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聖霊が働かれるとき

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聖霊が働かれるとき
本日は韓国人の知人と会話する機会がありました。

彼の6週前に生まれた子が、ZOEと言うのだそうです。

「life」と言う意味ですね、と私が言い当てたことからギリシャ語を勉強したこと、神学校に行ったこと、現在も日本語教会の牧師をしていることなどを話す機会となりました。

以前からの私の想像通り、彼もクリスチャンでした。

そこでどうしてクリスチャンとなったのかを尋ねてみました。

それは15年前に米国にやってきてしばらく経ってからのことでした。
会衆わずか8人の小さな韓国教会でのこと。
集会前、彼はベンチに静かに座っていました。
すると、その静けさの中で神の迫りを体験するのです。

彼は鮮明にある光景をビジョンの中で見ます。
それは、母親が彼の1歳のとき心臓発作で倒れて他界したときのものだったそうです。母親は坂道を歩いて登っていました。しかし突然発作を起こし、道端に倒れ、誰にも助けを求めることもできないまま息を引き取ったのです。

そのとき、1歳の彼自身を残して逝かねばならない母親の無念さをリアルに彼が味わったと言うのです。母親の自分に対する強烈な愛。体験としては覚えていないはずですが、そのとき始めて強烈な愛の迫りを受けたのだそうです。それは神の愛でもありました。
それ以後、集会中も集会が終わったあとも約2時間ほど、彼はただ涙が出て、泣けて泣けて仕方がなかったと言うのです。

牧師が感動の説教をしたわけでもないのに。
誰一人として彼に神様の話をしたわけでもないのに。
賛美の中で誰かと感動を分け合っていたわけでもなのに。

もちろん、そこに至るまで彼は教会出席のうちから聖書の話を伺っていて、いわば神様についての基礎理解がありました。

しかし聖霊(神の霊)が働くとき、人の思いや計画を越えて働かれるものであることを知りました。
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