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ぼくしのめがね

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ダビデの逃亡生活の始まりDavid’s Life on the lam

thread
2014年3月23日日曜日礼拝

聖書箇所

1サムエル21章  詩篇34  詩篇56 ヨハネ15:1-5

20章では、ダビデとサウルの息子ヨナタンとの契約。また、サウルが本当にダビデを殺そうとしていることが分かった。賞賛と王の婿となる華やかな一面から手のひらを返したように一変する。そして、21章からダビデの逃亡生活が始まる。ダビデは、サウルが死ぬまで、逃亡生活が続くことになる。ダビデにとっては、今まで経験したことのない質の試練であった。Unknown problem to him. 敬っている王であるサウル、また義理の父であるサウル、親友の父でもあるサウルに命を狙われている。わけが分からない状態ではなかったでしょうか。Confusion. そして、分からないからこそ、不安だったことだろう。私たちも、このような混沌とした、何が起きているか分からない、理解しきれないことが人生のうちにはあるものです。今まで経験も想像もしたこともない試練にあるダビデの初めはどうだったのでしょうか。

ダビデがまずしたのは、

1. 祭司アヒメレクのところへ行った 

  v1ダビデはノブの祭司アヒメレクのところに行った。アヒメレクはダビデを迎え、恐る恐る彼に言った。「なぜ、おひとりで、だれもお供がいないのですか。」Now David came to Nob, to Ahimelech the priest. And Ahimelech was afraid when he met David, and said to him, “Why are you alone, and no one is with you?”
ここでも、主を第一にしているダビデの姿勢がうかがえる。困難のときこそ、主を礼拝する。また神の人のところに行く。
主の守りがあった。エドム人ドエグもきていた。v7―その日、そこにはサウルのしもべのひとりが主の前に引き止められていた。その名はドエグといって、エドム人であり、サウルの牧者たちの中のつわものであった―Now a certain man of the servants of Saul was there that day, detained before the Lord. And his name was Doeg, an Edomite, the chief of the herdsmen who belonged to Saul.

私たちは、何かあったとき、人のところではなく神のところに行くべきだ。

2. 混沌が不安を、不安が恐れを生んだ 

v8-9 ダビデはアヒメレクに言った。「ここに、あなたの手もとに、槍か、剣はありませんか。私は自分の剣も武器も持って来なかったのです。王の命令があまり急だったので。」1. 9 祭司は言った。「あなたがエラの谷で打ち殺したペリシテ人ゴリヤテの剣が、ご覧なさい、エポデのうしろに布に包んであります。よろしければ、持って行ってください。ここには、それしかありませんから。」ダビデは言った。「それは何よりです。私に下さい。」
And David said to Ahimelech, “Is there not here on hand a spear or a sword? For I have brought neither my sword nor my weapons with me, because the king’s business required haste.”
9 So the priest said, “The sword of Goliath the Philistine, whom you killed in the Valley of Elah, there it is, wrapped in a cloth behind the ephod. If you will take that, take it. For there is no other except that one here.” And David said, “There is none like it; give it to me.”

恐れから出たもの  

① うその証言 アヒメレクにサウルの急な命令だと言った

ダビデなりの人間的な配慮だったのかも知れない。サウルの評判を守るためか。
これは、次の章で恐ろしい惨事となる。ドエグによって、祭司と家族、家畜までが全て殺されることとなる。神に信頼しての透明なコミュニケーションというものがいかに大切であるか。

②  目に見えるものを頼みとする ゴリヤテの剣
しかし、勝利の思い出、証しとしては、ゴリヤテの剣は役に立つ。守りを与えるのは神である。ダビデは、石一つでゴリヤテに勝ったのではなかったのか。
Oppression makes a wise man do foolishly.
恐れと言うものは、目に見えるものに頼らせる。信仰の反対だ。信仰は、目に見えないものを保証するものだ。私たちが目に見えるものに頼るときに、信仰よりも恐れが勝っているのかもしれない。目に見える、お金、地位、持ち物にしがみついているならば、あなたは、恐れによって歩んでいるといえるだろう。

3. 敵の領内に逃亡          ペリシテのガデの王アキシュのところへ
v11-13するとアキシュの家来たちがアキシュに言った。「この人は、あの国の王ダビデではありませんか。みなが踊りながら、『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った』と言って歌っていたのは、この人のことではありませんか。」12 ダビデは、このことばを気にして、ガテの王アキシュを非常に恐れた。13 それでダビデは彼らの前で気が違ったかのようにふるまい、捕らえられて狂ったふりをし、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりした。And the servants of Achish said to him, “Is this not David the king of the land? Did they not sing of him to one another in dances, saying: ‘Saul has slain his thousands,
And David his ten thousands’?” 12 Now David took these words to heart, and was very much afraid of Achish the king of Gath. 13 So he changed his behavior before them, pretended madness in their hands, scratched on the doors of the gate, and let his saliva fall down on his beard.

恐れから出たもの v12アキシュを非常に恐れた。 
恐れと言うものは、まるでパンダねのようにどんどんふくらみ、大きくなる。ダビデの恐れは、非常に大きくなった。
自分を偽り、敵の領内にいたら安全だと思ったが、隠すことができなかった。
自分のプランが壊れると、恐れが入る。神のプランだと確信していると恐れはない。
ダビデは、気違いを装う。

4. ダビデの逃亡の中での証し
しかし、ダビデは、この絶体絶命の苦しみの中で多くを学んだ。

神の刈り込み、掘り出し作業の証し God’s pruning / “curving –treasure – out” work
私たちは、思いがけない試練のときこそ、大きな宝を得る。それは、農夫がぶどうの木を刈り込むようだ。実を結ぶために、いらない枝を切り落とす。また、鉱山で働く工夫のようだ。岩を切り砕き、宝石だけを取り出していくかのよう。この枝の結ぶ実は、朽ちない。この掘り出された宝石は、朽ちない。試練の中、刈り込みによって得るものは、大きい。決して普段の生活からは理解できないことを理解するようになる。私たちの命の永遠の目的eternal purposeを知るようになる。
ダビデは、恐れを持ちながらも、神様に立ち返り、多くを学んだ。
私たちもこの姿勢をもちたいものです。

ヨハネ15:1-5
わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。“I am the true vine, and My Father is the vinedresser. 2 Every branch in Me that does not bear fruit He takes away;[a] and every branch that bears fruit He prunes, that it may bear more fruit. 3 You are already clean because of the word which I have spoken to you. 4 Abide in Me, and I in you. As the branch cannot bear fruit of itself, unless it abides in the vine, neither can you, unless you abide in Me.5 “I am the vine, you are the branches. He who abides in Me, and I in him, bears much fruit; for without Me you can do nothing.

ダビデは、この試練の痛みの中、混乱し、恐れたが、しっかりと主の木につながれた。神から得たもの、学んだことがあった。それが、詩篇34,56に書かれてある。

詩篇34:1-3 
1 私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。2 私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。3 私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。I will bless the Lord at all times; His praise shall continually be in my mouth. 2 My soul shall make its boast in the Lord; The humble shall hear of it and be glad. 3 Oh, magnify the Lord with me,And let us exalt His name together.

詩篇34:15,16 義人の守り/義とされたクリスチャンの完全な守り
主の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。16 主の御顔は悪をなす者からそむけられ、彼らの記憶を地から消される。The eyes of the Lord are on the righteous, And His ears are open to their cry.
16 The face of the Lord is against those who do evil, To cut off the remembrance of them from the earth.

詩篇56:3
恐れのある日に、私は、あなたに信頼します。Whenever I am afraid,
I will trust in You.

詩篇56:8 神に知られている。私たちの最大の慰めである。
8あなたは、私のさすらいをしるしておられます。どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。それはあなたの書には、ないのでしょうか。 
You number my wanderings; Put my tears into Your bottle; Are they not in Your book?

詩篇56:12 
神の約束、召しは変わらない。旧約の誓いは、現在の献身、召しに従うという感覚に近い。
神よ。あなたへの誓いは、私の上にあります。私は、感謝のいけにえを、あなたにささげます。Vows made to You are binding upon me, O God;I will render praises to You,

〇主に道が知られている
〇いかなる時にも主を褒め称える
〇義人の守り/義人の受ける分
〇それでも主の約束/召命は堅く立つ

私たちの中に、混乱の中にいる人がいるでしょうか。移行期にあって、何が起こるかわからないという漠然とした不安の中にいる人がいるでしょうか。
あなたの道は、神に知られています。またキリストの義に常に隠されています。あなたは、弱いようだが、強く。敵が攻撃しても、つぶされることは決してないのです。
刈り込みのときに、私たちも永遠の宝を得ましょう。あなたの永遠の目的があなたの霊と魂の中に明らかにされ、刻まれますように。


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ソウルメイトになるために ⑧

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みなさん、こんにちは。私がのろのろやっているうちに、とうとうこの素晴らしい本が日本語に翻訳されて、出版されていました!!
ぜひ読んでみてください。わたしは、結婚カウンセリングをしていますが、結婚関係の多くの問題は、この法則を持って解決されます。

愛されたい妻と尊敬されたい夫
エマソン・エグリッチ著  ファミリー・フォーラム ・ジャパン

英語では、
Love & Respect
by Emerson Eggerichs Thomas Nelson

と言うことで、8回目の要点のみ、

妻が愛されていると思う時。。。

尊重:夫がわたしを尊重していると感じるとき。(他の誰よりも大切にしていると感じる)

・ 子供たちの前で言葉でわたしをサポートし、敬意をあらわす時。
・ 夫のためにわたしがすることに対してほめてくれる時。
・ はっきり判断がつかないようなことについて話しているときでさえ、夫がわたしの意見を尊重してくれるとき。夫の意見と違うからと言って、間違っているとしないとき。

夫が尊敬されていると思う時。。。

性的関心: 妻がわたしの情熱と楽しみを評価してくれるとき。(わたしの性的親密さへの願い)

・ 定期的に妻のほうから誘ってくれる時。
・ もっと頻繁に応答してくれる時。
・ わたしを恥ずかしい思いをさせないで、わたしの性的な誘惑について認識させてくれる時。

これは、非常に重要なことです。
結婚関係で、価値観、性格の不一致で離婚にいたると言われていますが、
結婚関係において金銭の問題、性の満足が非常に大きな位置を占めています。
その土台にあるのは、もちろんコミュニケーションです。そして、このコミュニケーションを助けるのが、男性と女性のニードの違いを理解すること。すなわち、愛と尊敬の原則を理解することです。

女性たち、夫を尊敬してください。
男性たち、妻を愛してください。

結婚関係が大きく向上することでしょう。

みなさんの祝福をお祈りしています。


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日曜日のメッセージから 信仰の人の生き方Honor

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Ⅰサムエル18章から

Ⅰサムエル記は、二人の王、ダビデとサウルが非常に対照的です。

サウル王は、ねたみと恐れにとらわれた肉の人でした。ダビデのあげた手柄を喜ぶことができず、かえって不安になり、ダビデを恐れるようになりました。 

☆神の御国の法則は、Honorと愛です。
本来ならば、ともに喜ぶべきであるし、もしも、部下に不満があるなら、神に任せるべきである。人殺しをしようとした。神の国の法則は、Honorと愛です。互いに尊敬し愛し合うことでハーモニーができる。すなわち、一致ができる。

★信仰の性質 ダビデ
 信仰というのは、目に見えない神を信じること。(ヘブル11:1信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen. 2 For by it the elders obtained a good testimony.)
先週のダビデの大勝利のお話しにも見られます。ダビデは、自分の信じている神様ならきっと勝たせてくれる。という信仰にたっているのです。神の心を知っているから信仰にたてる。自分のしていることは、神の心にそっているとはっきり言える。
V12, 主はダビデとともにおられbecause the Lord was with him V14ダビデはその行く所、どこででも勝利を収めた。主が彼とともにおられた。And David behaved wisely in all his ways, and the Lord was with him. 

 ☆信仰と行いについて  
v16 イスラエルとユダの人々はみな、ダビデを愛した。彼が彼らの先に立って行動していたからである。But all Israel and Judah loved David, because he went out and came in before them.
ヤコブ2:26魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです。For as the body without the spirit is dead, so faith without works is dead also.
ダビデは、行いのある人でした。人々は、その人が何を言うかに注目し、また、その人が何をするかに注目しています。ダビデは、誰よりも先頭にたって、戦った人です。率先して、物事をする。そういう人に人々は信頼を寄せます。ダビデは、イスラエルとユダの人はみな、ダビデを愛したとあるほどに愛され信頼されていました。彼の心にあることがそのまま行動にでていたのです。
私たちクリスチャンはどうでしょうか。私たちは、心で信じているとおりに行動しているでしようか?世の人々がついてくる人となっているでしょうか。

★恵みと犠牲について
 V27 ダビデは立って、彼と部下とで、出て行き、ペリシテ人二百人を打ち殺し、その陽の皮を持ち帰り、王の婿になるためのことを、王に果たした。そこでサウルは娘ミカルを妻としてダビデに与えた。therefore David arose and went, he and his men, and killed two hundred men of the Philistines. And David brought their foreskins, and they gave them in full count to the king, that he might become the king’s son-in-law. Then Saul gave him Michal his daughter as a wife.
ダビデは、陽の皮100枚と言われたのに、200を取って来た。彼は、神の恵みによって、神に選ばれ、恵みによって、王の婿になることを許されたことを知っている。そして、神の恵みによって戦い100のところを200とって来るようになった。ダビデは、恵みを無駄にしない人であった。また、犠牲を払うことを知っている人であった。
犠牲を払える人は、神の豊かさを理解している人。神の気前の良さ。一マイルいけといわれたら、その人とともに二マイルいけ。And whoever compels you to go one mile, go with him two.マタイ5:41
私たちは、犠牲を払うから、恵みをいただけるのではない。恵みに感動しているので、犠牲が払える。また、私たちのために犠牲を払って下った、イエス様を知っているから、犠牲を払いたい。
なぜなら、私たちが神を愛して犠牲を払うとき、神がその行為によって、敬意をお受けになる。神が高められるからである。

証し:

私たちクリスチャンは、恵み、恵みといい。強調し、犠牲を払うことを忘れてはいないか??

★神とのヒストリー
 先週、まきおくんのお話にも出ましたが、ダビデは、羊飼いしている時も神様により頼み、きっと自分が任されている羊たちを神様は守ってくださると信じて、猛獣と戦っていた。また、神様と交わっていた。ハープ奏者。祈りの賛美をしていた。神の臨在のある人というのは、一晩では、出来上がらない。神様と自分との歴史がないと、神がともにおられると人が見て取れるひととはならない。ヨセフの上にも神様がともにおられました。その時も同じことを言いましたが。皆さん、どんな立派な牧師先生についていったって、神様との歴史は、きずきあげられません。自分がもがいて、悩んで、それを神様に聞いて、解決策を与えられたり、神様に救われたり、そういう中で、神様と自分との歴史ができるのです。他人がかわりに作ってくれないのです。
あなたには、神様との関係がありますか。また神様とのヒストリーがありますか?

★まとめ

信仰は、行いをうみ、その行いは、神に敬意を表し、神を高めるために犠牲を払うにいたる。
私たちの信仰は、生きているでしょうか?
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ソウルメイトになるために ⑦

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みなさん、いかがお過ごしでしょうか。さて、なかなか終わらないシリーズも最後から二番目になりました。

妻が愛されていると思う時

忠誠心:夫から忠誠心を感じるとき。(妻への完全な献身)

・ 違う女性に目もくれない時

男性は、無意識に道を歩く女性を目で追いかけたりします。そして、男性は無意識なので、自分では自然すぎて気がついていないときもあります。しかーし! 女性はばっちり気がついています。また、「自分の妻が世の中で一番綺麗」と日ごろから態度で示し、口でも表現することをお勧めします。

・ 家族や友達にわたしについて肯定的なことのみ話す; 彼らに自分たちの関係で困っていることをぶちまけない。

これは、お互いに言えることですが、家族が集まるようなときには、妻に関して良い事を話すととても関係が良くなります。ぜったいに、「うちのは料理がへただから」「うちの嫁は掃除をしない」なんて言ってはいけません。日本人は、妻を愚妻などと呼ぶ文化があり、謙遜のつもりで外で妻のことを悪く言うことがありますが、これは、夫婦間の信頼関係を壊すことになります。もし、ダメだしをする必要があるなら、家の外で他人に言うのでなく、本人に家の中でお願いします。

・ 死が二人を分かつまで決して離婚という言葉を持ち出さない。

これは、両方に言えることですが、いくら激しくけんかしていても、離婚の二文字は決して持ち出すべきではありません。これを言ってはおしまいです。本当に深く相手を傷つけてしまいます。

余談
男性の言葉には力があります。夫が妻を誉めれば誉めるほど、彼女の美を賞賛すればするほど、妻は美しく変革していきます。ぜひ、夫のみなさん、妻をほめてください。

夫が尊敬されていると感じる時

関係: 妻がわたしのパートナーシップと楽しみ仲間であることを評価してくれるとき。(肩と肩を並べてすごす友人関係を持ちたいとの願い)

・ 妻がわたしを好きだと言う時。

逆によく聞く言葉ですが、「あなたのこと愛してはいるけど、好きじゃない。」との妻の言葉。これは、男性をひどく傷つけます。男性は、このシリーズの始めの方で話したとおり、肩と肩をならべるパートナーとしての関係を好みます。女性は、顔と顔を向き合わせる関係、もっと親密さを好みます。夫にとって、バディとしての妻に嫌いといわれるほどいやなことはありません。

・ リクリエーションをわたしと一緒にする時、もしくは、わたしがしているのを横で見てくれている時。

夫は、どこか行く時、あなたについて来て欲しがりませんか。妻にとって何もすることのないひまな時間になるのに、どうして。などと不思議に思うこともあると思います。皆さん、男同士のリクリエーションは、肩と肩をならべて無言で互いに釣りをするなどといったものが多いのです。それと同じように、自分の趣味をしている間、妻に隣にただいて欲しいのが、夫の願いなんです。妻のみなさん。時間の無駄と決して思わないでください。ぜひ、夫に付き合ってあげてください。きっと、夫は、大満足でこういうでしょう。「いやー、今日は久しぶりに二人っきりのとても充実したデートだったね。僕は幸せだよ。」と。妻にしては、おしゃべりもせず、ただ、一緒にいただけなのに、どうしてデートと解釈するのかと思いますよね。これが、男女の違いです。理解してあげてください!!!!

・ 妻がわたし個人の時間を過ごすように励ましてくれるとき。これがあとで妻ともう一度つながることへの活性剤となる。

妻は、親密さを求めますので、夫が帰宅すると、べったりくっついて、おしゃべりをしたくなります。しかし、男性には、個人の時間がとても大切です。家の外で、世間の荒波にもまれ、家族を食べさせるために戦ってくるのですから、ゆっくりと自分の頭と身体をすこし休める時間が必要になります。
私のことあまり興味ないのかな、と変に気を回さず、個人の時間が必要なときは、そっとしておいて上げてください。そうすると、必ず、気がすむと妻に向かって心を向けてきますよ。お試しください!!

次でシリーズ最後となります!

なかなか続けてアップできませんでしたが、お楽しみいただけましたでしょうか。次の回もお楽しみに。


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夫が神学校に入学

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みなさん、こんにちは。

過去三ヶ月いや、六ヶ月、いろいろーーんなことがありました。
そして、その一つに、夫が神学校に入学するという出来事がありました。

私は、今まで、独身のときから、女性献身者として一人で神様に仕えてきましたし、献身者の方となかなか結婚にも導かれなかったということで、
牧師、宣教師とは関係ない主人に導かれたとき、あまり、夫婦でがっつり献身者として生きるということをイメージせずにいました。
ミニストリーして帰ってきたら、家で夫が私をねぎらってくれたり、いろいろな世間の荒波から守ってくれたらいい程度に考えていました。

確かに、夫は、私の一番のチアリーダーで、つねに励まし、立てあげ、笑わし、また私を守ってきてくれました。
感謝です。

けれど、今年に入って、自分も神学校に行きたいといいだしたのです。
仕事もあるし、どうやって、スケジュールや金銭面をやりくりできるのだろうかと、あまり、真剣に考えていなかったのですが。
仕事の時間を減らして授業に出ることになりました。
すごいっ。

神学校に行きだすと、本当に授業が面白いらしく、今まで行った学校やクラスの中で一番楽しいのだそうです。
また、日々神様に成長させられ、変えられていく夫を見ることは、なによりの祝福です。毎日成長ぶりに感動させられています。

私たちは、一つ霊となることを神様にゆるされているのは、私たちと神の間柄以外には、男女の結婚関係のみです。
ここに、深遠なまでの神様のご計画を体験できるようになっているのです。
日ごろから、私の苦手なところは、主人が補ってくれていて、主人の苦手なところは、私が補ってうまく、二人一組でやっていますが、これも、すごいことだなと思いますが、今回のことを通して、全身全霊をもって、ひとつの目的ゴールに向かって、二人で一組で神様に召され、働けることの素晴らしさ、光栄さを感じさせていただきました。

これからも、互いに成長するにしたがって、さらに二人で一組の献身者として成熟したミニストリーができるようになるのかと思うと、本当に将来が楽しみです。

神様は、私たちの想像をはるかに超えて良い方、また神様のご計画は、私たちの思いや願いを超えて完全で素晴らしいものですね!

感謝

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ソウルメイトになるために ⑥

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久しぶりに Love & Respect 続きからやってみます。

妻が愛されていると思う時。。。

平和: 夫との間に平和が保たれていると感じるとき。(問題が解決している)

さて、ご主人方。どれくらい男性の方が読んでいるのか分かりませんが。。。なるほど、と思いませんか。何か問題があるとき、男性より、女性のほうが、今すぐ問題を解決したいと思うのです。男性は、また今度話そう。。。といいながら、いつまでたっても、問題に向き合わないことはないですか。実は、女性は心の親密さを保つために、今すぐ二人の間の問題を解決して、互いに平和を保ちたいと思っているのです。ですから、妻は、解決されていない問題がある限り、夫に優しくしにくかったり、性的に反応しなくなったりするのです。妻が距離をとってると感じたら、あなたが先送りにしている問題が残っていると考えてよいでしょう。

・ 夫が悪かったと自分の非を認め謝るとき。

男性の皆さん、謝ったら終わりと言わんばかりに決して謝らない男性がいますが、これがどれほど、男女の関係の溝を深くしているか気づいておられますか? 女性は、素直に「わるかった、ごめん」と言える男性を”かっこいい”と思うのです。そして、女性は、「ごめんなさい」を聞いたら、赦してあげようと思う人たちなんです。それどころか、ますます夫を愛し、尊敬するようになります。恐れないで、「ごめん」を実行してみましょう。

・ 夫婦関係をいつも刷新している。未解決の問題を解決し、「もう忘れて」とは言わない。

男同士の問題解決の仕方と、女性のやり方は、違うということを男性は知らなくてはいけません。男性は、水に流して、核心に触れず今までどおりに接してあげることで、相手を赦し受け入れていることを示そうとする傾向にありますよね。しかし、女性は、違います。未解決の問題は、水に流せないのです。そういえば、よく過去を掘り起こすなー。。。とお思いでは?? 覚えていてください。女性は、気になっている未解決の問題がある限り、解決しよう。夫と話し合いたいと思っているのです。顔と顔を合わせて、ゆっくり話す機会が一週間に一度あれば、女性はかなり満足すると思います。

・ 傷つくような時でも、ともに祈るとき。

お互い傷つけあうようなことが、やはり、ありますよね。しかし、自分の至らなさを認め、男性が一緒に神様に祈ろうとイニシアティブをとるとき、女性は、「この人、かっこいい」と思うのです。弱いとは思いません。神様の前にへりくだり、正しいことをしようとする、謙遜さをみるときに、女性は惚れ直すのです。

夫が尊敬されていると思う時。。。

洞察:  夫の見解や提案を高く評価してくれるとき。(夫の分析し助言をしてあげたい思いを汲み取ってくれるとき) 

夫は、常に、妻たちのいろいろな事を分析しながら生きています。妻のご意見番として日々、考えを巡らし、時にはオンラインでリサーチしてくれたりしています。

・ わたしのアドバイスや知識に感謝してくれるとき。

夫が、知恵を貸してくれた時、アドバイスをしてくれた時、「ありがとう、助かったわー。やっばり、あなたに相談してよかった。」と感謝してください。夫は、いつも妻のために助けになりたい、妻の問題を解決してあげたいと思っているものです。

・ わたしにものを直させてくれる時、わたしの解決策について賞賛してくれる時。

これも同じく、どんな事でも。ジャムのビンを開けてもらうというような本の小さいことから、自転車、テレビの調子が悪いなど、何でも相談してください。夫は、「よっしゃ、みてやるか」とスーパーマンになれるチャンスを喜んで引き受けてくれます。そして、直してもらったら、「ありがとう。助かったわー」と賞賛してください。夫の心のラブタンクが満タンになりますよ。

・ 妻がわたしに、「ただ聞いて欲しいことがある」と言ってくれるとき。

夫は、妻のカウンセラーだということを自覚しています。妻たちは、ただ感情を落ち着かせるために話を聞いて欲しいこともあります。夫は、そんな、ただ聞いて欲しいというほどに信頼されていることに誇りを感じます。妻たち、こんなこといったらまたうまがられるなどと考えずに、甘えてみてください。


さて、久しぶりの Love & Respect いかがでしたか。あと、二回でこのシリーズは終わりになります。みなさん幸せな夫婦生活を送ってくださいね。たまに、このブログを持ち出して、夫婦で話のたねにしてみるのもいいと思います。

そして、夫は、妻に愛をあらわしてください。妻は、夫に、今日も「尊敬してます」って言ってみてください。二人の間がぐっと縮まりますよ!!


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非常に申し訳ありません

thread
みなさん、こんにちは。

ご無沙汰しています。
先日ある方に、出会って、「プログ読んでました」とのこと。
まさか、楽しみに読んでくださっている方がいるとは、知らず、
忙しさにかまけて、書くことをすっかりやめてしまっていました。
読んでくださっていた方々。すみませんでした。
また再会させようと思います。

教会の行事としては、9月から、心の癒やしセミナーEmpower Seminar を始めます。
月に一度の集まりで、ホリデーシーズンを除いて5回のセッション、3月に終了予定です。場所は、レドモンドと、レントンに別れます。土曜日はレドモンド、金曜日はレントンです。また、心の癒やしについても、ブログに載せられればと思います。

セミナーで話す内容は、次のとおり
① 心の傷のメカニズム
② 言葉の力
③ トラウマ・心の傷(感情)の癒やし
④ 家系に住み着いている傷
⑤ 成長の鍵、父、御子、御霊との関係

興味のある方は、ご連絡ください。

当面は、とりあえず、夫婦のシリーズを終了させることに集中します!!!

これからもよろしくお願いします。
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ソウルメイトになるために ⑤

thread
みなさん、こんにちは。
しばらくです。そして、ごめんなさい。結構読んでいるよと言われ、はっ。。。早く投稿しなくては。。。と思いあわててます。

さて、ソウルメイトになるために。男性と女性は、互いに努力し互いに理解しあい、愛と尊敬をはぐくみ、そして、ついにソウルメイトとなれるのです。
このプロセスを怠ってはいけません。さて、Love & Respect の続きです。

妻が愛されていると思う時。。。

理解: 夫がわたしを理解してくれていると感じるとき。(共感してくれる)

・ わたしの話しを聞いてくれる。(いつ助言するべきか、いつわたしの問題を解決するか知っている) 

男性は、問題を解決することに意義を感じ、また愛する者のために、問題を解決するスーパーマンでありたいという願いがあります。でも、女性にとってはただ話を聞いてほしかったり、「そっかー、つらかったんだね」と慰めやねぎらいの言葉が聞きたかったりするだけなんです。男性のみなさん、聞き上手、また相づち上手になってください。特に! コツは、猫に話しかけるときのように、猫なで声が有効です! ここで、男らしく、「めそめそするな!」とか、叱咤激励は逆効果です。女性は、女性的な耳をもっていますので、あくまでも、やさしく、気持ちに共感してあげてください。

・ わたしの話しを聞いてくれていることがわかるように、わたしの言った事を繰り返してくれる。

男性のみなさん、聞き上手はいいけれど、「この話しいつまで、続くんだろう。。」と不安になったり、「完全に話しが脱線して、違う話題になってる。。。」なんていうことも多いかと思います。だから、話しを短くするために、「だから要点はなんなの?」とか、「そんなに悩むのなら、それするの辞めたら?」などと、問題解決に走ってしまったり、つい、やっちゃいますよね。そう! 話し、ぐるぐるしたり要点がなくなったりしてしまうんですよ。女性は。話しながら感情を出したりしてて、それが目的でもあったり。。。そういうときは、「つまり、こうなったの」「お隣の猫がきて、それで車がきて、それでどうなったの」と話を要約してあげると、女性のほうでは、私の話はよく聞いてもらえてると感じるし、頭の中も整理できて、話もぐるぐるしません。それに、自分で言ったことをもう一度他人から聞くことで、かなり、慰められるんですよ。感情がおさまるのです。ご主人たち、一度お試しあれ!

・ わたしの貢献と、役割について感謝の意を表してくれる。「自分には君のような仕事はできないよ。」

女性は愛する者をケアして、仕えることに喜びを見出します。愛しているから、夫においしい夕飯をつくるし、愛しているから、アイロンかけをし、洗濯をし、スーパーに買い物に行くのです。妻のしている何気ない家事に対して、夫たちは、「自分を愛しているからしれくれているんだ」と受け止め、感謝してください。女性たちは、文句を言わなくなりますよ! 当たり前のこととして、とられると、「私は家政婦じゃない」という具合に不満が出てきます。日常の些細な家事に対して感謝をしてくださいね。

夫が尊敬されていると思う時。。。

権威: 妻のために権力をもっていることを評価してくれるとき。(わたしの強くありたい、リードする者、決断をする者でありたいという思い)

・ わたしの筋肉をつかんで強いねーと言ってくれるとき。

これって本当なんですよ!! 男性は強さに対して、格別の評価を求めていて、肉体的にもしかりです。「このビンのふた開けて」夫があけてくれる。「やっぱり、あなたがいないとだめねー」「さすが、あなたは力持ちね」というだけで、夫は励まされ、よっしゃーー。となります。本当に、筋肉をつかんであげて、「筋肉すごいわね、強そうねー」というと、ものすごく男性は励まされます。逆に、「筋肉がすくないわね、昔は、筋肉質だったのに今は贅肉ばっかりね」などと、いうと、しょんぼりし、後々までその傷を引きずったりします。ご注意。

・ わたしの良い決断に対して賞賛してくれるとき。

これ、大事です。絶対に、夫の決断に対して批評しないでください。夫は、一家の長として胸をはって家族を導いています。どんな些細なことでもです。たとえば、記念日のレストラン。「やっぱり、ここもう一つだったね」とか、絶対に言わないでください。ものすごく夫たちは傷つきます。こんな、小さな決断も? と思うかもしれませんが、そうなんです!! 妻たちの無邪気な批評がどれだけ日々夫の心を傷つけているかということがわかりますね? そして、逆に、よかったと思うところは、強調して評価してください。「やっぱり、あの株買ってよかったわね。あなたの判断は正解だったわね。」「やっぱり、あの時、あなたの意見を聞いてよかったわ。」などなど、必ず、評価してください。夫は、妻から尊敬されていると感じ、心の愛タンクが満たされます。

・ 子供たちの前で、また個人的にわたしの権威について敬意を表してくれるとき。

「お父さんの意見を聞いてからね。」「主人と相談してからお返事しますって返事したんだけど、あなたどう思う?」などなど、夫を立てるということです。どこにいても、です。また、女友達や職場でも、そうすることによって、周りによい影響を与えるでしょう。

さあ、笑っちゃった人も、いるのでは??? 夫も妻も地雷をかなり踏んでいるはず。。。
次回もお楽しみに!

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ソウルメイトになるために ④

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続きまして、Love & Respect エペソ5:33

夫と妻が愛されていると感じるときは、違うのです。それは、女性は、愛のフィルターでものごとを感じ、男性は尊敬のフィルターを通して感じているからです。

では、

妻が愛されていると思う時。。。

その 2

心が開かれている: 夫の心が開いていると感じるとき。(夫が影で怒ってない)

・ 夫が感じていることを分かち合ってくれるとき。
・ 夫が今日の一日がどうだったか、何が大変だったか自分に話してくれるとき
・ 夫が荒々しく話したり、ガードが固かったり、プンプンして話さない。

妻、女性はオープンさが親密度合いのはかりです。男性のみなさんにとっては、ええ、困るーーと思いますよね。女性は愛する人に心をぱっと開くことができますが、男性の場合は、時間がかかるものなんですよ。

女性が、自分弱みや内面のことをすんなり話す男性によく引っかかるのは、「この人は私に何でも話してくれる。」という親密さを感じるから、自分が愛されてると思いやすいのです。そういえば、もてる男性にこういう人、多くないですか?

さて、ご主人方、家庭では、奥さんになるべく心を開くようにしましょう。あなたは、オープンさで、奥さんへの愛の深さを測られています。

そして、奥様方、あなたの気持ちは分かります、でも、男性は、心が開き易いときとそうではないときがあるのです。女性のように、いつでも深い話に入っていけないのです。

男性は、戦いの社会の中に生きていると考えてあげてください。一日外で働いて戦って帰宅したとき、男性は、戦いの疲れとストレスから、まず自分をリラックスさせることを考えているのです。その時に、妻が早くオープンになってくれ、私はこんなに今日大変だった、感情を分かち合いましょうと言われても、夫は器用に反応できないのです。まず、男性の頭の中をリセットする時間をあげてください。そして、リラックスしたあとで、ゆっくりお話しするようにしましょう。

夫がなかなか話したがらないという、奥様、もしかしたら、話すタイミングがかみ合っていないのではないでしょうか。

夫が尊敬されていると感じるとき。。。

その2

階層: 妻がわたしの監督者(妻を守り養い、妻のためになら死ねるという思い)としての地位を高く評価してくれたとき。

・ 「あなたが私のことを責任もってくれると感じるから私はあなたを尊敬するわ」と言ってくれるとき。
・ 「君のためになら死ねる」という考えに対して深く感動したと言ってくれるとき。
・ 私の家族を養うという献身をほめてくれるとき。「ベーコンを持って帰ってきてね」

夫、男性は、階層社会の中で生きています。つまり、自分の地位が周りから認められるということは男性にとって重要なことです。

夫は、家族の中では、「自分が家族を養うんだ」「妻を守るためにはどんなこでもする」という気持ちをもっているものです。

女性には、分からないものです。分からないからこそ、その部分を傷つけるようなことを言ってしまったりするものです。
決してその部分を傷つけるようなことは、いくら喧嘩をしていても言ってはいけません。「となりの奥さん家はいいわね、ご主人がこうで。。」とか、「収入が少ない」ということは、決して言わないようにしてください。

夫は、一生懸命、家族のためにと思って、働いているのです。そして、それが満足にできないとき、悩み、とても苦しんでいるのです。もちろん、その苦しみや葛藤も人にいうこともできません。

しかし、妻が、「いつも家族のために働いてくれて、ありがとう。尊敬しています。」「今日もがんばって私たちにたくさんおいしいものを食べさせてね!」「いつも、あなたにどんなに守られていると実感しているかわかる?」などと、夫に守られている、養われていることに対する感謝と敬意を言葉で表すときに、夫の、心は愛(尊敬)で満たされ、養われます。よっし、明日もがんばるぞー! という気持ちになれるのです。奥様方、ぜひ、ご主人を励ましてくださいね。


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水曜日のバイブルスタディ 詩篇52

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みなさんこんにちは。毎週水曜日の朝10時半からやってます、バイブルスタディのおすそわけです。ちなみに、昨日みんなで食べたランチはチキントルティーヤスープでした。また写真をとるのを忘れました。

詩篇 52篇

指揮者のために。ダビデのマスキール。エドム人ドエグがサウルのもとに来て、彼に告げて「ダビデがアヒメレクの家に来た」と言ったときに

1 なぜ、おまえは悪を誇るのか。勇士よ。神の恵みは、いつも、あるのだ。

2 欺く者よ。おまえの舌は破滅を図っている。さながら鋭い刃物のようだ。

3 おまえは、善よりも悪を、義を語るよりも偽りを愛している。セラ

4 欺きの舌よ。おまえはあらゆるごまかしのことばを愛している。

5 それゆえ、神はおまえを全く打ち砕き、打ち倒し、おまえを幕屋から引き抜かれる。

6 正しい者らは見て、恐れ、彼を笑う。

7 「見よ。彼こそは、神を力とせず、おのれの豊かな富にたより、おのれの悪に強がる。」

8 しかし、この私は、神の家にあるおい茂るオリーブの木のようだ。私は、世々限りなく、神の恵みに拠り頼む。

9 私は、とこしえまでも、あなたに感謝します。あなたが、こうしてくださったのですから。私はあなたの聖徒たちの前で、いつくしみ深いあなたの御名を待ち望みます。

ダビデが、サウル王からいのちを狙われているとき。この詩篇の背景は、Ⅰサムエル記21, 22章にあります。 ダビデが祭司アヒメレクに会いに行きます。祭司はこのダビデを励まし、パンを与えて食べさせ、そして何の武器ももってないダビデに祭司アヒメレクはダビデがかつて倒した、ゴリヤテの剣をわたした。ちょうどそこに、エドム人ドエグがいました。ということは、彼は、改宗して神を礼拝する人になっていたということでしょう。しかし、このドエグは、この後、サウルにダビデがアヒメレクに会いにいっていたと告げ口をします。そして、このあと、大変なことになります。サウルはアヒメレクとダビデが組んで謀反を企てているとし、祭司たちを殺せと命じます。しかし、家来たちは神の人を殺すことができず、躊躇します。しかし、このエドム人ドエグは、85人の祭司たちに撃ちかかって殺してしまいました。なんという悲惨な出来事でしょうか。
その時の、ダビデの詩です。

一節から四節までは、この神をも恐れないドエグのしたことに対する、怒りと神様はきっとその罪に報いられると表現しています。

そして、八節から一転して、

「しかし、この私は、神の家にあるおい茂るオリーブの木のようだ。私は、世々限りなく、神の恵みにより頼む。」

と宣言しています。

ダビデは、このような事態のなかにおいても、決して神の守りを疑うことはありませんでした。自分は、神の家の外のものではなく、神の家の内にうえられているものであると宣言しています。 私たちも、何か困難にことに遭遇するときに、自分が何者であるか、自分のアイデンティティがしっかりしていると、あらゆる疑いの思いから解放されます。
このあと、ダビデのもとに、ひどい殺戮現場から逃れてきた、アヒメレクの息子をひきとります。そして、「私といると安全だ」と言い切ります。サウルにいのちを狙われているダビデとともにいて、どうして安全といえたのでしょうか。それは、ダビデの確信にあります。ダビデは、自分は神の家に植えられているものだという確信と、世界で一番強い全知全能の神のうちにいるなら、安全だという確信があったのです。

私たちも、この世の中にあって、このように宣言し、人々を助け、救いに導くものでありたいと思います。それは、私たちの信仰、神にある確信、アイデンティティから始まるのです。

ダビデは、更に、自分は「オリーブの木のようだ」といいます。オリーブの木というものは、年中みどりの葉をつけているそうです。いのちと豊かさの象徴ですね。神の家にあって、つねに青々と葉を茂らせるいのちにあふれている存在であると、このような悲惨な試練のなかで、宣言することができています。

そして、「世々限りなく、神の恵みにより頼む。」と、宣言しています。

私たちは、試練そのものに気をうばわれたり、誰がどうした、何がこうなった、何がない、これが足りない、なかなか状況がかわらない、ということに目をとめれば、不平不満、疑い、不信仰と、落胆、うつになります。

しかし、神の恵みを数え始めるとき、感謝が沸き起こります。
感謝が沸き起こると、信仰が引き上げられ、信仰が引き上げられると、希望があたえられ、そして、忍耐して神のなさることを待てるようになります。

ダビデが、続いて詠っているとおりですね。

九節 「私は、とこしえまでも、あなたに感謝します。あなたが、こうしてくださったのですから。私はあなたの聖徒たちの前で、いつくしみ深いあなたの御名を待ち望みます。」

私たちも、頭で理解できない、難しい問題にぶち当たったとき、試練や悪いことに巻き込まれたとき、その問題に目をとめることをやめ、恵みを数えましょう。
落ち込むとき、足りないものを数えるのではなく、いま与えられているものを数え、感謝しましょう。
そうするとき、せっかちな現代社会に住んでいるクリスチャンである私たちに、忍耐が与えられます。

この世は、すべてめまぐるしい速度でまわり、クリスチャンたちでさえ、早い解決、早く結果を見たいとあせることですが、神の時をまてなければ、神のみ業をみることができません。

神の人でありたいと願うならば、神のなされることを待ち望みましょう。

ダビデの経験した、詩篇52篇の祝福が皆さんの上にありますように。神様のめぐみが注がれますように。お祈りしています。

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