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ぼくしのめがね

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ロマ12章④ キリスト者の生き方 ii

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大学院のお友達たちと集まりまし... 大学院のお友達たちと集まりました。土曜日、とても楽しく祝福された時を持ちました。みなさん、素敵な方々です。年齢やバッググラウンドは全く違うけど、神様にあってとってもよい姉妹たちです。 木曜日、ロバの子クラス、この日... 木曜日、ロバの子クラス、この日は、子供たちが六人。とても楽しかったです。一緒に遊んでいる姿は微笑しいです。。。 子供たちがぶれずに正面を向いて... 子供たちがぶれずに正面を向いて写真におさまりました。奇跡だー! あまりにも嬉しかったのでつい、載せてしまいました。。。こんなことってある??
2017年2月19日日曜日礼拝メッセージ音声



ロマ12:14-21

12:14あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。 12:15喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。 12:16互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。 12:17だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。 12:18あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。 12:19愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」 12:20もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。 12:21悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

★ 世を祝福する Bless the world
12:14あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。Bless those who persecute you, bless and do not curse.
なぜでしょう? 私たちは、神に似せられた話す霊です。ですから、私たちの言葉に力があるからです。呪いは、命と関係を断ち切ります。呪いのあるところには、祝福が届きません。たとい、誰かがあなたを信仰の故に迫害しても、後にその人が神に出会うかもしれません。神様というお方の本質は、裁きよりも憐れみが勝るお方です。麦の中に生えている毒麦を収穫の時まで育てておく方です。悔い改めのチャンスを与えられる方です。
神は、私たちを呪い専門ではなく、祝福専門にされました。私たちの口が祝福するところから、命が溢れ、神の好意が望むのです。日々、呪うことよりも、祝福することを選ぶようにしましょう。
★ 感情の共有 Sharing your emotions
12:15喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。15 Rejoice with those who rejoice, weep with those who weep.
みなさん、イエス様は完全な人であり完全な神でありました。イエス様は、泣かれたり、怒られたり、喜ばれたりしました。私たちは、感情的になることは良くないような印象をいつしか植え付けられてきたように思います。感情は、私たちが全人的に健康でいられる一つの印です。感情を押し殺してしまえば、心の癒しも起こりません。感情には理由があります。また、感情を隠すことなく出すことは、ボルナラボルなことでもあります。
感じる心は私たちを一つにする。感情は、私たちに何らかのメッセージを送っている。シグナルであり、媒体。エンパシーは、相手の身になって物事を感じること。先日不思議な体験をしました。オーセンティック、純粋な人間関係は、組織に属することからは来ない。既定の枠組みでない。一人一人の心と心のつながりである。ここで、先月話した、vulnerability が大切になってきます。あなたの感情を表すには、vulnerability が必要ですし、また自分をリスペクトし、愛していなければなかなかできないものでもあります。

私の証し;

コミュニティが感情を共有するところに癒しがあり、解放があり、和解がある。

★ 一つの思い One mind

12:16互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。Live in harmony with one another; do not be haughty but associate with the lowly. Do not be conceited.

一つの心になるには、自分の思いを相手の思いよりも優れていると思っていては一つになれません。むしろ、自分の方が正しいと思っている人こそ、低くなることを学ばなければならないのかもしれません。イエス様は、高く天にいらっしゃった、全ての造り主、全てをご存知の方であるのに、私たちのようになってくださいました。罪は犯されませんでしたが、赤ちゃんになって生まれてくださったのです。全てできるのに、言葉も親に教えてもらい、文字を書くことや読むことも教えてもらったことでしょう。バプテスマのヨハネから洗礼も受けました。ヨハネは、私こそしていただかないといけない立場なのに。。。と言いましたが、今はそうされてくれ、と洗礼を受けました。私たちの神、イエス・キリストが低い私たちに合わせてその目線にまで降りてくださったことを思い出しましょう。私たちは、何目線で生きているでしょうか。

★ 善をもって悪に打ち勝つこと Overcome the evil with goodness

善、goodness について一緒に考えてみましょう。

12:17だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。Do not repay anyone evil for evil; consider what is good before all people.
12:18あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。If possible, so far as it depends on you, live peaceably with all people.
12:19愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」19 Do not avenge yourselves, dear friends, but give place to God’s wrath, for it is written, “Vengeance is mine, I will repay,” says the Lord.
12:20もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。 12:21悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。20 Rather, if your enemy is hungry, feed him; if he is thirsty, give him a drink; for in doing this you will be heaping burning coals on his head. 21 Do not be overcome by evil, but overcome evil with good.

① 自分の中で善の意識を育てる V17
すべての人にとって良いこととは何か。自分にとって良いことを考えるとそこにはわがまましかなく、また一方的な考えになりがちですが、違う人のニードを思いやり、違った心の傷を持っている人の必要を考えるときに、善の意識も深められていくのです。人は、一人で独立して存在するものではないからです。

② ピースメイカーとなる V18
これはなかなか難しいことです。よく志がある人、また初めて教会に来た人で祈りの課題はと聞かれたら、世界平和と言われる方がおられますが、世界平和の実現は、私から始まることも忘れてはいけません。けれども、聖書は「自分に関する限り」と書いてありますね。平和を作るには、ただ、みなの意見を完全に取り入れて、妥協によってコンフリクト、摩擦のなか状態を作ることではないのです。コンフリクトはあって当たり前です。ただ、重要になってくるのは、互いに愛があるのか、互いに赦しあえるのか、ということです。ピースメイカーは、和解の方法を知っている人であると言えます。あなたは、問題解決を求めますか、二人でなる夫婦であっても互いに満足のいく百点の問題解決などありえません。ですが、互いに愛し合い、赦しあうなら、問題は問題ではなくなります。本当の和解はそういうものではないでしょうか。イエス様も、この世に来られたことで、摩擦があり、分裂も起きました。しかし、和解という道を十字架の上でお示しくださったのです。

③  復讐より愛で V19,20
旧約聖書では、目には目で、歯には歯でと、律法によって自分がやられた分は取り返すことが認められており、ただそれ以上のことはしてはいけないという決りがありました。新約では、復讐は神のすることである。というのも、イエス様が私たちのすべての罪を赦してくださった、私の罪も、あの人の罪も。私は、赦されたのですから、今や、赦す人に変えられたのです。聖書の大きな借金を主人に赦してもらった人のようですね。ですから、私たちに委ねられているのは、イエス様によって赦すことであり、復讐は、神様の手に渡ったのです。そして、本当に、神様は、そうなさいます。私も、何度も、私に危害を及ぼす人が神様から叱られているのを見ました。そして、私は、とりなして祈ります。いつも必ず、最後には和解か、相手が未信者の場合には、神様に興味を持ってくれるというように変えられます。
私たちには生きている神様、王の王がいらっしゃることを忘れないでください。
むしろ、v20では、当時の風習で、種火がなくなって暖もとれず、料理さえできない、大事な火種だったんですね。ですから、例えいやな隣人にでも、大変に良いことをするならば、(持っている種火をもらうその器に炭火のおすそ分けをしてあげる)、復讐するなんてことよりも、はるかにいい解決に導くのですよ。と聖書は教えているのです。世は、悪で満ちているようですが、善を持って悪に打ち勝ちましょう。


#キリスト教 #ブログ #教会 #礼拝メッセージ

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MR職人
Commented by MR職人
Posted at 2017-02-24 23:31

何度も聴かされた言葉ですが・・人という字は支え合って・・
<人は、一人で独立して存在するものではないからです>教訓にしています。
最近<人の情け>が少し分かるようになってきました。

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bokushi
Commented by bokushi
Posted at 2017-02-25 11:16

職人様
本当ですね。人は一人で生きるようには造られていないようです。脳科学的にもそのようです。。人の情けがありがたいです。。。

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