性質を知ることです。御性質を知ることは、自分の人生をかけて知っていくので、このときも、あのときも、神様は、こうしてくださった。こう教えられた。。このような個人的な神様体験が自分の神理解を増していくのです。そして、これがクリスチャンの成長となるのです。
また、兄弟姉妹と交わり、ともに祈る習慣は、大切です。ともにあることで、確証を得る機会が増えるからです。確証をたくさん持っている人は、強められるからです。
★ Affirmation から始めましょう。
預言の練習においては、神の声を聞くこと神を知ることの他にもう一つあります。それは、人をほめることです。預言の霊は、人の霊を引き上げて、励まします。人を認めほめることも同じ力が働きます。また人をほめるときに、神様の目線に立って、ほめるときに、預言の霊が解放されます。私たちの教会では、Affirmation を非常に大切にしています。それは、預言の霊を消さないためであり、神様の目線を失わないためです。
Affirmationの精神を忘れないようにしましょう。
ぽ
Posted at 2016-06-09 16:38
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Posted at 2016-06-09 21:10
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