49歳の誕生日
Jul
21
49歳といえば、戦国時代では平均寿命らしいです。
これといったことも達成しないまま、伊達に年だけ取ってきた自分が恥ずかしいです。
ところで、織田信長が本能寺の変で自害したのが49歳でした。
1560年の桶狭間の戦いで今川側を奇襲して破ったのが、26歳のときです。
出陣のとき死を覚悟した信長は、敦盛の一節を舞ったと信長公記にあります。
「 此時、信長敦盛の舞を遊ばし候。
人間五十年 下天の内をくらぶれば、
夢幻のごとくなり。
一度生を得て滅せぬ者のあるべきか、
と候て、螺ふけ、具足よこせと仰せられ、
御物具召され、たちながら御食をまいり、
御甲めし候ひて御出陣なさる。 」
『信長公記』
現在の平均寿命からすると、49歳なんてまだまだ洟垂れ小僧です。
今後も何事もしないまま年だけ食うことになる私ですが、
ひとつ野望があります。
それを子供たちに、この日伝えました。
それは、
百まで生きて、彼らの孫たちとサッカーするというものです。
それを聞くなり笑ってました。
子供らは本気で私が言っているのを知りません。
私の敦盛は以下のようになります。
「人間百年。
永遠のうちをくらぶれば、
夢幻のごとくなり。
一度主イエスにある救いを受け
滅せる者のあるべきか。」
同僚や家族を裏切り、殺すことも茶飯事だった戦国時代に
生きていないことをつくづくうれしく思います。
「下天」は、六欲天の最下位の世で、一昼夜は人間界の50年に当たり、住人の定命は500歳とされるのだそうです。
すると、、、僅かな人間の一生が、投げやりとなり、空しい無常観を抱かざるを得ない。
主イエスが約束された永遠のいのちは、たかだか500年ではありません。
そして長短に関わりなく、今のこの一瞬が、永遠者との交流ゆえに無上に価値ある時となるのです。
「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。
彼らは決して滅びることなく、
また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありあません。」
ヨハネ10章28節