★ あなたも私も、みな贖われたしもべ、主のもの You and me are redeemed servant of the Lord.
4 あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。Who are you to judge another’s servant? To his own master he stands or falls. Indeed, he will be made to stand, for God is able to make him stand.
7 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。7 For none of us lives to himself, and no one dies to himself. 8 For if we live, we live to the Lord; and if we die, we die to the Lord. Therefore, whether we live or die, we are the Lord’s.
13 ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。13 Therefore let us not judge one another anymore, but rather resolve this, not to put a stumbling block or a cause to fall in our brother’s way.
14 主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。15 もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。I know and am convinced by the Lord Jesus that there is nothing unclean of itself; but to him who considers anything to be unclean, to him it is unclean. 15 Yet if your brother is grieved because of your food, you are no longer walking in love. Do not destroy with your food the one for whom Christ died.
★ 罪かどうかは、あなたの心の問題 Your heart will decide if that is a sin.
23 しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。But he who doubts is condemned if he eats, because he does not eat from faith; for whatever is not from faith is sin.
1テモテTimothy 2:1-2
そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。First of all, then, I urge that requests, prayers, intercessions, and thanks be offered on behalf of all people, 2 even for kings and all who are in authority, that we may lead a peaceful and quiet life in all godliness and dignity.
テトスTitus 3:1
あなたは彼らに注意を与えて、支配者たちと権威者たちに服従し、従順で、すべての良いわざを進んでする者とならせなさい。Remind them to be subject to rulers and authorities, to be obedient, to be ready for every good work.
1ペテロPeter 2:13-17
人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、14 また、悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。15 というのは、善を行って、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。16 あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷といて用いなさい。17 すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。Be subject to every human institution for the Lord’s sake, whether to a king as supreme 14 or to governors as those he commissions to punish wrongdoers and praise those who do good. 15 For God wants you to silence the ignorance of foolish people by doing good. 16 Live as free people, not using your freedom as a pretext for evil, but as God’s slaves. 17 Honor all people, love the family of believers, fear God, honor the king.
★ 世を祝福する Bless the world
12:14あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。Bless those who persecute you, bless and do not curse.
なぜでしょう? 私たちは、神に似せられた話す霊です。ですから、私たちの言葉に力があるからです。呪いは、命と関係を断ち切ります。呪いのあるところには、祝福が届きません。たとい、誰かがあなたを信仰の故に迫害しても、後にその人が神に出会うかもしれません。神様というお方の本質は、裁きよりも憐れみが勝るお方です。麦の中に生えている毒麦を収穫の時まで育てておく方です。悔い改めのチャンスを与えられる方です。
神は、私たちを呪い専門ではなく、祝福専門にされました。私たちの口が祝福するところから、命が溢れ、神の好意が望むのです。日々、呪うことよりも、祝福することを選ぶようにしましょう。
★ 感情の共有 Sharing your emotions
12:15喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。15 Rejoice with those who rejoice, weep with those who weep.
みなさん、イエス様は完全な人であり完全な神でありました。イエス様は、泣かれたり、怒られたり、喜ばれたりしました。私たちは、感情的になることは良くないような印象をいつしか植え付けられてきたように思います。感情は、私たちが全人的に健康でいられる一つの印です。感情を押し殺してしまえば、心の癒しも起こりません。感情には理由があります。また、感情を隠すことなく出すことは、ボルナラボルなことでもあります。
感じる心は私たちを一つにする。感情は、私たちに何らかのメッセージを送っている。シグナルであり、媒体。エンパシーは、相手の身になって物事を感じること。先日不思議な体験をしました。オーセンティック、純粋な人間関係は、組織に属することからは来ない。既定の枠組みでない。一人一人の心と心のつながりである。ここで、先月話した、vulnerability が大切になってきます。あなたの感情を表すには、vulnerability が必要ですし、また自分をリスペクトし、愛していなければなかなかできないものでもあります。
私の証し;
コミュニティが感情を共有するところに癒しがあり、解放があり、和解がある。
★ 一つの思い One mind
12:16互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。Live in harmony with one another; do not be haughty but associate with the lowly. Do not be conceited.
12:17だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。Do not repay anyone evil for evil; consider what is good before all people.
12:18あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。If possible, so far as it depends on you, live peaceably with all people.
12:19愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」19 Do not avenge yourselves, dear friends, but give place to God’s wrath, for it is written, “Vengeance is mine, I will repay,” says the Lord.
12:20もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。 12:21悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。20 Rather, if your enemy is hungry, feed him; if he is thirsty, give him a drink; for in doing this you will be heaping burning coals on his head. 21 Do not be overcome by evil, but overcome evil with good.
① 自分の中で善の意識を育てる V17
すべての人にとって良いこととは何か。自分にとって良いことを考えるとそこにはわがまましかなく、また一方的な考えになりがちですが、違う人のニードを思いやり、違った心の傷を持っている人の必要を考えるときに、善の意識も深められていくのです。人は、一人で独立して存在するものではないからです。
② ピースメイカーとなる V18
これはなかなか難しいことです。よく志がある人、また初めて教会に来た人で祈りの課題はと聞かれたら、世界平和と言われる方がおられますが、世界平和の実現は、私から始まることも忘れてはいけません。けれども、聖書は「自分に関する限り」と書いてありますね。平和を作るには、ただ、みなの意見を完全に取り入れて、妥協によってコンフリクト、摩擦のなか状態を作ることではないのです。コンフリクトはあって当たり前です。ただ、重要になってくるのは、互いに愛があるのか、互いに赦しあえるのか、ということです。ピースメイカーは、和解の方法を知っている人であると言えます。あなたは、問題解決を求めますか、二人でなる夫婦であっても互いに満足のいく百点の問題解決などありえません。ですが、互いに愛し合い、赦しあうなら、問題は問題ではなくなります。本当の和解はそういうものではないでしょうか。イエス様も、この世に来られたことで、摩擦があり、分裂も起きました。しかし、和解という道を十字架の上でお示しくださったのです。
③ 復讐より愛で V19,20
旧約聖書では、目には目で、歯には歯でと、律法によって自分がやられた分は取り返すことが認められており、ただそれ以上のことはしてはいけないという決りがありました。新約では、復讐は神のすることである。というのも、イエス様が私たちのすべての罪を赦してくださった、私の罪も、あの人の罪も。私は、赦されたのですから、今や、赦す人に変えられたのです。聖書の大きな借金を主人に赦してもらった人のようですね。ですから、私たちに委ねられているのは、イエス様によって赦すことであり、復讐は、神様の手に渡ったのです。そして、本当に、神様は、そうなさいます。私も、何度も、私に危害を及ぼす人が神様から叱られているのを見ました。そして、私は、とりなして祈ります。いつも必ず、最後には和解か、相手が未信者の場合には、神様に興味を持ってくれるというように変えられます。
私たちには生きている神様、王の王がいらっしゃることを忘れないでください。
むしろ、v20では、当時の風習で、種火がなくなって暖もとれず、料理さえできない、大事な火種だったんですね。ですから、例えいやな隣人にでも、大変に良いことをするならば、(持っている種火をもらうその器に炭火のおすそ分けをしてあげる)、復讐するなんてことよりも、はるかにいい解決に導くのですよ。と聖書は教えているのです。世は、悪で満ちているようですが、善を持って悪に打ち勝ちましょう。
Prov. 箴言14:12
“There is a way which seemeth right unto a man, but the end thereof are the ways of death.”人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。
I. Jonah’s Calling ヨナの召命
Jonah ヨナ書1: 1-2
“Now the word of the Lord came unto Jonah the son of Amittai, saying, Arise, go to Nineveh, that great city, and cry against it; for their wickedness is come up before me.” アミタイの子ヨナに次のような主のことばがあった。2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」
II. Jonah’s Disobedience ヨナの不従順
Jonah ヨナ書1:8
“...tell us, we pray thee, for whose cause this evil is upon us; What is thine occupation? What is thy country? And of what people art thou?” そこで彼らはヨナに言った。「だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、告げてくれ。あなたの仕事はなにか。あなたはどこから来たのか。あなたの国はどこか。いったいどこの民か。」
Jonah ヨナ書1:10
.“...what shall we do unto thee, that the sea may be calm unto us?” それで人々は非常に恐れて、彼に言った。「何でそんなことをしたのか。」人々は、彼が主の御顔を避けてのがれようとしていることを知っていた。ヨナが先に、これを彼らに告げていたからである。
Jonahヨナ書 1:12
“...take me up, and cast me forth into the sea; so shall the sea be calm unto you: for I know that for my sake this great tempest is upon you.” ヨナは彼らに言った。「私を捕らえて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。わかっています。この激しい暴風は、私のためにあなたがたを襲ったのです。」
Jonahヨナ書 1:14
“Wherefore they cried unto the Lord, and said, We beseech thee, O Lord, we beseech thee, let us not perish for this man’s life, and lay not upon us innocent blood:...” そこで彼らは主に願って言った。「ああ、主よ。どうか、この男のいのちのために、私たちを滅ぼさないでください。主よ。あなたはみこころにかなったことをなさるからです。」
III. Jonah’s Near Death Experience – Tribulation ヨナの臨死体験- 罪の刈り取りの患難
Jonahヨナ2:9 “...I will sacrifice unto thee with the voice of thanksgiving; I will pay that I have vowed. Salvation is of the Lord.” しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです。
IV. Jonah Obeys - Nineveh and Jonah are redeemed ヨナの従順—ニネべとヨナの命の贖い
Jonahヨナ書 3:4-5
“...Yet forty days, and Nineveh shall be overthrown. So the people of Nineveh believed God, and proclaimed a fast, and put on sackcloth, from the greatest of them even to the least of them.” ヨナはその町に入って、まず一日目の道のりを歩き回って叫び、「もう四十日もうると、ニネベは滅ぼされる」と言った。5 そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。
Jonahヨナ書 3:8-9
“...let them turn every one from his evil way, and from the violence that is in their hands. Who can tell if God will turn and repent, and turn away from his fierce anger, that we perish not?” 人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行いから立ち返れ。9 もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないで済むかもしれない。」
V. My Jonah Story 私のヨナ体験
Prov. 箴言14:12
“There is a way which seemeth right unto a man, but the end thereof are the ways of death.” So my way which seemed right led to death. 人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である
“We desire to be in a perfect relationship with God and others, to be free of hurt and pain, but none of this will happen in this life on a level that will completely satisfy us. So we have to groan and wait, looking with hope toward that day when all tears will be wiped away. In that hope, we will not be disappointed.” 私たちは神と人との痛みや傷のない完璧な関係を求めます。しかし、完全に私たちが満足するレベルには生きている間では到達しないでしょう。ですから、私たちはうめき、いつか流したすべての涙がぬぐわれる日を希望をもって待ち望むのです。その希望だけは、私たちを失望させることはないのです。
False Intimacy偽の親密さ, Dr. Harry W. Schaumburg 本からの抜粋