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主は私の羊飼い。The Lord is my shephard

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今週は、たくさんのホライズンフ... 今週は、たくさんのホライズンファミリーがシアトルに里帰りしました。不思議です。まるでみどりさんのメモリアルに合わせるかのようにしてみなさんシアトル入り。礼拝では、ちえちゃんと、みわちゃんが証しをしてくれました。神様の愛に感動。感動。とてもパワフルな祈りの時にもなりました。こうしてシアトルの教会に帰ってきてくれること、私たちにとって大きな祝福です!!
2016年8月14日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/5J4-1lZ-V5Q

昨日は、私たちの愛するみどりさんのメモリアルサービスでした。昨日のメッセージを準備している中で思い浮かんだ言葉は、なんと、三年前のみどりさんの快気祝い証し会の時のみ言葉と全く同じでした。神様に、とらえられて、持ち運ばれたみどりさんの人生がみ言葉を指ししめしていたことを改めて覚えました。今日は、そのみ言葉の一つ詩篇23篇をご一緒にメディテイトしていきたいと思います。

詩篇23篇

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。The Lord is my shepherd; I shall not want.
2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。He makes me to lie down in green pastures; He leads me beside the still waters. 
3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。He restores my soul; He leads me in the paths of righteousness For His name’s sake. 
4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。Yea, though I walk through the valley of the shadow of death, I will fear no evil; For You are with me;Your rod and Your staff, they comfort me.
5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。You prepare a table before me in the presence of my enemies; You anoint my head with oil; My cup runs over.
6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。Surely goodness and mercy shall follow me All the days of my life; And I will dwell in the house of the Lord Forever.

この詩篇は、イエスキリストの十字架を示す詩篇22篇と、再び来られるイエス様を指し示す、詩篇24篇に挟まれています。詩篇23篇は実に、今ある私たちのためのイエス様と私たちの生き方を指示しています。

羊について;

羊はよく聖書の中で人間に例えられています。羊は、人間と同じように野生の羊というのはいません。みな、世話されないと生きてけません。一匹オオカミならぬ、一匹羊というのは、存在せず、群れをなして生活します。羊は、視力が非常に弱く、あまり見えていません。近いくしかみえないのだそうです。だから、導き手が必要なのです。そして、非常に臆病です。また、牙もなく、強いところはないので、簡単に外敵に食べられてしまいます。だから、羊飼いに守られる必要があります。犬などは、よく捨てられても、家に数日したら帰ってきたり、ということがありますが、羊は、そういう方向感覚とか、来た道を帰るなどということが出来ず、迷いやすいものです。
羊飼いというのは、そんな羊を大切にし、羊の気持ちになって導いているのだそうです。羊飼いは、夜寝るときには、自分が門となって眠ります。

V1  主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。

羊の説明からも、羊には、羊飼いがいなければ、えらいことになるということがわかりましたね。詩篇23のはじめに、「主は、私の羊飼い。」とあります。「私の」羊飼いとあるとおりに、羊飼いとの個人的な出会いが私たちには、必要です。私たちは、迷いやすく、また弱いので、守ってくれる羊飼いが必要なのです。でも、誰が私の羊飼いか、知らなければ、さらに迷ってしまいます。
あなたの羊飼いは、誰でしょうか? あなたは、私の羊飼いと言える方にもう出会いましたか?

V2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。He makes me to lie down in green pastures; He leads me beside the still waters.

人にはみな名前があります。そして、私は、個人的にそれらの名前は、神様から来ていると信じています。みどりさんの名前は、いつも、この場所から取られたのだと思っています。神様は、目が見えず、方向音痴で、どこに私たちを生かす食べ物かわからない私たちをちゃーーんと、導いて、そして、豊かなみどりの牧場で十分食べさせてくださるかたなのです。肉体的にも、霊的にも養ってくださいます。

V3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。He restores my soul; He leads me in the paths of righteousness For His name’s sake. 

病は、気からという言葉がありますが、私たちの心に元気がないと、体まで病気になってしまいます。また、いくら体が元気でも、心が元気でないなら、私たちは、何をしてもうまく行きません。みどりさんは、最後の三か月、大変解放されました。癒しを経験し、解放を経験しました。それも、神様の御名のために、イエス様がそう導かれたのです。義の道というのは、神にあって正しい道。イエス様の道です。神との和解、人との和解、自分自身との和解の道です。その道は、赦しの道であり、赦された喜びの道であり、心の問題の清算の道です。私には、負いきれない心の問題だ。しこりだと思うことがあるかもしれません。しかし、御名のために、それがなされます。あなたにかかっているのではなく、神の上にその責任がかかっているのです。神はまた、あなたをそうして義の道に導き自由にしたいと思っておられるのです。

4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。Yea, though I walk through the valley of the shadow of death, I will fear no evil; For You are with me;Your rod and Your staff, they comfort me.

みどりさんは文字通り死の陰の谷を肉体的にも精神的にも通られた方でした。しかし、そんな中で、ともにいて下さるイエス様を見つけられました。がんの治療をしている時から、私はもうすべて神様にお任せしているの。。。とおっしゃっていました。

あなたのむちとあなたの杖。。。。羊は、物覚えも悪いので、あらぬ方向に行ったりしてしまいます。そんなとき、目の見えない羊に、羊飼いは、ピシッとむちをやります。そっちじゃないよ、こっちですよ。と。また、アンルーリーな羊には、ぐいっと杖で首根っこを引っ張り引き寄せます。どうしょうもないおてんば、暴れん坊には、仕方なく、足を折って、肩に担いで旅を続けたりします。崖から落っこちたり、群れから外れてオオカミに食べられるよりは、けがをさせても、羊飼いの肩に担がれて運ばれている方が安全だからです。

近視眼の私たちは、痛みを嫌がったりしますが、ダビデは、主の矯正は、慰めである。とさえ言っています。

5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。You prepare a table before me in the presence of my enemies; You anoint my head with oil; My cup runs over.

自分に敵がいる時ほど、心が落ち着くことはありません。食欲だってありません。戦いの時は、いつも腰を落ち着かすこともできません。しかし、この個所は、当時のミドルイーストの客のもてなし方だそうです。私たちの羊飼いイエス様は、戦いの最中にあっても、私たちのために、食事を用意し、仕え、そして、私たちを歓迎いて、客人のもてなしの一つである、頭に油を注いでくださるのです。そして、私たちの人生は、私たち主導の、いつも戦いの中で、切るか切られるかの、striving なものではなく、主にあっては、主がすべてを握っておられて、また祝いのパーティの席の様だというのです。

あなたは、何に対して、がんばって戦っていますか? これは、主の戦いであって、主がすべてをカバーしてくださってることを知りましょう。

6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。Surely goodness and mercy shall follow me All the days of my life; And I will dwell in the house of the Lord Forever.

羊飼いは、先頭をきって普段は羊を導いているようですが、私たちの羊飼いは、後ろからも追いかけてくる羊飼いです。私たちは、神様の声を無視して、神様から離れて忙しくしてしまうことがありますが、神様は、いつもいつくしみと恵みをもって私たちの後ろを追いかけてまでくれる方です。どこまでも、神様主導の祝福の道なのです。

みどりさんも、天の永遠の家に帰りました。永遠にいつまでも、主の家に入られました。私たちもこの恵みの家に住まいましょう。

もう一度いいます。誰があなたの羊飼いでしょうか?

主はわたしの羊飼い。私は乏しいことがありません。 主との個人的な出会いをまず求めましょう。また、日々求めていきましょう。


#イエスキリスト #キリスト教 #教会 #礼拝 #聖書

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愛する故みどりさんメモリアルサービス

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スピーチされた皆さんの共通の言... スピーチされた皆さんの共通の言葉は、笑顔の素敵なひまわりのような方だと。。。その通りのお写真です。このときは、まだがんで余命宣告された時からそんなにたってないころの写真です。
バイブルスタディ後のお顔。。。
彼女の一番つらいとき、一人娘を... 彼女の一番つらいとき、一人娘を天に送った時、一緒に寄り添っていてくれた、お友達のスピーチ。 お花もカラフルでとっても素敵で... お花もカラフルでとっても素敵です ゲストは、40名ほどいらっしゃ... ゲストは、40名ほどいらっしゃいました。都合がつかない方々もたくさんおられました。 前からの写真 前からの写真 聖歌 驚くばかりの Amazi... 聖歌 驚くばかりの Amazing Grace を味わって、歌いました。彼女の人生を表している賛美歌です。 随分みなさん帰られた後ですが、... 随分みなさん帰られた後ですが、教会員を中心に、集合写真。天国でまた会いましょうね。みどりさん。 エリックの聖書朗読。 詩篇23... エリックの聖書朗読。
詩篇23篇を読みました。
がんが見つかったとき、ホライズ... がんが見つかったとき、ホライズン教会に連れてきてくれたご友人のスピーチ。 ハワイから、シアトルに訪問中の... ハワイから、シアトルに訪問中のもとホライズンファミリー。パリスポ夫妻。 He will carry you という素晴らしい特別賛美とダンスをしてくださいました。力強かったです。 お花が美しいです。命があふれて... お花が美しいです。命があふれていて、永遠のいのちに入られたみどりさんを思います。 ご主人のスピーチ。本当に本当に... ご主人のスピーチ。本当に本当にみどりさんを愛しておられた、今も永遠に愛するとおっしゃった彼。。。感動しました。本当は、寂しくて、前に立てる状態ではなかったのに。。。 ささやかなスナックとともに、サ... ささやかなスナックとともに、サービス後みなさんでお交わりの時を持ちました。 愛する故みどりさんメモリアルサ... みどりさんは、コミュニティカレ... みどりさんは、コミュニティカレッジで日本語を教えておられました。若い方々も数名いらっしゃいました。 彼女の思い出のブース。後ろのか... 彼女の思い出のブース。後ろのかばんは、彼女の愛する息子からの母の日のプレゼント。とっても大切にしておられました。 たくさんの思い出、そして、みど... たくさんの思い出、そして、みどりさんの尊い人生を通しての神様からのたくさんのメッセージをありがとう。。。
天国で、また会いましょうね。私たちが行った時には、いろいろと案内してくださいね。みどりさん。
みどり松岡コアさんは
1948年12月2日 東京で生まれ
1991年2月2日に マイケル・コアさんとご結婚されました
1992年にシアトルに引っ越してこられました。
先ほど、みなさんのスピーチでもあったように、
ご自分でビジネスをされたり、日本語教師を長年されたり、新聞社で働いたり、日本語のブリスクールで教師をしたりと本当にタレントのある方で、多くの人に関わりのあった方です。
2016年8月2日に 天のイエス様のところに召されました。

私は、このホライズン日本人教会の牧師、貴子モルガードです。みどりさんと知り合ったのは、みどりさんに肝臓がんが見つかり三か月と余命宣告されたころでした。2011年のことでした。教会に癒しの祈りを受けに来られたのがきっかけで、教会に集われるようになりました。

日本でも、幼いころからおばあさまに連れられて教会に通っておられ、中高生のころには教会のピアニストもされていたそうで、讃美歌がお好きな方でした。
年齢、文化、関係なく幅広く人間関係を持たれる方で、誰にでも愛される笑顔の素敵な女性でした。

今回、突然の脳梗塞、突然のお別れのように私たち人間の側では感じてしまい、別れの準備ができていなかっただけに、寂しくつらい気持ちがします。
みどりさんが召天された時、主人と座って祈り、みどりさんと過ごした6年間の教会生活を思い起こしていました。

そして、いくつかの神様からのメッセージを受け取りました。まず第一には、

① 神様の恵みは私たちの思いと願いを超えてはるかに強く、大きいということでした。

聖書の中に、
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」』“I will never leave you nor forsake you.” ヘブル13:5

と、あります。その、神様の力強い御手を感じるできごとがありました。

余命宣告をされ、教会に来られ、がん治療が始まりました。それから、もう肝臓は移植の道しかないということで、移植のリストに登録しました。二年半、とうとう体力もなく、数回、昏睡状態に陥る状態になりました。何か月も入院していて、食べ物も水分も受け付けず、がりがりに痩せてしまいました。ホスピスの手配も終わりました。
病室もいつ行っても暗く、見舞いに行ってもみどりさんの意識のないことの方が多かったです。私も、もうこれは持たないかとあきらめていました。

しかし、神様の奇跡が起き、病院を変えたところ、みどりさんの命を救いたいというお医者さんに出会い、そして、奇跡が重なり、なんと肝臓と、腎臓を移植するという大手術になりました。そして、長い手術とその後の病院生活、リハビリも乗り越え、元気に生活できるようになりました。

通常の生活に戻って、一年、みどりさんは、証の会を開きたくさんの方を教会に招いて、祈りサポートの感謝をされました。そして、彼女は、「これからは、神様の素晴らしさを証ししながら生きていきたいです。」と言っておられました。

神様の大勝利をみんなで見ました。本当に、移植前のことが信じられないほどの元気な姿に感動しました。

「祈りの力は、すごいわよ。祈りはきかれるよ。」というのは、彼女の口癖になりました。

一か月ほど前に、礼拝前のランチに、みどりさんが何やら大きな箱をもってやってこられました。

“Thank you, God”

と文字の入った大きなケーキです。

「今日で私は、あの手術から三年なんです。もう、病院にも一年先まで行かなくてもいいの。みんなでお祝いしょうと思って。。。」
と。

私は、感動しました。もう三年たつのか。今まで、ぐんぐん元気になられて、私たちでさえ、あんな大きな手術をされたことを忘れかけていたのに。。。

② わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。Bless the LORD, O my soul, And forget not all His benefits: 詩篇103:2  
の聖書の言葉の通り、みどりさんは、「私たちに絶えず神様に感謝を忘れるべきでないこと」を教えてくれました。

この出来事から一か月ほどたった7/31の朝、みどりさんは脳梗塞で倒れられました。
礼拝前にマイケルさんからお聞きし、礼拝後すぐに数名で駆けつけ、病室で祈りました。とっても平安で、神様の臨在にあふれていました。次の日も、そうでした。三日目に、みどりさんは天国に召されて行きました。

みどりさんの癒しを祈っていましたが、そのニュースを聞いた時、神様の時について畏敬の念をもって理解しました。

思い返せば、この三か月、みどりさんは、たくさんのブレイクスルーを経験されました。

三年前には、肉体的なブレイクスルーを体験し、神様にあって守られて生活しました。けれども、心にかかるいくつかの心の重荷がありました。

それらは、長年彼女を苦しめていたものでした。そういえば、礼拝のあと、夜七時まで、みどりさんのお話しを聞いたこともありました。牧師ですから、いろいろな人生のできごとについて聞かせていただきました。

ある日曜日に、ゲストスピーカが来て、みどりさんに個人預言を与えられました。そして、その神様からの預言の言葉によって、彼女は完全に解放されました。彼女の魂が癒されたのです。彼女は、うれしさのあまり、お友達に電話をして解放の喜びを伝えたほどでした。

彼女は、教会学校で喜んで子供たちを教え、また、特別集会では、グリーターをし、喜びをもって神様に仕えることが出来ました。

彼女が召されたことを知ったとき、思いました。

「ああ、私たちの神様は、私たちの全人格の神様なんだなー。」と。みどりさんは、体が救われ魂が救われる経験をしました。

神様の側では、人の目から、外からではわからない、私たちの心の奥深くに触れて解放されたい神様である。それが、その人の道の完成形なんだ。。。ということに目が開かれました。


ルカ4:18-19 貧しいものに福音を伝え、心の傷ついたものを癒すためにイエス様は遣わされた
“The Spirit of the LORD is upon Me, Because He has anointed Me To preach the gospel to the poor;
He has sent Me to heal the brokenhearted, To proclaim liberty to the captives

みどりさんは、何も思い残すことなく、なんの心の傷や重荷もなく、喜んで、平安に天国に旅立つことが出来ました。

大きなメッセージを残してくださいました。

④  永遠への思い

そして、また、みどりさんに天国で会えるという希望を残してくれました。天国へのあこがれも私たちにくれました。天国を目指そうという気持ちを与えてくれました。

みなさん、心の中の問題は解決していますか?  イエス・キリストこそが私たちの体も心も全人的に癒しと解放をもたらしてくださる方です。

みどりさんは、彼女の人生をもってそれを証ししています。そして、それを神様からのメッセージとして私たちに残してくださました。

さぁ、イエス様のところに帰りましょう。これが、みどりさんのみなさんへの思いです。


#キリスト教 #命 #愛する人 #教会 #死 #聖書 #葬儀式

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ロバの子クラスピクニック

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子供たちは、岩に上ったり、噴水... 子供たちは、岩に上ったり、噴水をお尻で止めたり、することがいっぱい。。。。 わーーい。たのしーーーい。チー... わーーい。たのしーーーい。チーズ!
久しぶり、みんなのお気に入りのお友達、ウルトラマン君が二か月の日本訪問の後、来てくれました。久しぶりに遊べて嬉しいなーーー
この日は、もうすぐ帰国するさっ... この日は、もうすぐ帰国するさっちゃんが、みんなにお別れに来てくださいました。
さみしくなります。子供たちを愛していつも面倒を見てくれました。
また会おうね、さっちゃん。きっと今度会うときは、子供たちもうんと背が伸びていると思います。。。。
昨日は、ロバの子クラスでピクニックにいきました。

近くのシアトルセンターにあるプールに行きました。

冬は、プールではないんですが、夏は、みーーーんなここで水遊びしています。

浅いので、小さい子供たちも安心して遊べます。

お勧めのスポットです!

正確な場所は、キーアリーナの北となりにあります。
#キリスト教 #ピクニック #子育て #教会

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One Heartシリーズ男女③ 聖書の解釈

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火曜日は、私たちの霊のお父さん... 火曜日は、私たちの霊のお父さん、ダッグ・ヘック牧師の60歳の誕生日でした。教会でみんなで集まってパーティをしました。彼の好きな照り焼きチキンとサラダとライスでお祝い。私は、ライス係になり、125人分のライスを作りました。ふーー。ケーキに60本のキャンドル。消すのに一苦労で、孫たちが消すのを手伝いました。ほほえましい一幕でした。。ダッグ先生のおかげで、今の私があります。感謝しています。。
2016年7月3日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/ORRGi1n2Wy8

さて、先週まで、罪からの呪いである男尊女卑、神様の御心について、そして、イエス様がいかに女性を認めてきたかということを学びました。今日は、ではなぜ、教会文化の中にも根強く男尊女卑的な文化があるのかということをみ言葉から見ていきたいと思います。

それは、聖晝の解択聞違って教えられてしたからなのです。 伝統的に間違った教えを教会でしているために、日本でも、世の中よりも教会の中のほうが女性の地位が低いという現象が起きているのです。

男尊女卑と言われている数々議論されるみ言葉を詳しく見ていく前に、その背後にある文化の説明をしなければなりません。聖書の言葉だけを切り取って適用したり解釈することは、間違いに繋がることが多々あります。

歴史を見てみると非常に興味深いものです。へプルの世界では、女性は、宗教的な学びを一切させてもらえず、そして、宮にも入ることができなかった。また、男性と公に会話をしてはいけなかった。ですから、宗教的な教えを受けるのは、もつばら自分の夫に家で教えてもらうという風習があ った。と先週も話しましたね。

それとは、対照的に、異邦の民は、エジプトでも男女同権であったし、マケドニアでは、女性はビジネスにおいて大変活躍していた。というのです。

また、当時ギリシャの次にあげる三つの町は、特に、偶像の問題とそれにまつわる女性への見方が違っていました。コリント、工ペソ、ラオデキアの町々。こららの町々は、しばしばパウロ書簡ででてきます。

これらの町々では、女性の偶像をつくり拝んでいたという背景があるのてず。特にコリントでは、アフロデAphroditeの神を礼拝するときには、不品行もともに行われたのです。女性は、性の対象でしかなかった。売春が横行していた。コリントでは、そういう意味では、性的モラルのなさでは非常に有名でした。
ですから、パウロは、そんな背景の中にいる人たちに向かって、コリントにおける非常な性的な誘惑や罠から避けるために、独身でいられたらそのほうが良いというようなことを言ったのです。性的なモラルを守るために、女性を避けるような考え方が両極端の反対側にあったわけです。パウロは、何も、独身をどの地域にいる人たちにもすべての人たちにもすすめているわけではありません。

と言うような背景で、パウロは、結婚関係において、女性を敬うようにとも教えている。自分の体のように 。また、夫が、妻の欲求を満たすようにとも教えていることは、当時の文化、特にギリシャ的な背景からすると、非常に画期的なことである。
エペソ、アルテミス、女の神、子宝の神、子供を産むときに死から守ってくれると考えられていた。また、女は、すべての起源とし、女が世を支配するというマインドセットがあった。その文化的背景を持った、教会員たちに語っている言葉がある。
では、見ていきましよう。

Ⅰコリント11 : 3-16 ヒ工ラルキーの長は男性?

3しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。4男が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていたら、自分の頭をはずかしめることになります。5しかし、女が、祈りや預言をするときに、頭にかぶり物を着けていなかったら、自分の頭をはずかしめることになります。それは神をそっているのと全く同じことだからです。6女がかぶり物を着けないのなら、髪も切ってしまいなさい。髪を切り、頭をそることが女として恥ずかしいことなら、かぶり物を着けなさい。7男はかぶり物を着けるべきではありません。男は神の似姿であり、神の栄光の現れだからです。女は男の栄光の現れです。8なぜなら、男は女をもとにして造られたのではなくて、女が男をもとにして造られたのであり、 9また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。川ですから、女は頭に権威のしるしをかぶるべきです。それも御使いたちのためです。Ⅱとはいえ、主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。12女が男をもとにして造られたように、同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています。13あなたがたは自分自身で判断しなさい。女が頭に何もかぶらないで神に祈るのは、ふさわしいことでしようか。自然自体が、あなたがたにこう教えていないでしようか。男が長い髪をしていたら、それは男として恥ずかしいことであり、15女が長い髪をしていたら、それは女の栄光であるということです。なぜなら、髪はかぶり物として女に与えられているからです。16たとい、このことに異議を唱えたがる人がいても、私たちにはそのような習慣はないし、神の諸教会にもありません。

「頭」という言葉を聞くと、私たち罪の呪いのマインドセット、競争の観念では、どちらが偉いか、権威を持っているか、どちらが階層が上か、どちらが治めるのかというようなイメージを持っと思います。
私も、教会に行き初めのころ、、一を読んだときは、そう思いました。そして、少しがっかりしたものでした。 ああ、やつばり、神様にあってもそうなのか。女性というものは、いつも誰かに従えられて生きていくしかないのかな、と思ったものです。

しかし、 ここで使われている「頭」という言葉を聖書に原語ギリシャ語では、Kephaleという言葉が使われています。そして、その意味は、英語では、sourceとなります。源、起源という意味です。

ですから、言わんとしていることは、すべての男の起源はキリストであり、女の起源は男であり、キリストの起源は神です。

ですから、続く言葉のとおりです。女性は、もともと男性とーっであって、神によって男性の中から取り出され、一つであるが、違うものとして男のあばら骨によってつくられましたね。女性のソースは男性なのです。また、私たちは、キリストによってつくられました。私たちのソースはキリストです。キリストのソースは神です。私たちの源がそこにあり、私たちは、そこから成っているのです。

そして、キリストの起源が神であるが、二人は一体であり、一つであり、同等であることを覚えてください。ちょうどそのように、男女も一つであり、同等であるということなのです。

こ こで、男性も女性も考え方のシフトが必要になります。特に男性は、自分がリーダーだから俺に従えというのではなく、自分がソースである自覚をしなければなりません。あなたが、夫婦、また男女間の源であり、養いの要であります。また、女性は、男性をあなたの上に立ってあなたを奴隷のように使うものではなく、あなたを覆いあなたを守り、養うことのできる源であることを理解しなければなりません。
そして、考えてみてください。キリストと神は同等の方です。等しい立場であります。しかし、キリストのソースは神です。それと同じように、女性のソースは男性ですが、二人は同等の存在であります。

◎被り物と栄光について v4-9

髪の毛や被り物について書いていますが、 こをそのまま取って現代でも教会に行くときに女性が被り物をしていく教会も今もあります。しかし、背景を無視してここだけ切り取ってはいけません。被り物の文化は、コリントの文化の背景に重要な要素があります。

当時のコリントというのは、性的なモラルがめちゃくちやでした。売春も多かったのです。そして、アフロデの神殿では神殿娼婦たちがいました。宗教的な儀式で性行がなされました。そして、その娼婦たちは、頭を剃っていたのです。ですから、神が創造されてない、不自然な性行をする人たち、そして、本来美しい女性の髪を剃っているという不自然さ、そういうことがあって、剃った頭を隠すために被り物をしなさい。という風に書かれてたのです。

頭を剃った女性は娼婦であり、すなわち、娼婦というものは、夫の保護下にはいませんでした。当然です。それは、他の人と性的関係を持つのだからです。先週も性交渉の意味について話しましたね。ですから、被り物をするということは、夫との正しいユニオンに戻っている。男女、夫と妻があるべき姿となり一体となっている。一致を示しており、さらには、このユニオンが、神の前にキリストにも栄光を返し、キリストに従いキリストとともに一つになっていることを示しているのです。

ですから、頭にかぶり物をするならば、私は、神の権威の下に従っています。神の赦しの中に生きています。と証ししているものなのです。私は、神様に従って生きていきますという印だったのです。

◎み使いたちのため? V10

「女性は、男性の栄光」とあります。素晴らしい言葉ではありませんか。正しい神様のデザインされた、結婚関係という風に考えて読んでみると分かります。あなたの奥さんこそが、あなたの輝かしい誉であって、名誉です。すべての人の妻は、みんなトロフィーワイフです。あなたを完成することのできる、人間としての片割れなのですから。そして、神のようにあなたを助けることができる存在なのですから。
かぶり物に関してに戻りますが、 「み使いたちのためにもそうしなさい」と書かれていますね。どういうことでしようか。

1 ペテロ1:12 2
To them it was revealed that, not to themselves, but to us they were ministering the things which now have been reported to you through those who have preached the gospel to you by the Holy Spirit sent from heaven—things which angels desire to look into.

パウロは、この章を通して、神の教会において、礼拝中どのようにして、男女がともに等しく神の前に立つべきだと教えています。そして、男女一つとなって神に奉仕するべきであることを伝えているのです。決して、男がヒエラルキーの長であるという主張ではないのです。むしろ、当時地位の低かった、女性たちを男性と同等の地位までに引き上げたのです。


#キリスト教 #メッセージ #真理 #聖書

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シリーズOneHeart 男女; イエス様の改革②

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土曜日は、日本人教会でも時々メ... 土曜日は、日本人教会でも時々メッセージしてくれる、グレッグさんの結婚式でした。湖のほとりの森の中での手作り結婚式。とても素敵でした。二人とも、三人の子供をシングルペアレントとして育てていて、苦労の多い生活でしたが、今度は、六人の娘を育てるカップルになります! 六人の娘さんたちがブライドメイ... 六人の娘さんたちがブライドメイドとして並びました。すっごくかわいかったです。。。この二人は、自分たちの子供もほしいそうです。これから、楽しみです。苦労してきただけあって、集った人たちも本当に喜んでいて、とても暖かい式でした。本当に良かった! ケーキも手作り。二人で食べさせ... ケーキも手作り。二人で食べさせあう姿もなぜか、落ち着いているカップルでした。さすが、三人の子供たちに食べさせてきただけあります。。。なんだか、じーーんとしました。 教会のゆきくんをよくキャンプに... 教会のゆきくん<青いシャツ>をよくキャンプに連れて行ってくれたりしたグレッグさん。心から、おめでとう!!
人生いろいろあるけど、神様にあっては、すべてが美しくされる。。。と実感した一日でした。
2016年6月26日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/h2JJwYGQJ70

先週は、いかに私たちのマインドセットが罪の呪いに縛られていたかと言うことを話しました。私たちの文化は、その罪の呪いからくるマインドセットがもとになっていることが良くわかります。各国の文化の中に、色濃く残っているものです。

さて、ユダヤの文化の中では、女性はどのように見られていたのでしょうか。イエス様の生きられた時代に関して言うと、 当時女性は、奴隷と同列のセカンドシチズンとみなされ、権利も尊敬も、意見も持つこともできず、もちろん選挙権もありませんでした。また、裁判で証人となることもできませんでした。教育もなく、公の場で男性に話しかけることは禁じられていました。顔はベールで覆い、ベールを公の場でとるならば、離婚されました。男性の客が食事をするときは、別の部屋で食事をとらなければなりませんでした。日本にもそのような風習がありました。ユダヤ教の会堂でも、隅においやられていました。女性は、み言葉の巻物を読むことも許されず、み言葉を引用したり、朝の祈りや食事の祈りをすることもできませんでした。
罪の呪いがベースになっているとは言え、さらに女性の立場が低くなっているくらいですね。

そんな世界にイエス様が来られて、どのようなことをされたのでしょうか。

私たちは、イエス様が真の教理だと信じています。分からないことがあれば、イエス様のなさったこと言われたことから学ぶべきです。

① 一心同体の神秘

マルコ10:2- 12

すると、パリサイ人たちがみもとにやって来て、夫が妻を離別することは許されるかどうかと質問した。イエスをためそうとしたのである。3 イエスは答えて言われた。「モーセはあなたがたに、何と命じていますか。」4 彼らは言った。「モーセは、離婚状を書いて妻を離別することを許しました。」5 イエスは言われた。「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、この命令をあなたがたに書いたのです。
6 しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。7 それゆえ、人はその父と母を離れ、8 ふたりは一体となるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。9 こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」10 家に戻った弟子たちが、この問題についてイエスに尋ねた。11 そこで、イエスは彼らに言われた。「だれでも、妻を離別して別の女を妻にするなら、前の妻に対して姦淫を犯すのです。12 妻も、夫を離別して別の男にとつぐなら、姦淫を犯しているのです。」

パリサイ人がイエス様を試して離婚について見解を求めてきました。
女性が男性の所有物とみなされ、また女性は結婚して夫について生きる以外になんの社会的保証も生活の糧も得ることができなかった背景を覚えていてください。

イエス様の答えは、モーゼが離婚を許したのはあなた方の心がかたくなだからです。離婚というものは本来はありえないものだと。

そして、人間創造の創世記の記事に戻って語られました。
人間というものは、女性と男性で初めて成り立つものである。と、人間の存在の目的にまでさかのぼって語られました。イエス様は、女性の尊厳を男性と同等であると引き上げたのです。男性の所有物ではないのだと。ですから、軽々しく離婚のオプションに関して話すのではないと。。

二人は一心同体である。とイエス様は、言われました。これは、三位一体の神を表す言葉で表現されています。複数であるが、一人であるという単語です。
すなわち、神の似姿である、神聖なものであることを教えられました。

離婚したものが再婚することについて、姦淫しているという表現を使っていますが、それは、結婚というものは、性的関係によって一心同体になることであって、手続き上だけのことではない。このユニットに霊的な意味を持つのは、性的関係によってである。ですから、気軽に相手が気に入らないからと言って理由を見つけて離婚するならば、姦淫していると同じことであると、言っているのです。

とにかく、イエス様は、離婚・分裂に関して興味があるパリサイ人たちに対して、男女が一つである神秘。神の御心を強調されたのでした。そして、女性の地位を引き上げたのでした。

福音書には、これだけではなく、女性が出てくる記事、女性に関する記事が112回も出てきます。これは、イエス様以前のユダヤの宗教上にはなかったことでした。いかに、イエス様が女性の地位を解放されるために働かれたか見ることができます。

② アブラハムの娘 女性を一人の信仰者として認められた

ルカ13:10-17

イエス様は、安息日に悪霊によって腰が曲がっている女性を癒されました。そして、彼女のことを「アブラハムの娘」と呼びました。
これは、何を意味しているでしょうか。今までは、「アブラハムの息子」といういい方は、ユダヤの世界ではあったようです。信仰の父アブラハムの息子ということで、宗教的に今でいうと神の子供のような意味で使われたのでしょう。
しかし、イエス様は、安息日に癒すべきではないという人たちに責められます。しかし、この人も「アブラハムの娘」信者ですから、癒しを受け取る権利があると主張されました。

③ 女性をも教えられた

ユダヤのシナゴーグでは、女性は隅に追いやられていました。男性と一緒に座ることも許されませんでした。
イエス様は、会堂で教えるのをやめられました。彼は、人々の家や、湖の上、野原を選び大勢の人たちに語りました。そこには、女性たちもいて、イエス様の教えに聞き入りました。

思い出してください。マリヤは、イエス様の足元に座ってお話しを聞いていたと聖書に書かれているではありませんか。
イエス様は、女性を会衆に交えることを拒まれませんでした。いや、女性に直接教えることをはばかりませんでした。

サマリヤの女に礼拝の真理を語り、マルタによみがえりを教えました。
また、女性の弟子たちリーダーたちも育てました。

④ 女性を証人に選ばれた

イエス様が復活されて、一番に姿を見せたのは女性に対してでした。そして、あろうことか、さて、ガリラヤに行って弟子たちに復活の素晴らしいニュースを知らせなさいと言われました。当時、裁判の証人として立てなかった女性を、復活の第一証人として証言するようにされたのです。ハレルヤ!
みなさん、イエス様は、女性を等しく見られているのです。それどころか、女性の神にあるアイデンティティを回復されているのです。
もちろん、弟子たちは、信じられませんでしたが。。。。それもそのはず、女性の証言はとるにたらないという文化があったからでしょう。。。

⑤ 割礼からバプテスマへ

イエス様が来られ、新約になり、律法がイエス様によって成就された時代に入りました。神様に従っていく信仰の公の宣言は、割礼からバプテスマに変わりました。
何を意味しているでしょうか。割礼とは、男子しかすることができません。女性は、あくまでも、男性の傘のもとで信仰を持つしかなかったのです。
しかし、今や男性も女性もみな、イエス様に個々に来て救われ、洗礼を受けて、信仰を公言することが出来ようになったのです! ハレルヤ。

このように、イエス様は、人類が罪によって引き起こしたすべての呪いを無効にするために来てくださったのです。それは、死だけではなく、女性の地位の回復、男性、女性の真の一体化、一致を回復させてくださることになったのです。

次週は、難しい解釈の聖書個所を学んで行きましょう

#キリスト教 #男女 #聖書

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シリーズOne Heart 男女間の一致 ①

thread
土曜日は、教会のお友達の養子縁... 土曜日は、教会のお友達の養子縁組シャワーに行きました。私たちと、一週間違いで結婚した彼らは、第一子を亡くしました。それから、流産が続き、養子を迎えることにしました。そして、二年くらいの手続きの末にはれて養子縁組でき養子を迎えました。今日は、お祝いにみなさんで集まりました。この木は、彼らへの祝福のメッセージを葉っぱにして木にして飾ったものです。 左側が新しいお父さん。ちょうど... 左側が新しいお父さん。ちょうど次の日は、父の日。おめでとう。ティム。良かったね。たくさん泣いてきた分、これからたくさん笑うようになるといいですね。 右は、新しいお母さん、箱を見つ... 右は、新しいお母さん、箱を見つけて喜んでいるのは、養子となったクラーク君。人懐っこく、みんなに愛されているクラーク君。元気に育ってね!  一週間違いで結婚した私たちも、特別彼らのことは心にかかっていたので、今日はうれしかったです。
2016年6月19日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/PCPl3VCAoeY

今日からまた新しいシリーズを始めていきたいと思います。それは、 One Heart です。先週ダンとクゥエントがお話ししてくれました。いかに、個人の恥、罪が私たちの一致を妨げ、集まることをやめさせ、心を分裂させるのか。私たちは、一つ心となるために主に教会として召されているのだ、ということを学びました。

イエス様の、夢、パッションがよく表れている個所を読みましょう。

◎イエス様の心

ヨハネ17:21-23

21 それは、父よ。あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。22 またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。23 わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。

私たちの信じている神は、三位一体の神です。三者が一体となり、交わりを保ちながら働いておられます。また、思い出して下さい。十字架にかかられる前に、イエス様の第一の祈り、御父への願いは何だったでしょうか。ヨハネ17章にある通り、イエス様の願いは、御父とイエス様が一つであるように、イエス様と信じる者たちが一つであるように。また、信じる者たち同士も一つあるようにと祈られました。そして、イエス様の昇天によって聖霊のバプテスマによって、完成されました。私たちは、完全に一つとされ、三位一体の神が機能しているように、私たちも複数ですが、一つ体となって機能することが出来るようになったのです。
神に似せられて私たちが創造された特徴には、この複数であるが一つであるという点にあります。

そして、イエス様がおっしゃっているように、私たちが全うされて一つなること、これこそがイエス様の教会への期待なのです。教会の成熟度は、人数やどれくらい大きく影響を及ぼしていかではなく、いかに一つなっているかなのです。これからしばらく、いかに教会が一つになれるのだろうかという点に焦点をおいて話していきたいと思います。

今日は、私たちのコミュニティの最小単位、カップル、男女間の一致に関して話していきたいと思います。

◎神の人間創造について

聖書の一番初め、創造の御業の記事を見てみましょう。

創世記1:26-28

26 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

そもそも、人間は、男と女で、人間なのです。男と女があってこそ、完成系。一つなのです。

それが、神様のデザイン。似姿です。そして、神様の計画は、
この人間に、地を従え、支配する権威を神はお与えになった。男性にだけではなく、男性と女性両方が共にたって、ともに地を従えること、これが神のデザインでした。

◎ 神のデザイン Oneness

神様は、男性のあばら骨を取って女性を創造された。人は、もともと一人であった。だからこそ、女ができたときに、アダムは、非常に喜んで言った「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」“This is now bone of my bones And flesh of my flesh; She shall be called Woman, Because she was taken out of Man.”

まさに、このとき、アダムは体験するので、自分から出たもの、自分と一つであるものが、自分に対峙して自分と交わりを持っている喜びを表現しました。一つであることを祝いました。私たちの神は、交わりの神であります。三位で一体。一つである互いが互いに向き合い、互いに愛しあい、互いに尊敬しあいながら交わりを保ち、働いている。アダムは、この神の似姿の完成形を体験し、喜びの声をあげているのです!

◎ 人間の罪とその結果である呪い

呪いと聞いたら、私たちにとっては、たたりじゃーーーみたいな、怖い印象を受けますが、呪いとは、神のもたらした罰というのではなく、むしろ人間の罪が必然的に生み出した結果と考えたらいいでしょう。人は、罪を犯しました。それに伴って次のような結果が伴いました。

創世記Genesis 3:16-19

16 女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのうめきと苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」17 また、人に仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」

この呪いを聞いて、どう思いますか。今の現代の男女の在り方であり、ある意味で伝統と言われている在り方ではありませんか。実は、これは、罪の結果で起きたことなのです。

すなわち、女性は、子供を非常な苦しみと痛みをもって産まなければならない。

女は、夫を恋い慕うが、夫・男に支配される。

男は、苦しんで食べていくために、仕事をしなければならない。

そして、人間は死ぬようになった。

私たちは、これを魂に刷り込ませて生きています。何千年もこれが当たり前です。そして、この呪いから発生して、私たち人間の中に三つのマインドセットが入っていきました。

一つ目に、競争の観念…

今まで一つ、一体でありともに立って美しく働いていた男女の間に、競争観念が入りました。どちらが相手を支配するかという戦いか始まりました。男性は、強い意志の女性に自尊心を脅かされ、女性は、男性の支配に反発心を抱きます。

二つ目に、分裂の観念…

今まで一つだった男女の間に距離ができたのです。独立心は、アメリカでは非常に祝われていますが、独立心は裏を返すと分裂心とも言えるものです。もともと、神は、三位一体であり、互いに支えあいながら存在しています。また男女もともともは一つであり、完全な愛と尊敬の中で存在していました。罪により、分裂が入ったのです。

三つ目に、永遠観の喪失…

今まで、死ななかった人間に死が入ったのです。すなわち、人間の時間に限りができたのです。ですから、人間は、刹那的な喜びに目が行くようになりました。今までは、永遠を生きる、永遠に生きるのですから、問題をやり過ごしたり、ほったらかしたりすることはありませんでした。
みなさん、誰かと仲たがいしても、そんなに気にしないのではないですか。その人と会わなければいいのですから。その人と会う時間をやり過ごせばいいだけだと思うのではないでしょうか。それだから、決して、関係の修復をしようとしないのです。その時だけよければいい。という気持ちが働く。これは、永遠の神様の考えに逆行する考えです。

私たちが永遠を信じているのなら、関係を修復しよとするのが当たり前です。天国においてその人と必ずあって愛の交わりをすると思えば、今そうしなければと思うはずです。

◎ サタンの陰謀・文化・み言葉

  サタンは、分裂をプロモートします。気を付けてください。サタンは、もともと神様から分裂したので地に落とされた存在です。彼らの目的は、人々を神様から分裂させることです。また、人々を分裂させることです。人の罪によって、一致、一つである観念が失われた今、いかに私たちのマインドがそちらに流れやすいかということに気をとめておく必要があります。
また、私たちを取り巻く文化の中には、人間の罪による呪いが根深く根差しています。

例) 男尊女卑、フェミニズム  教会文化の中にも、女性の役割というものが決められている。女性のリーダーを認めない教会もある。

これらのことは、神様の国から来ていることでしょうか?

◎ 罪の呪いから解放されたイエス・キリスト

ガラテヤ3:13

キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。Jesus pays the penalty for this treason by bearing the curse

ロマ6:23

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
The wages of sin is death, but the free gift of God is eternal life through Jesus Christ our Lord

誰でもイエス・キリストを信じるなら、この呪いから解放されるのです。
イエス様を信じるものには、永遠の命が与えられます。死を恐れる必要がありません。
そして、人間の堕落以来刈り取ってきた呪いとは決別できるのです。

私は、この真理とみ言葉を繰り返し、妊娠時に宣言して、痛みなく子供を産んだクリスチャンを二人知っています!
男女の上にある呪いもすべてキリストによって解決されているのです。
ハレルヤ! 分裂も競争心ももうないはずなのです。一つとなるために必要なすべては、イエス様によって備えられているのです!

◎ クリスチャンたちは目覚めなければならない

みなさん、けれどもなぜキリスト教会の中にまだ、人間の堕落から来た女性・男性のものの見方がしみついているのでしょうか。その一つの理由に、聖書の解釈が文化的なフィルターを通して間違ってなされ、教えられてきたという事実があるからなのです。そして、伝統的に間違った教えを教会でしているために、日本でも、世の中よりも教会の中のほうが女性の地位が低いという現象が起きているのです。
次週から、よく間違って解釈されているみ言葉を開いて学んでいきたいと思います。


#キリスト教 #クリスチャン #聖書

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恥が栄誉に変えられ 教会が一つになる

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金曜日の聖書の学びの集い中。。... 金曜日の聖書の学びの集い中。。。子供たちも窓から。。。私たちも参加したいなーーーとのぞき見。。。。 あっ見つかっちゃったーー あは... あっ見つかっちゃったーー
あははははは
隠れよう
金曜日の夜は、ホライズンカレッ... 金曜日の夜は、ホライズンカレッジ 聖書学校の卒業式でした 主人エリックも卒業しました。 ... 主人エリックも卒業しました。
三年かかりました。今まで、宿題に、授業に、仕事にばたばたの三年でしたが、やり遂げました!
今週のメッセージ音声は、https://youtu.be/D8NolkwASHw

今週は、ホライズン教会英語部のダン・ヘック先生が来てお話ししてくれました。そして、クゥエント・ドルジャー姉が証しをしに来てくださり、大変丁寧に一人一人のためにお祈りしてくださって、とても祝福されました。

下記に書きますが、かいつまんでいますので、音声から聞いていただくことをお勧めします。音声は、私の通訳を録音しています。

お話しは、教会がいかに一つになるかということについて、
一つになることの定義。
そして、私たちが一つになれないところの問題とその解決について話してくださいました。

エペソ4章全体から
いかに教会が一つになるのかということを話している。教会は、キリストの体と言われていますが、
とくに、16節に

キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。

各部分、すなわちあなたが全人的に神様に回復していただくことで、強められてこそ、体全体を助けることができる。

ダンは、他人の中に、自分の必要な強さを見ることがよくある。そして、キリストの体とは、互いに組み合わされることによって、結びあわされることで、自分にないあの人の中にある強さが自分の強さになる。

ちょうど結婚関係のようです。

しかし、個人が全人的に回復されてなかったり、結びあわされなかったら、あなたの素晴らしさが体全体の益になることはありえません。

何が邪魔しているのでしょうか。

今まで、英語の会衆でテーマになってきていましたが、恥の問題です。
いいクリスチャンであっても、この問題、長く祈ってきて、教科書どおり、聖書に従って、やってきたつもり、でも、心の中で、確信がない、何かもやもやしている、負い目がある。恥があるようなことはないでしょうか。

恥は、人を他人から自ら分離する力があります。自分の中に恥があれば、それを隠して、問題のないふりをして、人と接し、人と付き合います。でも、そこに真の一体感はないのです。形だけのコミュニティーとなっていしまうわけです。

そこに、本当の結び合いも、成長も、全体の祝福もないのです。

そして、一人の存在がかけても、体全体にとっては、損失なのです。あなたの中にあるものが、体全体を祝福するのです。

では、あなた個人の恥の問題にどのように対処したらいいのでしょうか。

イエス様は、姦淫の女がとらえられ引きずり出されたときに、律法によって裁きませんでした。そして、罪のないものから石を投げたらいいといいました。すると、人々は、去っていきました。

裁きは、恥をもたらします。

イエス様は、もう十分恥を受けている女に対して、すこし違ったアプローチをしました。
あなたを裁く人は、いないようですね。私もあなたを罪に定めない。
さて、行きなさい。もう罪を犯さないように。

と言われ、イエス様自身は、立ち去りました。

この後この女性は、イエス様に最後までついていく弟子となりました。

私たちの恥は、恥の上塗りによって自分を責めることで取り除くことはできないのです。イエス様のように、栄誉をもってして恥を取り去るのです。すなわち、イエス様の前に、恥を明け渡すときに、イエス様自身が栄誉をもって現れ、恥のサイクルから離れさせてくださるのです。

恥、自分の力でもうどうしようもない問題、取り繕って何事もない、完璧な人間のようにふるまっているなら、もうそれをやめませんか

今日、その生活サイクルから抜け出したい方は、一緒に祈りませんか

(もっと詳しい内容は、音声から聞いてください)

#キリスト教 #聖書

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聖霊の九つの賜物 その3 特に預言について

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エリックとけいちゃん。ホライズ... エリックとけいちゃん。ホライズンカレッジのディレクターの息子さんと。。。。エリックが緊張しているせいか、けいちゃんも、ちょっと緊張しているような。。。 木曜日の出来事。子供たちは、み... 木曜日の出来事。子供たちは、みんな、兄弟姉妹のように育っています。かわいいちゃんは、最近、私のものに触らないでーーーというのが流行っています。。。チェリーちゃんは、一歳年上ですが、えーーいいじゃないーと、触るのをやめません。。。。 かわいいちゃんは、こんな感じに... かわいいちゃんは、こんな感じに。。。。。笑
泣いている顔も、めちゃかわいい。。。。
すずしい顔のちぇりー様。。。ひ... すずしい顔のちぇりー様。。。ひもを触っているだけだよ。と。
この「だけだよ」は、彼女の最近の口癖です。。。

このあと、何事もなかったように、ごっこ遊びをしている二人でした。
日曜日は、二年くらい教会に来て... 日曜日は、二年くらい教会に来てくれているマイカくん。彼は、とっても信仰のあつい、好青年です。。。この日は、彼のお誕生日をお祝いしました。私も、ビーガン、グルテンフリーケーキを作りました。
2016年6月5日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/v0HtgdO8VXg

Ⅰコリント14章1-5

愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。2 異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。3 ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。4 異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。5 私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいますが、それよりも、あなたがたが預言することを望みます。もし異言を話す者がその解き明かしをして教会の徳を高めるのでないなら、異言を語る者よりも、預言する者のほうがまさっています。

Ⅰコリント14章29-33

預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。30 もしも座席に着いている別の人に黙示が与えられたら、先の人は黙りなさい。31 あなたがたは、みながかわるがわる預言できるのであって、すべての人が学ぶことでき、すべての人が勧めを受けることができるのです。32 預言者たちの霊は預言者たちに服従するものなのです。33 それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。聖徒たちのすべての教会で行われているように、

もう一度、聖霊の賜物についておさらいします。聖霊の賜物は、自分のためでなく、他の人のために与えられます。また、キリストの体に与えられます。人によって違います。それは、互いに仕えあい、愛し合うためです。鍵は、愛です。愛があるなら、決して間違うことがありません。今日は、パウロが協調して話している預言について話してみたいと思います。

パウロは、愛を追い求めなさい、そして、預言を熱心に求めなさいと言っています。
ある方の証し、どうしても友達の友達が病気で、その方に、神様の言葉からもらった言葉を伝えたかった。。。これは、この方の愛と憐みの心を通して、聖霊様が与えられた言葉だったのです。これも預言です。

私たちの愛、私たちの憐みの心を神様は用いてくださいます。愛があるなら、神様は、必ず、キリストの体に賜物を与えられ、また、互いに愛することによって、体を強めてくださいます。

パウロが言っているように、ぜひ、この預言の賜物を熱心に求めましょう。

★ 聖霊の賜物とは集約して言えば、神の声を聞くことである

まず、初めに神の声を聴くなんて、そんな大それたこと。。。。とみな思うのです。自分にできるのかな。できないに違いない。。。なんて思います。では、 実験してみましょう。今、皆さん方、静かにして、目をつぶってみましょう。頭の中で、自分の名前を言ってください。それでは、次に、カタカナで頭の中で自分の名前を書いてください。また、次に、頭の中で自分の名前を言ってください。名前聞こえましたか? 聞こえましたね。また、リンゴのイメージを思い浮かべてみてください。できますね。これができるなら、皆さん、神様の声を聴くことができます。これらは、神様が与えてくださった神の声をきく能力なのです。

聖霊の九つの賜物は、頭の中のイメージとなってきたり、声であるとか、私の場合は文字であるとか、映像であるとか、においであるとか。私たちの五感や頭のイメージを通してやってきます。ただ、それを口に出そうとするときに、自分の解釈、翻訳が必要となってきます。神様から確かに語りかけられているのですが、解釈が

★ 神の声を聞く練習と吟味について

一番良く受ける質問に、「これが、神様からの声か、自分の思いなのか、サタンの声なのか分からないのですが、どうしたらいいですか?」 と言う質問です。
聖書には、

Ⅰテサロニケ5: 19-21

19 御霊を消してはなりません。20 預言をないがしろにしてはいけません。21 すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。22 悪はどんな悪でも避けなさい。 19 Do not quench the Spirit. 20 Do not despise prophecies. 21 Test all things; hold fast what is good.
と書かれています。吟味をしなさい。日本語では、見分けなさいと書かれています。

どのようにして、見分けることができるのでしょうか。

私たちが聞いているあるいは見ているのは、次の三つです。
神様からの声、自分の肉の声、悪魔の声です。

見分ける方法は、
① 神の御性質にあっているか。み言葉の教えに合致しているか。神様は、聖書の真理に合わないことを人に勧めたりしません。

② 確証があるか。先ほど読んだ聖書箇所にあるとおり、Ⅰコリント14:26-33 預言を一人だけではなく、複数させなさいと聖書にありますが、それは、神様からの言葉なら、一人だけからではなく、他の人の口からも同じ言葉が来るというのです。自分に預言の言葉が与えられたからと言って、慌てることもないのです。神の言葉であれば、必ず、信者の中に、同じ言葉が与えられている人がいるはずだからです。

③ 自分の霊において、アーメンと言えるか。人が与えれた預言を聞いても、その人の詳しい事情を知らなくても、心の中で、アーメンと言うことができるのは、内におられる御霊様が確証を与えているからなのです。

一番は、やはり、本物を知ることです。神様の言葉をよく知ること。み言葉のうちにある神様の心を知ること。神様を知ること。神様の御性質を知ることです。御性質を知ることは、自分の人生をかけて知っていくので、このときも、あのときも、神様は、こうしてくださった。こう教えられた。。このような個人的な神様体験が自分の神理解を増していくのです。そして、これがクリスチャンの成長となるのです。

また、兄弟姉妹と交わり、ともに祈る習慣は、大切です。ともにあることで、確証を得る機会が増えるからです。確証をたくさん持っている人は、強められるからです。

★ Affirmation から始めましょう。

預言の練習においては、神の声を聞くこと神を知ることの他にもう一つあります。それは、人をほめることです。預言の霊は、人の霊を引き上げて、励まします。人を認めほめることも同じ力が働きます。また人をほめるときに、神様の目線に立って、ほめるときに、預言の霊が解放されます。私たちの教会では、Affirmation を非常に大切にしています。それは、預言の霊を消さないためであり、神様の目線を失わないためです。
Affirmationの精神を忘れないようにしましょう。

#キリスト教 #クリスチャン #聖書

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聖霊の九つの賜物 その1 9 Gifts Of Holy Spirit ①

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元気なボーイズ!  二週間も病... 元気なボーイズ!  二週間も病欠で教会に来られなく、私たちも寂しかったですが、今週は元気に来ました! 良かったーーー。教会を楽しく満喫していました。 ワシントン大学留学中のSくん。... ワシントン大学留学中のSくん。。。エリックと趣味があうので、楽しく会話しています。。。今週は、帰国後のゼミの活動のために質問をしに来てくれました。。。
あと少しの滞在だけど、いろいろとがんばってねー。あちこちでのボランティアの機会を紹介しました。

エリックは、今日は、子どもに受けるために、マッハゴーゴーのTシャツを着ています。
2016年5月15日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/Fz-WvU8lrP4

1コリント12:6-14

働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。7 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。8 ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、9 またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、10 ある人には奇蹟を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。11 しかし同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。13 なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。14 確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。

ハレルヤ、みなさんこんにちは。今日はペンテコステの日です。今年は、神様から大切なメッセージをこの時期にいただいています。特に、ペンテコステの意味について教会に語っていらっしゃいます。

毎週言いますが、ペンテコステは、イエス様の夢の実現でした。御父とイエス様がひとつであるように、イエス様と私たちが一つであり、私たち同志も一つとなること。それは、同じ御霊、聖霊の浸しを経験することによって実現しました。そして、キリストの体と呼ばれる教会が出来ました。

聖霊のバプテスマによって、開かれる超自然的な世界があります。聖霊様の与える賜物、超自然的な力にはどんなものがあるか、ということを先ほど読みました。

★ 聖霊の賜物の目的とは

V6-7 働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。7 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。And there are diversities of activities, but it is the same God who works all in all. 7 But the manifestation of the Spirit is given to each one for the profit of all:

聖霊のバプテスマは、私たちが一つとなるためでしたね。聖霊の賜物は、私たちキリストの教会、体に属するものたちの益となるために与えられています。
人それぞれに、働き方や与えられている賜物の傾向が違っていても、それは、教会のため、他の人のために与えられているのです。
「自分のため」ではありません。自分を含めた体のためなのです。私とあなたは、もはや別々の個体ではなく、共同体であり、互いに属しあっているのだということをここで覚えたいと思います。あなたの、益は、私の益。だから、私は、あなたの益のために捧げたいのです。

★ 互いに愛し合うために

賜物の言うものは、自分のためにあるのではなく、相手のために、誰かのために与えられています。考えてみてください。教会の中で、賜物が自由に与えられているとして、自分が、癒しが必要だ、または、知恵が必要だという時に、自分が自分に与えられている賜物を使って癒されり、立ち直ったりしたらいいのではないでしょうか。しかし、それが、神様の道ではないのです。先ほど読んだ1コリント12章の次の章13章では、愛について切々と書かれています。「賜物があっても愛がなければ意味がない」というのです。というのは、互いに仕えあい、愛し合うことが神のみこころであり、そのために賜物というものは、与えられているからです。

★ 真のコミュニティ、共同体とは

私たちは、アメリカに住んでいますから、ここの文化にとても感化されます。アメリカは、個別、個人主義です。共同体理解は、共同体にいくらお金をだしているからとか、自分たちのやりたいこととマッチしているからという、自分中心で共同体を作ります。
しかし、聖書の言う共同体とは、一つの体のようだというのです。手で、足、皮膚、肝臓、つめ、全てが互いにいたわりあってこそ、存在していけるというものなのです。あなたが痛みを持っていたら、体全体が痛むというものです。このキリストの共同体では、世の中とちがって「あなたが何ができるか」と言うことは、関係ないのです。あなたが体の一部であるからこそ、互いにいたわりあうのです。

鍵は、愛です。あなたが、体の一部である方の痛みを知るとき、共感し、愛によって、助けたいと思う、その時、神様は必ず、それに必要な賜物を与えてくださるものなのです。後でもう少し詳しく話します。

★ 聖霊の賜物の機能とは

ではどのようにして、こられの賜物が働くのかということを話したいと思います。
私が初めて聖霊のバプテスマを受けた時、劇的な違いがありました。霊、見えない世界の感覚が一気に開かれました。神様から、ビジョンや預言の言葉を次々に受け取りました。ある時には、教会のなになにさんのために祈りなさい、彼らにはこんな危険が迫っていると。。。そして、その通りのことが起きたりしました。

さて、聖書で読んだとおり、九つの賜物には、知恵のことば、知識のことば、信仰、いやし、奇蹟を行なう力、預言、霊を見分ける力、異言、異言を解き明かす力があります。その一つひとつの意味は、次のとおりです。

① 知恵のことば… 神様からの啓示。How を教えてくれる言葉。私たちが、いろいろな状況の中でどうしたらいいか分からない時に与えられる言葉。私の場合、もちろん、人をカウンセリングしている時に、こういう風に問題にアプローチしてはどうかとか、こういう風にアドバイスしてはどうか、という言葉がくる。一人ひとり、状況が同じ場合であっても、有効なアプローチは違う。クッキーカッターの様には物事は解決できない。神様が教えてくれる。また、知識の言葉が与えられるとき、それをどのように、相手に伝えたらいいか分からないとき、そのつど、神様に聞く。すると知恵の言葉が与えられる。

② 知識のことば… 神様からの啓示。What を教えてくれる言葉。知識の言葉とは、自分の知らないことを明らかにされる言葉。例えば、祈っている相手と神様しか知らないような言葉が与えられる。この言葉は、相手に伝える時に、時々注意が必要。時には、ストレートすぎて相手の気分を害することもある。しかし、神様が教えてくださるには、相手の益になるためですから、神様に知恵の言葉を求めます。
知識と知恵の言葉は、同じ祈りのセッションの中で与えられることが多い。また一緒に祈っている人に与えられることも、もちろんある。

③ 信仰… 救いにいたる信仰、神様を今私たちが信じている信仰と質の違う、はるかに大きい信仰。1993年に甲子園を貸しきってリバイバルミッションが開かれて多くの人が救われましたが、その言いだしっぺは、下条まきこ先生でした。先生が話し始めた時は、誰もが、どうやって。。まさかと思った話しでしたが、信仰の通り実現し多くの実を結びました。自分の現状や能力、信仰をはるかに超えた大きな信仰のことを指します。

④ いやし… 癒しの力、祈る時、語るとき、癒しが起きる。心の癒し。

⑤ 奇蹟を行なう力… 創造的な力が働き、無から有が生まれる力。食べ物を配っていると、その食べ物が無くならなかった。無かった目玉が出来た。虫歯が、癒しの祈りで、治療されて、金歯になった。死んだ人が蘇った。雨がやむ。降る。私の友達も集まって祈っていた時、宝石が降ってきたそうです。

時間がなくなってきたので、⑥から⑨は、次回に話します。ただ、大切なこと、一つだけお話しして終わります。

★ 必要に応じて与えられる
賜物は、違う人に違った形で与えられていますが、それは、誰かに仕えるためです。聖書のなかに次のような言葉があります。
エペソ4:7
しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。 But to each one of us grace was given according to the measure of Christ’s gift.

賜物は、英語では、Gift、すなわち、プレゼント、贈り物です。そして、それは、給料ではないのですから、私たちが稼ぐものでも代償でもありません。与え手の好意によります。
聖書、詩篇の中には、神様の私たちへの好意は、一生涯ものだとあります。私たちが神の子どもたちである限り、神様の好意は私たちの上に、キリストにあってあるのです。
また、エペソ4:7の通り、キリストの賜物の量りにしたがって恵みが与えられます。キリストの賜物の量りは、無限です。心配しなくてもいいのです。
プレゼントをもらうことは、そんなに難しいことではないのです。
神様に求めるなら与えられるのです。

神様に求めて、大いに互いに愛し合い、仕えあおうではありませんか。

#キリスト教 #クリスチャン #聖書

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聖霊のバプテスマBaptism of Holy Spirit

thread
三年前に、シアトルで留学してい... 三年前に、シアトルで留学していたEちゃん。フライトアテンダントになって、シアトルに遊びに来てくれました。感謝です。とっても成長して、大人な話しが出来ました。
いつまでも、元気で、神様が守ってくれるようにと、お祈りしています。。。。。
日曜日は、忙しいので、土曜日に... 日曜日は、忙しいので、土曜日に母の日を祝いました。義母の大のお気に入りの日本食レストランです。隣には、雑貨屋さんがあり、ショッピングも楽しみました。もう八十代半ばの義母。最近は、立て続けに二回も手術。。。。とにかく健康でいられますようにとお祈りしました。。。。最近、とみにやせちゃったなぁ。。日本の母には、カードとお菓子を送って祝いました。母も、喜んでくれていました。日本の母にもあいたいなーー。。。
2016年5月8日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/K2i5iXsnA10

使途2:4

ここ何週間か大切なお話しをしています。いかに、キリストの昇天が大切であるか、ペンテコステの出来事が教会にとって大切かと話して来ました。今日は、聖霊のバプテスマがもたらす事柄についてお話ししたいと思います。

まず、先に話した事がらの関連性についておさらいしたいと思います。

イエス様の昇天によって、イエス様は、天の王座に着座され、王の王となられた。それを信じる私たちは、そのイエス様の王国の国民の身分となった。そして、信仰によってイエス様の死と葬りと復活と昇天に合わされた私たちには、御名の権威が与えられている。

ペンテコステの日に、イエス様が話されていた「父の約束」すなわち、聖霊が降臨し、一人ひとりの上に臨み、あふれ、みな一つ霊とされ、教会が発足した。イエス様のかねてからの願い、御父とイエス様が一つであるように、教会とイエス様も一つ、信者の一人ひとりも一つとなることが実現した。

聖霊様は、単なるエネルギーではなく、パーソン。イエスの霊、御子の霊とされる一神格。さて、その方が臨む、その方にバプタイズ、浸される時、どのようなことが起きるのでしょうか。。。御国の一員として機能していくことが出来るようになるのです。

★ 異言の力    

V4 みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。4 And they were all filled with the Holy Spirit and began to speak with other tongues, as the Spirit gave them utterance.

さて、五旬節の出来事では、みなが外国の言葉で話しはじめ、人々は、酔っ払っているのかと思ったというのです。異言については、いろいろな、議論があります。異言がでなくても、聖霊に満たされているとする人もいれば、異言を話さなければ満たされてないという派の人たちもいます。
私は、人それぞれの神様との関係が大切なのであるから、異言を話さないとダメだとは言いたくありません。
でも、パウロも言っているように、話せるなら、話した方が、いいと私も思います。

異言は、スーパーナチュラルの扉を開く窓口です。 数年前に、テレビ番組で、医者が異言を話す人の脳を調べました。そして、フランシスの修道士の祈っているときの脳と、チベットの仏教の僧侶が瞑想しているときの脳と比べました。異言を語る人たちの脳は、全く違っていたそうです。クリスチャンが言葉を使って祈っているときと、カトリックの祈りと、僧侶の瞑想は同じだったそう。前頭葉に力が集中していたそうです。自分の考えで、言葉をコントロールしています。しかし、異言を語る人の脳は、脳全体が活発に動いていたそうです。全体です!まさに、人間のコントロールから全く外れたところで、脳が機能しているそうで、サイエンスが、聖書の言っていることを証明した。異言を語るとき、この世の力、束縛から解放され、全くこの地上の影響の無い、天的な世界が開かれるというのだ。    

聖霊のバプテスマは、天と人を一つにし、また地上の人たちを一つにする。といえるでしょう。

聖書に次のように書かれている通りです。

Ⅰコリント14:14
もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。For if I pray in a tongue, my spirit prays, but my understanding is unfruitful.

異言を話している時は、自分の知性を飛び越して霊で直接祈っているということです。頭では、分からないが、霊では分かっているというようなことがおきます。そして、霊のことがよく分かるようになると、霊でおきていることを、頭が上手に解釈して通訳することができるようになります。

★ 伝道の力   恐れがなくなる=確信をもって

使途1:8 

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」But you shall receive power when the Holy Spirit has come upon you; and you shall be witnesses to Me in Jerusalem, and in all Judea and Samaria, and to the end of the earth.”

弟子たちは、聖霊を受けるまでは、恐れに縛られていました。聖霊が臨んで一番顕著な出来事は、恐れから解放されることです。違ういい方で言うならば、確信に満ち溢れ、恐れなどもろともしなくなる、ということです。

ペテロは、聖霊のバプテスマを受けた後、立ち上がり、大胆に今起きていることはどういうことか、説明し始め、そして、大伝道メッセージへと移り、3000人以上の人が救われるということが起きました。

それは、聖霊を受けると、今まで頭で理解しようとしてたことが、すとんと胸に落ち、確信がゆるがなくなる、確信がズドーンと腹の真ん中に来る経験をするのです。揺るがない確信を持って生きている人は強いです。

★ 御名の権威の行使

復活のイエス様が大宣教命令を弟子たちにわたしますが、その時に言われた言葉が次のことばです。

マルコ16:17-18 

信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」And these signs will follow those who believe: In My name they will cast out demons; they will speak with new tongues; 18 they will take up serpents; and if they drink anything deadly, it will by no means hurt them; they will lay hands on the sick, and they will recover.”

大宣教命令のあと、父の約束を待ちなさい。と言われました。父の約束、すなわち、聖霊が望むとき、これらすべてのことが可能になるということです。聖霊とは、三位の神の一神格、聖霊様が臨むことによってイエス様の権威と一つになる。確信を持って御名の権威の行使ができるようになるのです。

信じる者には、それを受ける資格があるというのです。私たちは、どれほど、自分に与えられた身分を理解しているでしょうか。どれほど、自分に委ねられている権威を使って生きているでしょうか。

★ 天とのコミュニケーション能力が与えられる

先ほど、異言のところで話しましたが、天と直接一つとなれるものだといいました。自分の知性を飛び越え、人間的な常識を飛び越え、そして、地上のあらゆる束縛を超えて、天と霊においてつながれること、その一つの表れが異言ですね。
聖書には、聖霊の九つの賜物があるというのです。
それは、イエス様の御国に国籍を持つ天国民としてのしるしです。聖霊において、天と一つになっているならば、与えられる賜物として聖書にしるされています。

1コリント12:6-11 聖霊の九つの賜物

働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。7 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。8 ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、9 またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、10 ある人には奇蹟を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。11 しかし同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。

九つの賜物は、
知恵のことば、知識のことば、信仰、いやし、奇蹟を行なう力、預言、霊を見分ける力、異言、異言を解き明かす力

今日は、一つ一つについて、時間が足りないので説明はできませんが。。また、次回に。
いづれも、超自然的なことです。そして、御国のために働くために必要なツールであります。私たちは、すでに天国民とされていますから、この賜物にあずかる資格を持っているのです。

エペソ4:7
しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。 But to each one of us grace was given according to the measure of Christ’s gift.

信じる者には、求めるならば与えられるものです。

★ アクティベーション!

ペンテコステの体験は、五旬節が来たからといって、自動的に全ての人が聖霊に満たされたのではない。イエスの言葉を聞いて、信じ、おことばどおりに祈り待ち望んだ人たちに注がれた。
私たちが、聖書の言葉を黙想するときに、力が注がれる。御言葉を信じるときに、聖霊の注ぎがあるのです。

天に昇られたイエス様を信じている私たちには、天的に生きる使命があります。そして、資格があります。聖霊のバプテスマを求めましょう。そして、受け取りましょう。イエス様に与えられた権威と能力をアクティベイトさせる必要があります。

一緒に祈りましょう。


#キリスト教 #神 #聖書

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