恥が栄誉に変えられ 教会が一つになる
Jun
13
今週は、ホライズン教会英語部のダン・ヘック先生が来てお話ししてくれました。そして、クゥエント・ドルジャー姉が証しをしに来てくださり、大変丁寧に一人一人のためにお祈りしてくださって、とても祝福されました。
下記に書きますが、かいつまんでいますので、音声から聞いていただくことをお勧めします。音声は、私の通訳を録音しています。
お話しは、教会がいかに一つになるかということについて、
一つになることの定義。
そして、私たちが一つになれないところの問題とその解決について話してくださいました。
エペソ4章全体から
いかに教会が一つになるのかということを話している。教会は、キリストの体と言われていますが、
とくに、16節に
キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。
各部分、すなわちあなたが全人的に神様に回復していただくことで、強められてこそ、体全体を助けることができる。
ダンは、他人の中に、自分の必要な強さを見ることがよくある。そして、キリストの体とは、互いに組み合わされることによって、結びあわされることで、自分にないあの人の中にある強さが自分の強さになる。
ちょうど結婚関係のようです。
しかし、個人が全人的に回復されてなかったり、結びあわされなかったら、あなたの素晴らしさが体全体の益になることはありえません。
何が邪魔しているのでしょうか。
今まで、英語の会衆でテーマになってきていましたが、恥の問題です。
いいクリスチャンであっても、この問題、長く祈ってきて、教科書どおり、聖書に従って、やってきたつもり、でも、心の中で、確信がない、何かもやもやしている、負い目がある。恥があるようなことはないでしょうか。
恥は、人を他人から自ら分離する力があります。自分の中に恥があれば、それを隠して、問題のないふりをして、人と接し、人と付き合います。でも、そこに真の一体感はないのです。形だけのコミュニティーとなっていしまうわけです。
そこに、本当の結び合いも、成長も、全体の祝福もないのです。
そして、一人の存在がかけても、体全体にとっては、損失なのです。あなたの中にあるものが、体全体を祝福するのです。
では、あなた個人の恥の問題にどのように対処したらいいのでしょうか。
イエス様は、姦淫の女がとらえられ引きずり出されたときに、律法によって裁きませんでした。そして、罪のないものから石を投げたらいいといいました。すると、人々は、去っていきました。
裁きは、恥をもたらします。
イエス様は、もう十分恥を受けている女に対して、すこし違ったアプローチをしました。
あなたを裁く人は、いないようですね。私もあなたを罪に定めない。
さて、行きなさい。もう罪を犯さないように。
と言われ、イエス様自身は、立ち去りました。
この後この女性は、イエス様に最後までついていく弟子となりました。
私たちの恥は、恥の上塗りによって自分を責めることで取り除くことはできないのです。イエス様のように、栄誉をもってして恥を取り去るのです。すなわち、イエス様の前に、恥を明け渡すときに、イエス様自身が栄誉をもって現れ、恥のサイクルから離れさせてくださるのです。
恥、自分の力でもうどうしようもない問題、取り繕って何事もない、完璧な人間のようにふるまっているなら、もうそれをやめませんか
今日、その生活サイクルから抜け出したい方は、一緒に祈りませんか
(もっと詳しい内容は、音声から聞いてください)
ぼ
Posted at 2016-06-13 16:39
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Posted at 2016-06-13 20:31
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Posted at 2016-06-15 13:18
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Posted at 2016-06-15 13:36
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